第35話:「寄り道:2」
第35話:「寄り道:2」
エドゥアルドが馬車を止めたのは、ノルトハーフェンの港湾部のすぐそば、外国からの貿易船がよく停泊する埠頭に併設するようにできあがった、外国からの輸入品などをあつかう商店が並んだ場所だった。
ノルトハーフェンの中でも特に賑やかで、華やかな場所だ。
そこは多くの貿易商が集まり、卸売などを行っている他にも、個人に対して個別に商品を販売してもいる。
外国から輸入された流行りモノや珍しいモノ、貴重なものだと、ここでしか手に入らないものばかりで、この場所には公国のみならず、帝国中から、輸入された商品を買いつけるために商人や、貴族、富裕層たちが集まって来る。
馬車が停車すると、工場の時と同じようにまずシャルロッテが馬車を降りて周囲の安全を確認し、次いで、エドゥアルドが馬車から降りて行った。
「あの……、公爵さま。わたしは、どうすればよろしいのでしょうか? 」
ゲオルクにすぐ戻るから待っていてくれとエドゥアルドが命じた後、なんの指示も受けていなかったルーシェは、おずおずとエドゥアルドにそうたずねていた。
もう、自分が捨てられることはないとわかってはいるものの、エドゥアルドからなんの指示もなしに置き去りにされるのが不安でたまらないというような顔だ。
「お前は、僕と一緒に来い」
そんなルーシェに向かってエドゥアルドがそう命じると、ルーシェはきょとんとした顔になり、数回、まばたきをくり返す。
それから、「えーっ!? 」っと、驚きながら大きな声をあげた。
「ルーシェ。他の方たちにご迷惑ですよ」
「あっ、ご、ごめんなさい、シャーリーお姉さま」
シャルロッテに冷静な口調でたしなめられたルーシェは慌てて声の大きさを抑え、それから、不安そうにエドゥアルドの方を見つめる。
「あの……、公爵さま? 本当に、ルーも、いえ、わたしも、ご同行するのですか? 」
「ああ。そうだ」
エドゥアルドはうなずきながらはっきりと断言し、ルーシェに「早く降りろ」と、手を差しだしながらそう命じた。
ルーシェは、ドキリとして、差し出されたエドゥアルドの手を見つめる。
降りる手伝いをしてやるから早く来い、ということなのだろうが、ルーシェは、自分のような卑賎な存在が、タウゼント帝国でも指折りの大貴族であるエドゥアルドの手に触れていいのかどうか、迷いがあった。
ちらり、とシャルロッテの方へ助けを求めるような視線を送ると、シャルロッテはいつもの冷静な顔でルーシェを見返し、「公爵殿下のおっしゃるとおりになさい」と、視線だけでルーシェに命じてくる。
どうやら、自分に他の選択肢はない。
そう理解したルーシェは、意を決し、そして、どうしてか速くなった心臓の鼓動を、左手を胸に当てて抑えながら、右手でおそるおそるエドゥアルドの手を取った。
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ルーシェが馬車を降りると、エドゥアルドは「行くぞ。ついて来い」とぶっきらぼうに命じ、スタスタと歩き出してしまう。
その後に、静かに、自然な動きでシャルロッテが従い、ルーシェも、慌てて2人の後を追いかけて行った。
やがてエドゥアルドは、輸入品を扱う店に入って行った。
ルーシェもその後に続こうとしたのだが、思わず、立ち止まってしまう。
エドゥアルドが入って行った店の、高級そうな雰囲気に気圧されて、眩暈がしてきたからだ。
それは、外国から、高品質な生地や、流行の生地を仕入れて販売している店だった。
生地の輸入と販売が主な事業なのだが、そこでは輸入した生地を使って衣服を仕立てることも行われており、エドゥアルドが入って行ったのは衣服を販売する場所だった。
店は、きれいに磨かれた石で作られた立派なもので、道行く人々の注目を集めるために、商品を目立たせて見せるための大きなショーウインドウまで備わっている。
ルーシェにとってはまったく見慣れない、おしゃれな外国語の看板や、ショーウインドウに並べられた色とりどりの美しい布、そして職人が渾身の力をこめて作り上げた、豪華で息をのむほど魅力的な衣服の数々。
そんなものが並んでいる場所に、入っていく。
ルーシェはそう思っただけで気が遠くなり、足がすくんだ。
だが、ルーシェはその店に結局入ることになった。
背後からシャルロッテに押されて、半ば無理やりに進まされたのだ。
ショーウインドウに並べられた商品の数々だけでも圧巻だったが、店の中はルーシェにとってまったくの異世界だった。
高級感のある調度品の中に、飾られていたものの何倍もの数の商品が並べられている。
奥の方では、着飾った店員が、このノルトハーフェンの統治者であるエドゥアルドの来店にいたく恐縮した様子で接客をしているのだが、周囲の雰囲気にのまれているせいか、ルーシェにはその会話の内容も異国の言語のように聞こえていた。
エドゥアルドから声がかかるまでルーシェとシャルロッテは店に入ってからすぐの場所で、邪魔にならないように待っていたのだが、やがてエドゥアルドが2人の方を振り返った。
なんの声もかけず、身振りもなかったが、「来い」という意味に違いない。
ルーシェはゴクリ、と唾を飲み込み、全身が緊張でカチコチになって動けなかったが、シャルロッテに肩を押されて、同時に身体も支えられながら、なんとか前に進むことができた。
近くまでやってきたルーシェに、エドゥアルドはいくつかの布を指し示し、「好きなものを選べ」と命じてきた。
それは、色とりどりな細長い布で、芯の周りにくるくると巻かれている。
どうやら、リボンのようだ。
ルーシェは恐縮し、「わ、わたしが、選ぶのでございますか? 」と、カタコトのようになって確認したが、エドゥアルドはただ「早くしろ」と言いたそうに、「フン」と鼻を鳴らしただけだった。
シャルロッテの方を見ても、やはり「言われた通りにしなさい」という視線が返って来るだけだ。
ルーシェは半ばパニック状態だったが、わずかに残った冷静な部分が(早く選ばないと、また怒られることになる)と気がつき、ルーシェは回らない頭で必死にどのリボンが良いかを考えた。
いったい、なんのためにリボンが必要なのか。
それすらもわからない状態では選びようがないから、ルーシェはかなり迷った。
しかも、店員たちが提示しているリボンには、本当に様々な色がある。
たとえば、同じ赤い色であっても、何種類もあるのだ。
すべて微妙に色合いが違い、美しく染め上げられた布でできている。
そして、そのすべての色に、それぞれ別の名前がついている。
ルーシェはあわあわしながらリボンを選び続けたが、意外なことに、エドゥアルドもシャルロッテも、ルーシェがもたついていることに怒りだしたりしなかった。
そのおかげもあって、ルーシェはようやく、どのリボンが良いかを選び出した。
どんな色を選べばいいのかわからなかったから、結局、自分が一番好ましいと思った色を選ぶことになった。
エドゥアルドはあまり関心がなさそうに「これでいいのか? 」とルーシェに確認し、ルーシェが言葉を返せずにうんうんとうなずいてみせると、店員に向かって「では、このリボンをくれ」と告げた。




