第39話:「公爵の敵」
第39話:「公爵の敵」
フェヒター準男爵とごろつきたちが立ち去ると、エドゥアルドとシャルロッテも馬車へと戻って来る。
のぞき窓にかじりつくようにして外の様子をうかがっていたルーシェは慌てて元の席に戻り、急いで衣服を整えた。
ほどなくして馬車の扉が開かれ、エドゥアルド、次いでシャルロッテが馬車の中に乗り込んで来る。
「おかえりなさいませ、公爵さま、シャーリーお姉さま! 」
姿勢を正し、一方でエドゥアルドからもらったリボンは大切そうに抱きかかえたまま、ルーシェはそう言って2人を出迎える。
エドゥアルドは「ん」と小さく返事をしただけで、ムスッとした顔で自身の席に腰かけ、シャルロッテは少しだけ微笑んでルーシェの挨拶に答えた。
「出してください」
「かしこまりました」
それから、シャルロッテがのぞき窓から声をかけると、ゲオルクはすぐに馬車を再び走らせ始める。
ゴロゴロ、と車輪を回転させて加速を始めた馬車は、やがてノルトハーフェンの街並みを完全に抜け、街道を北に向かって、シュペルリング・ヴィラに帰るために駆けていく。
「あの……、少し、おうかがいしてもよろしいでしょうか? 」
馬車が走る音だけが聞こえる静かな車内で、やがて、ルーシェはおずおずと、上目遣いでエドゥアルドのことを見つめながら申し出る。
本来、公爵ほど高貴な貴族であれば、それに仕える使用人といえどもおいそれと声をかけることなどできないし、許されない。
だが、スラム育ちのルーシェはそんなしきたりなどまだ知らなかったし、エドゥアルドは年が近いからか少し気安く、また、メイドとして働く中でルーシェは、そういうことをしても許されるだろうという雰囲気を感じ取っていた。
実際、エドゥアルドもシャルロッテも、ルーシェのことを怒ったりはしなかった。
エドゥアルドとたった数人の使用人であの広い館に暮らしているためか、本来であれば存在するはずの堅苦しい格式といったものはあまりないようだった。
「なんだ? 」
エドゥアルドは窓にもたれかかり、窓枠に肘をついて頬杖をつきながら、やや面倒くさそうな口調で返事をする。
どうも、少し不機嫌である様子ではあったが、ルーシェの問いかけには答えてくれるようだった。
「その……、あの、フェヒター準男爵という方は、いったい、どのような人なのですか? 」
「ああ……、アイツか」
エドゥアルドはルーシェの質問に小さくうなずくと、それから冷笑を浮かべた。
「アイツは、僕の公爵位を狙っている、野心家の1人さ。……まぁ、正直言って、いいように使われているだけに見えるがな」
エドゥアルドの返答にルーシェはきょとんとして目をぱちくりさせる。
公爵家、エドゥアルドには敵がいるということはすでに知ってはいたが、その敵の正体について、シャルロッテもマーリアもルーシェにはなにも言おうとはしなかった。
それが、こうもあっさりと明かされて、びっくりしたのだ。
「殿下。よろしいのですか? 」
シャルロッテも驚いている様子で、「この子に、そこまで教えてしまって良いのですか? 後戻りさせられなくなりますよ? 」とたしなめるように、やや困惑した表情でエドゥアルドに確認する。
「ああ。かまわないさ」
シャルロッテとルーシェに、エドゥアルドはニヤリと不敵な笑みを向けながらうなずく。
「そいつ……、ルーシェだっけ? ルーシェにはもう、僕の館以外には行く場所がないんだろう? それに、そいつはもう、僕のメイド、家臣だ。どうせどこにも行けないし、放り出す予定もないんだから、今さら隠すこともない。……もっとも、僕には負けてやるつもりもないからな。しっかり最後まで面倒を見てやるさ」
そのエドゥアルドの言葉に、ルーシェははにかんだような笑みを浮かべ、少し恥ずかしそうに首をすくめる。
半人前かもしれなかったが、公爵家に仕える者として認められ、そして、ルーシェにとっての居場所ができたということが嬉しかったからだ。
「むろん、私ども臣下も、殿下と一心ではございますが」
シャルロッテはエドゥアルドにそう言いつつも、少しだけ不安そうだった。
それは、フェヒター準男爵がただの[使いっパシリ]、つまり、その裏にはもっと大きくて狡猾な敵が潜んでいるからだろう。
ルーシェはシャルロッテとエドゥアルドの表情を視線だけでうかがい見ながら、そう敏感に察知、(自分にできることって、あるのかな……)と考えざるを得なかった。
エドゥアルドは負けるつもりはない、とは言っているものの、エドゥアルドの周辺でうごめいている陰謀の首魁、公爵の敵は、きっと強力な相手で、その相手との対決に必ず勝利できるという保証は、おそらくはどこにもないのだろう。
だからこそ、シャルロッテは公爵家に仕えてまだ日の浅いルーシェに、いざという時の[逃げ道]を残しておきたいという気持ちがあるのだ。
シャルロッテの心配は、ルーシェにとってありがたかったし、嬉しいことだったが、しかし、今のルーシェにとってはエドゥアルドの言葉の方がより嬉しかった。
自分はどうせ、もう、どこにも行く場所などないのだ。
今の暮らしは、毎日仕事があって、覚えることもたくさんあって大変ではあるものの、スラム街での悲惨な暮らしとはとても比べられない。
それに、ルーシェが、カイとオスカーと一緒に館を逃げ出したところで、そこ以上に良い条件で生きていける見込みはなにもない。
なにより、シュペルリング・ヴィラでは、エドゥアルドも、シャルロッテも、マーリアも、ゲオルクも、ルーシェやカイ、オスカーを大切にあつかってくれている。
1つの[存在]としてあつかってくれている。
それは、ルーシェにとって母親を失ってから久しく経験したことのないことで、その一事をとっても、ルーシェがこのままエドゥアルドのメイドとして、臣下として働きたいと考える理由になった。
(きっと、公爵さまのお役にたって見せます! )
エドゥアルドとシャルロッテが、そろそろ昼食にしようかと話し合っている横で、ルーシェは内心でそう決心し、密かに全身に力をこめて自分に気合を入れ直していた。




