第27話:「給仕:1」
第27話:「給仕:1」
自分は、この場所でこれからも頑張るのだ。
ルーシェはそうやる気を出していたのだが、しかし、ことは思ったようには進まなかった。
それは、ルーシェがエドゥアルドを呼びに行った日の、夕食後に起った。
湯浴みをし、着替えを終えた公爵が食卓に着くと、シャルロッテとマーリアがいつものように給仕をはじめた。
ただ、今回はいつもと違うことがある。
ルーシェが、初めて公爵の給仕を手伝うことになったのだ。
ルーシェはまだまだ半人前ではあったものの、シュペルリング・ヴィラで働き始めてすでに数週間も経とうとしており、そろそろ実際に公爵のそばで働き始めてもよいだろうということになった。
ルーシェに求められているのは、シャルロッテに教え込まれた[公爵家のメイド]としての在り方を実践することだった。
これは、単純に公爵のような高貴な人間に仕えるのにふさわしい所作を身につける、というだけではなく、公爵が客人としてもてなすような招待客を相手としても相応の歓待ができるようにするために、大切なことだった。
格式ばった、堅苦しい礼儀作法などは、スラム育ちのルーシェには無縁なことではあったが、もう、そうではない。
なぜなら、ルーシェはこの館で、エドゥアルド公爵のメイドとして働くと決心しているからだ。
ここは、ルーシェたちにとって居心地のいい場所だった。
屋根も壁もしっかりとした部屋で、暖かな布団つきのベッドで寝泊まりをし、まともな食材で作られた料理で食事をし、清潔な衣服を着ることができる。
それだけでも十分なことだったが、ここでは毎日身体をぬらしたタオルで拭くくらいはさせてもらえるし、なにより、ここで暮らしている人々はルーシェたちを粗雑に扱わない。
シャルロッテ、マーリア、ゲオルクはもちろん、エドゥアルドだってそうだ。
ルーシェのことを無暗にしかりつけたりしないし、仕事を手伝えばその都度お礼を言ってもらえるし、ルーシェたちのことをちゃんと1人の人間として接してくれている。
それだけでも、ルーシェたちにとっては嬉しいことなのだ。
だからルーシェは、はじめて直接エドゥアルドの世話をすることではりきっていた。
(もっと、もっと、お役に立たなければ! )
自分は、公爵家のメイドとして、これから生きていくのだ。
ルーシェはそのことにやりがいを感じていたし、そうなりたいと、心の底から願っていた。
それは、今のところは、隠さずに言ってしまえばルーシェ自身の都合という側面が大きい。
ルーシェは、頑張って働いてさえいればまともに生活することができ、無暗に迫害されるようなこともない場所にずっといたかった。
そこには、エドゥアルドへの忠誠心とか、そういう感情はないに等しい。
かといって、エドゥアルドのことをどうでもいいと思っているわけではなかった。
エドゥアルドは相変わらず不愛想でルーシェにほぼ無関心であるようだったが、ルーシェとしては、彼がどんな人間であるのかに興味が出てきている。
これまで、接したことのない性質の人間なのだ。
高貴な身分で、かといってその身分をはなにかけたりせず、身分としてはもっとも低い部類に入るルーシェのことを理不尽にあつかったりしない、見た目は不愛想でも根は優しい、ルーシェと年の近い少年。
そんな存在は、当然だがスラム街にはいなかった。
だから、シャルロッテに、エドゥアルドに出すための食後のコーヒーの準備を任された時、ルーシェはやる気でいっぱいになった。
このままここで働くためには、エドゥアルドにルーシェを認めてもらうことが必要だったし、自分の淹れたコーヒーを飲んでもらうのは、よくわからないが、なんだか嬉しいと思ったからだ。
コーヒーの淹れ方も、ルーシェはシャルロッテからしっかりと教え込まれている。
名前だけは聞いたことのあるこの謎の飲み物に接するのは、ルーシェは生まれて初めてのことだったが、なんとか淹れ方はマスターしている。
もちろん、エドゥアルドの好みの淹れ方を、だ。
正直、ルーシェはこの黒っぽい液体を口にしてみた時、(泥水みたい……)と、スラム街でのつらい生活がフラッシュバックしたので好みではないのだが、エドゥアルドは好きらしく、なにかにつけて飲んでいるらしい。
ただ、ミルクや砂糖はいれるとのことだから、もしかすると同じようにすればルーシェもコーヒーを好きになれるかもしれなかったが、ミルクも砂糖もルーシェからすれば高級品で、見習いの分際で使うのはなんだか気がひけたので試してはいない。
我ながら貧乏根性が染みついているとは思ったものの、このままこのシュペルリング・ヴィラで働いてさえいれば、試せる機会もあるはずだった。
食後のデザートに合わせて出せるように、「今のうちにコーヒーの準備を」とシャルロッテから耳打ちされたルーシェは、急いで、だが教え込まれたマナーを守りつつエドゥアルドの食卓を退出すると、そこに用意してあったカートからコーヒーを淹れる道具を取り出し、コーヒーを淹れる準備した。
それから、いつでもアツアツのコーヒーが出せるようにと用意されていた火鉢の火で保温容器にいれられていたお湯を沸かしなおし、あらかじめ用意されていた器具を使って、慎重に何度も確認しながらコーヒーを抽出していく。
すぐに準備は終わった。
練習はしていたが、本番は初めてなのでかなり緊張してしまったが、自分でも思ったよりもしっかりできたと思う。
ルーシェは抽出の終わったコーヒーをポットに入れ替え、コーヒーカップやソーサー、スプーン、角砂糖やミルクなどをお盆の上にひとまとめにすると(使われている食器はすべて銀製だった)、それらを落としたりしないように慎重に歩いてエドゥアルド公爵の食卓へと戻った。
タイミングは、ばっちりだった。
ちょうど、エドゥアルド公爵の食卓にはデザートのケーキが並べられようとしているところで、ルーシェはちょうど良く、淹れ立てのコーヒーをエドゥアルドに提供することができる。
これは、おそらくはシャルロッテが、ルーシェがコーヒーを淹れて戻ってくるまでの時間まで計算に入れて、うまくデザートを出すタイミングを合わせてくれたおかげだろう。
とにかく、初めてのエドゥアルド公爵への給仕は、うまくいきそうだ。
ルーシェは内心で手ごたえを感じながら、それでも、あくまで公爵家のメイドとしての立ち振る舞いを見せながら、エドゥアルドの食卓へと近づいていく。
そんなルーシェに、ちらり、とエドゥアルドが視線を送る。
彼はすぐにルーシェから視線をそらしてしまったが、一瞬だけ、ルーシェの姿を見て意外そうな、少し感心したような表情を見せたのを、ルーシェは見逃さなかった。
きっと、ルーシェがきちんとコーヒーを淹れて戻って来たのに感心してくれたのに違いなかった。
しょせんその程度のこと、ではあるものの、ルーシェは誇らしいような気持になる。
だが、同時に、なんだかふわふわとするような、不思議な感覚も覚えていた。
エドゥアルドと視線が合った瞬間、自身の心臓の鼓動が一度、トクン、と跳ねるようになり、足が宙に浮いたような気がした。
いや、実際に、ルーシェの足は宙に浮いていた。
右足を前に出そうとした時に、なぜか自身の左足に引っかけ、そのままバランスを崩して転倒してしまったのだ。
「ひょっ、ひょわぁっ!!? 」
ルーシェは、そんな悲鳴をあげながら、エドゥアルドのために用意したコーヒーと一緒に転倒した。
※作者より
ドジっ子メイド 爆☆誕




