第42話:「摂政エーアリヒ:1」
第42話:「摂政エーアリヒ:1」
やって来たのは、エドゥアルド公爵がノルトハーフェンへ視察に向かうのに使ったのと同じ、4頭立ての上等な馬車だった。
造りも性能も公爵の馬車とほとんど同じだったが、ただ、貴族という階級制度の決まりごとなのか、エドゥアルドの馬車よりも若干装飾が大人しい。
ルーシェは、偉い貴族がやって来るのだし、どうにもエドゥアルドたちからすればあまり歓迎できない、警戒するべき相手なのだから、馬車を何台も連ねて護衛の兵士もたくさん連れてくるだろうと予想していたのだが、やって来た馬車は1台きりだった。
そこはさすがに、臣下が主に会いに来るだけだから、仰々しい護衛の隊列は必要ないというか、遠慮したということなのかもしれない。
ルーシェはやって来た馬車が1台だけだったことに少しほっとし、シャルロッテたちにならって頭を垂れて馬車の到着を出迎えた。
だが、その馬車から降りてきた人物の姿を見て、ルーシェのほっとした気持ちはどこかに吹き飛んでしまった。
御者によって馬車の扉が開かれ、そこから降りてきたのは、2人の男性だった。
1人は、白髪交じりの灰色がかった黒髪をオールバックにまとめ、碧眼と口ひげを持つ中年男性。
上級貴族らしく上質な布で作られた、だが派手ではない落ち着いた衣装に身を包んでおり、見た目は優しそうな印象で、おそらくはこの紳士がルドルフ・フォン・エーアリヒ準伯爵なのだろう。
ルーシェは、このエーアリヒ準伯爵に関しては、さほど驚きはしなかった。
年長者らしい落ち着いた雰囲気のエーアリヒ準伯爵については、むしろ、エドゥアルドたちにとっての敵かもしれないのに、なぜだか安心感のようなものを覚えたほどだ。
問題なのは、もう1人だった。
それは、赤毛のマッシュボブに、やたらと剣呑な印象のする鋭い双眸を持ち、上質な高級品だったが、落ち着きも品もない派手な色遣いの衣装に身を包んだ男性。
フェヒター準男爵だった。
ルーシェは内心、エーアリヒ準伯爵のことはそこまで悪い人間には見えないと思ったのだが、しかし、彼がフェヒター準男爵と一緒の馬車に乗ってやって来たということで、重苦しい気持ちになった。
これで、エーアリヒがエドゥアルドたちにとっての敵であることが、はっきりとしてしまったからだ。
「お待ち申し上げておりました。エーアリヒ閣下」
馬車を降りてきた2人の貴族を出迎えたシャルロッテは顔をあげると、平然とした様子でそう挨拶をする。
シャルロッテはエーアリヒとフェヒターの関係をすでに知っていたのだろう。
「うむ。出迎えご苦労。……エドゥアルド公爵は、ご壮健かな? 」
「はい。ご健康でいらっしゃいます。……主は、応接室で閣下をお待ちしております。僭越ながら、私がご案内させていただきます」
「おやおや? メイド。このオレには挨拶しないのか? 」
ビジネスライクに言葉を交わすエドゥアルドとシャルロッテだったが、その間に高圧的な口調で割って入って来たのは、フェヒターだった。
どうやら、以前のことを根に持っていて、その意趣返しのつもりらしい。
「もちろん、あなた様のこともお待ち申し上げておりました。フェヒター準男爵様」
ルーシェは内心で思わずムッとして、少し表情にも出してしまったかもしれなかったが、シャルロッテは平然としたまま表情一つ変えずに、小さく膝を折り、スカートをつまんでフェヒターにも挨拶をして見せる。
「丁重にお出迎えせよとの、我が主からの命でございます。……不束者ではございますが、誠心誠意、おもてなしさせていただきます」
「……フン」
そんなシャルロッテの受け答えに、フェヒターは面白くなさそうに鼻を鳴らす。
シャルロッテがあまりにも平然としているので、つまらないと思ったのだろう。
「では、こちらへ。……ルーシェ、扉を」
「……はっ、はいっ、シャーリーお姉さま! 」
シャルロッテはエーアリヒとフェヒターを案内し、扉を開くようにと指示をされたルーシェは、やや慌てて扉へと駆けよった。
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シャルロッテはエーアリヒとフェヒターを、まずは客間へと案内した。
まずはそこで客人に一息ついてもらい、お茶や茶菓子などでもてなして、リラックスをしてもらうためと、その間に主人であるエドゥアルドに来客の到着を伝え、今後の指示を仰ぐためだ。
客間ではメイド長のマーリアがすべての準備を整えて待機しており、エーアリヒとフェヒターがソファに座るとすぐに、紅茶かコーヒーか好みを訪ね、その場で用意を始める。
「ルーシェ。公爵殿下にお客様が到着したことをお知らせして、どのようにご案内すればよいか、聞いて来なさい」
いつでも客の要望に応えられるよう、客間に入ってすぐのところでひかえていたシャルロッテは、ルーシェに小声でそう命じる。
ルーシェはそれに小さくうなずくと、すぐにその場を離れて、走らず、だが急いでエドゥアルドが待っている応接室へと向かった。
シュペルリング・ヴィラは、広い。
貴族という人々は優雅に暮らしているように思えるが、その実態としては様々な儀礼や様式を守らねばならず、この館もそんな貴族の格式のためにたくさんの用途の異なる部屋を持っている。
ここへやって来た当初は、ルーシェにはあまりにも広すぎて頭がくらくらするほどだったが、今となってはどこにどんな部屋があるのかもなんとか覚えることができている。
ルーシェは迷わず応接室へとたどり着くと、扉を4回ノックし、エドゥアルドから入室の許可を得た。
応接室には、来客と公爵とが面と向かってゆっくり会話することができるように、ソファとテーブルのセットが配置されている。
その奥側に置かれた公爵用の豪華で座り心地の良い1人用のソファで、エドゥアルドは頬杖をつきながら気難しそうな表情で待っていた。
「なに? フェヒター準男爵も来ているのか? 」
ルーシェが来客を知らせると、エドゥアルドはやや不愉快そうな顔をした。
エーアリヒはまだしも、フェヒター準男爵までやってきているということが解せず、気に入らない様子だった。
「あの……、公爵さま? どのようにご案内すればよろしいでしょうか? 」
自分に向けられた不快感ではないと知りつつも、ルーシェはややたじろぎながら、おずおずとエドゥアルドにたずねる。
すると、エドゥアルドは「フン」と鼻を鳴らすと、面倒くさそうに言った。
「エーアリヒ準伯爵は、一息入れてもらってからこちらへ案内するように。……フェヒターの奴は、そのまま客間で待たせておけばいい」
「かしこまりました! 」
ルーシェはそう言ってうなずくと、慌てて走らないように気をつけながら応接室を退出し、急ぎ足で客間へと戻って行った。




