第41話:「来客」
第41話:「来客」
ノルトハーフェン公国の領主、エドゥアルド公爵がわずかな使用人たちと暮らすシュペルリング・ヴィラに来客があるのは、珍しいことだった。
ノルトハーフェン公爵の位の正当な持ち主にして、実権なき公爵であるエドゥアルドのことをわざわざ訪れようとする人間は、ほとんどいない。
いたとしても、シュペルリング・ヴィラに必要な食べ物や生活必需品などを納品している業者の人間や、貴族同士のつき合いのため、表敬訪問する者たちだけだ。
また、外部との接触を可能な限り避け、少しでも危険を減らそうとエドゥアルドたちの側であえて来客を少なくしようとしているということもある。
エドゥアルドは若いながらに、すでに[実をつけない木によりつくものは少ない]ということを思い知らされている。
だからこそ、静かに、この状況を脱して見せるという意志を燃やしている。
今日、シュペルリング・ヴィラを訪問する人物も、その目的は表敬訪問だった。
やって来るのは、ルドルフ・フォン・エーアリヒ準伯爵という人物で、ノルトハーフェン公爵家に仕える貴族の1人だった。
(※作者注
[準]とつく貴族の位は、作中のタウゼント帝国では皇帝の直臣ではなく陪臣であることを示すもので、基本的には[準]がつかない位と同格ですが、皇帝を選ぶ選挙に参加できないことや、皇帝に自分から拝謁する権利を持たないなど、いくつかの制約がある、という設定です)
エーアリヒ準伯爵は、現在、若い公爵であるエドゥアルドの代わりにノルトハーフェン公国の統治をおこなう、[摂政]の立場にある人物で、年齢は43歳。
ノルトハーフェン公爵家から遠い昔に分かれて分家となった一族の当主で、エドゥアルドとは親戚の関係にある。
そのエーアリヒがエドゥアルドを訪問する理由は、毎年、ノルトハーフェン公国の公爵が公務として行う、国家的な儀礼のためだった。
一般的に、その儀礼的な儀式は[狩りはじめ]と呼ばれている。
冬は、ノルトハーフェン公国では狩りの季節だった。
冬の間に狩人たちは鹿やウサギといった動物を狩り、その毛皮や肉、骨を売って生計を立てる。
だが、古くから人間による開発が進んだヘルデン大陸では、狩りに適した森というのは貴重なものだった。
そして、ノルトハーフェン公国におけるもっとも重要な狩場となる森は、ここ、シュペルリング・ヴィラの裏に広がる、公爵家の私有地だった。
ノルトハーフェン公爵家の代々の当主は、その森で毎年最初の狩りを行う。
そして、その[狩りはじめ]が終わった後には、公爵家はもう自分では狩りを行わず、代わりに近隣に住む狩人たちに森への立ち入りと狩猟を認め、民間に開放される。
それは、ノルトハーフェン公国でもっとも重要な狩場を臣民に開放するのと同時に、公国全体で禁猟期を終え、狩猟を許可する合図となる儀式だった。
実際的な理由というよりは、儀礼的な意味合いの強い儀式だった。
ノルトハーフェン公爵家の私有地を民間に開放することを始めた当時の公爵から現在まで続いている、なくしてしまっても問題が起きるわけでもないものだ。
だが、それはノルトハーフェン公爵が代々国儀として行って来たものであり、儀礼的には非常に重要な意味を持っている。
エーアリヒは、エドゥアルドへのご機嫌うかがいと、ノルトハーフェン公国の統治状況の報告、そして[狩りはじめ]の儀式を行う日取りを調整するために、やって来る。
ルーシェはすでに、館に出入りする業者とは何度かやりとりをしたことはあった。
だが、伯爵という、公爵に次ぐ高位の貴族を出迎えるというのは、初めてのことだった。
「エーアリヒ準伯爵の応接は、私とマーリアメイド長で行います。ルーシェ、あなたは私たちのそばにひかえて、指示に従ってください」
「はいっ! シャーリーお姉さま! ルーシェ、頑張ります! 」
だが、ルーシェは気合十分だ。
これまでの失敗の汚名を返上し、エドゥアルドに早く一人前のメイドとして認めてもらえるように、ルーシェは頑張るつもりだった。
だが、やる気満々といった様子のルーシェを見て、シャルロッテはなぜだか心配そうな顔をする。
「ルーシェ? はりきるのはいいのですが、その……、また、転ばないでくださいね? 」
「はっ、はひっ!? も、もちろんでございますっ! 」
ルーシェは少したじろいだ後、力強くうなずいてみせたが、やはりシャルロッテは不安そうなままだった。
気が緩んでいても危なそうだし、力んでいても危なそうだと、そう思っているのだ。
なにしろ、ルーシェは、なにもないところでも自分で自分の足につまずくことのできる少女なのだ。
とにもかくにも、来客を出迎える準備は進んでいた。
シュペルリング・ヴィラは改めて美しく清掃され、エーアリヒ準伯爵やその随行の人々を迎え入れ、もてなすための準備も終わった。
エドゥアルドとエーアリヒが話し合っている間、エーアリヒに随行してきた護衛や使用人たちをもてなすことも大切なことで、手抜かりは許されない。
エドゥアルド公爵自身も、湯浴みをして汗を流し、普段着とは違う正装を身につけ、いくつかの装飾品で着飾った。
臣下といえども、出迎えるにはそれ相応の様式が必要とされるのだ。
ルーシェはシャルロッテやマーリアから指示をされて、あれやこれやと準備を忙しく手伝っていたのだが、客人を迎えるための様式を整える、という以外にも、エドゥアルドたちの雰囲気がいつもと違っていることに気がついていた。
なんというか、格式ばった堅苦しい緊張感だけではなく、警戒感というか、油断してはならないという、そういう雰囲気があるのだ。
ただ、臣下を迎えるだけのはずなのに。
まるで、敵対関係にある相手と、直接対面するような重々しさがあった。
ルーシェは、まさか、と思う。
エドゥアルドには、彼の公爵位の簒奪を狙う敵がおり、フェヒター準男爵だけではなく、その背後にも強大な敵が潜んでいる。
エドゥアルドたちの警戒のしようは、まるで、これから会うエーアリヒもまた、陰謀に加担する人物、あるいは黒幕そのものであると言っているように、ルーシェには思える。
だとすれば、それは、とんでもないことだ。
なぜなら、エーアリヒはエドゥアルドに代わって国政を司る摂政であり、国庫も軍隊もその手に握っているのだ。
もし、そうであるのなら、状況はルーシェが思っているのよりも何倍も悪い。
エドゥアルドが有しているのはすでに公爵という位だけで、きっかけさえあれば容易にそれも奪われてしまう、言ってみれば喉元にナイフを突きつけられているような状況だからだ。
だが、ルーシェはそのことをあまり考えている暇はなかった。
少ない人数で切り盛りしている以上、半人前のメイドであってもルーシェにはやるべきことがたくさんあったし、そうやって準備に取り組んでいるうちに、来客の予定の時刻になってしまったからだ。
ようやくすべての準備を終えたルーシェたちが居住まいを正して館の玄関で来客を待っていると、エーアリヒ準伯爵を乗せた馬車は、予定の時間通りに姿をあらわした。




