第32話:「視察:4」
第32話:「視察:4」
馬車を降りたエドゥアルドが、すました様子で待っていたシャルロッテに目配せをすると、彼女は小さく首を左右に振った。
それは、エドゥアルドの護衛として今回付き従っているシャルロッテが周囲を確認し、安全であると判断したという意味だった。
エドゥアルドは、ノルトハーフェン公国の公爵であり、唯一の領主だ。
だが、その地位は安定していない。
タウゼント帝国の皇帝、カール11世が起こした親征に先代のノルトハーフェン公爵、エドゥアルドの父が従軍し、戦場で戦死した結果、公爵位はエドゥアルドが継承することになった。
だが、エドゥアルドは年少であったため、実際の公国の統治は摂政を立てて行われることとなり、結果として、エドゥアルドが有している権限はないに等しいこととなっている。
地位も、名誉も、エドゥアルドにはある。
しかし、エドゥアルドが有しているのは名目のみで、実権はなに一つ有していない。
(この公国を、僕の手に取り戻す。……そして)
自身の力は名があるのみであまりにも弱く、その立場は策謀によって危機にさらされている。
だが、エドゥアルドは、決して後に引かないつもりだった。
名だけではなく、公国の実権をも自身の手に取り戻す。
若き少年公爵の視線は、さらに、その先をも見すえている。
今日、行う視察は、実権を持たない名目だけの公爵であるエドゥアルドの、反撃の第一歩となるものだった。
シャルロッテの調査によると、この、ヘルシャフト銃火器工業で生産された小銃の一部が、ノルトハーフェン公国の公爵位を簒奪しようとする者たちに、密かに横流しされているのだという。
その、陰謀の一部に組み込まれたその場所に直接乗り込むことで、エドゥアルドは、敵対者たちに対する宣戦布告とするつもりだった。
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「お待ちしておりましたぞ。公爵殿下」
馬車の扉をエドゥアルドの背後でシャルロッテが静かに閉じ、エドゥアルドが防寒のために身にまとっていたマントをひるがえして衣装を整え終えると、エドゥアルドの到着を待っていた1人の人物が、そう言って恭しく頭を垂れた。
それは、丸々と太った樽腹の、杖をついた男性だった。
上等な高級品の衣服を身にまとい、頭には貴族がよく身に着けているような銀髪のカツラを被り、単眼の眼鏡を左目にかけ、脂がのったツヤツヤの頬を持つ顔には、白い口ひげとあごひげをつけている。
その男の名前は、オズヴァルト・ツー・ヘルシャフト。
タウゼント帝国でも指折りの大商人、実業家、貿易商、武器商であり、長年に渡り公国に多額の税収をもたらし、帝国全体の産業を牽引してきた[忠臣]だった。
その功績を認められてか、先年、オズヴァルトには[男爵]位が授けられ、民間の実業家に過ぎないにもかかわらず、タウゼント帝国の皇帝に直接お目見えする権利さえ獲得している。
オズヴァルトがエドゥアルドに示したその態度は分をわきまえたもののようだったが、エドゥアルドには慇懃無礼であるように思えた。
なぜなら、目の前のこの樽腹の男は、目先の利益に敏い金の亡者で、そして、エドゥアルドの公爵位を簒奪するための陰謀に加担しているからだ。
それだけではなく、エドゥアルドは個人的にオズヴァルトのことを良くは思っていない。
その樽腹と、脂ぎってツヤツヤとした肌が、エドゥアルドにはオズヴァルトの強欲さを示しているもののように思えてならないからだ。
帝国でも指折りの大商人で、皇帝によってその功績を認められて貴族の末席に加えられるような人物でなければ、こうして面と向かって対面したくもないような、そういう人物だ。
見てくれは恭しく丁寧で、衣装も一級品の見事なものだったが、その内側には強欲さと怠惰が詰まっている。
あまりにも太り過ぎて足を悪くし、杖なしではまともに歩けさえしなくなってしまったのに、その強欲さはまだ際限を知らずに膨張し続けている。
そして、おそらくは、オズヴァルトはエドゥアルドのことを内心では侮っている。
武器の横流しの証拠をつかむためにエドゥアルドはオズヴァルトに命じて帳簿などの資料を提出させて詳細に確かめもしたのだが、証拠をつかむことはできず、オズヴァルトは今も平然と、簒奪の陰謀に加担し続けている。
エドゥアルドのことを侮っていなければ、できない所業だ。
それでも、具体的な証拠をつかむことができていない以上、エドゥアルドはあくまでも、オズヴァルトを[帝国、そして公国の功労者]として扱わなければならない。
「出迎え、大儀」
エドゥアルドが言葉少なにオズヴァルトの出迎えをねぎらうと、彼は嬉しそうに相好を崩す。
「めっそうもないことでございます。公爵殿下のためなら、このオズヴァルト、たとえ戦場にでも、この足で我が社の武器をお届けに参る所存です」
(見え透いた演技を)
そんなオズヴァルトの姿を、エドゥアルドは内心で憎々しいと思う。
オズヴァルトがこのような態度を見せるのはあくまでも自身の利益のためであり、エドゥアルドのことなどこれっぽっちも尊重する気持ちはないのだ。
いつか、このような不快な相手を、問答無用でひれ伏させるだけの力を手にしたい。
若い少年公爵にはそんな願望が燃え上がるが、しかし、その炎は、自身の実権なき公爵という地位を思い起こすとしぼんで消える。
まずは、この窮地から脱しなければならない。
信頼できる者といえばたった数名しかなく、皆、表面的にしかエドゥアルドに従わない、孤立無援と言ってもいいような状況を抜け出し、公国の実権を取り戻し、強力な国家を建設する。
エドゥアルドにとって、それは自身の抱いた望みの第一歩にしか過ぎないことだったが、今は、その一歩さえ危うく、実現は遠い。
「では、貴殿の工場を、確かめさせてもらうとしよう」
エドゥアルドは誰にも気づかれないようにマントの中できつく握り拳を作りながら、オズヴァルトにそう言った。




