第21話:「すずめ館|(シュペルリング・ヴィラ):2」
第21話:「すずめ館(シュペルリング・ヴィラ):2」
「うふふ。シャーリーにずいぶんしごかれているみたいだけど、アンタ、なかなか筋がいいみたいじゃないの。ルーシェ」
ルーシェがすずめ館(シュペルリング・ヴィラ)で働くようになってから、何日も経過したある日。
厨房で、今日の夕食に出す料理の下ごしらえを手伝っていたルーシェの姿を機嫌良さそうにながめていたマーリアがそう言って、笑いながら話しかけてきた。
「おかげで、シャーリーも、あたしも、ゲオルクも、ずいぶん助かっているわ」
「ありがとうございます。メイド長さま」
包丁を使ってジャガイモの皮をむいていたルーシェは、マーリアに「助かっている」と言われて、とても嬉しい気持ちになった。
実際、自分でも、この館での仕事に慣れてきていると思う。
毎日毎日、朝は早いし、やることはたくさんあってキリがなかったが、それでもルーシェはシャルロッテの指導で確実に仕事を覚えて、モノにしてきている。
最近は、服のアイロンがけのやり方を習った。
鉄製のストーブの上で暖めてから使うこて形アイロンで、練習台として用意してもらった古着を使ってしわをのばす練習をさせてもらった。
最初は、こて形アイロンを熱し過ぎて布を焦がしてしまったり、逆に熱しかたが足りなくて服のしわが全然のびてくれなかったりと、なかなかうまくいかなかった。
だが、最後には1人で、アイロンを熱するストーブの火おこしのやり方から、火加減の調整、アイロンの上手な熱し方や、服のしわをのばすコツなど、一通りのことをできるようになっていた。
「あなたは、物覚えが早くて、助かります」
うまくアイロンがけ出来た服を見せた時、シャルロッテはそう言いながら微笑んで、ルーシェの頭を優しくなでてくれた。
ルーシェは、全身がむずかゆくなって身悶えするくらいに嬉しかった。
最初は、大変だ、これからどうなることだろうか、と不安に思ったものだったが、案外、ルーシェはシュペルリング・ヴィラでの生活に馴染めてきている。
バーニーズマウンテンドッグという種類だと判明した犬のカイは、昼は御者のゲオルクの手伝い、夜は番犬となって働いているし、猫のオスカーも、以前しでかしたように獲物を並べて誇示することはなくなったが、順調に館に巣くうねずみたちを退治してくれているようだ。
おかげで食糧庫が安全になり、公爵のために用意した高価なハムやソーセージ、チーズがかじられることがなくなったと、マーリアは大喜びだ。
毎日大変ではあったが、ルーシェの日々は充実していた。
「ルーに、あ、いえ、わたしにお任せです! お料理だって、教えていただければ上手に作れるようになってみせます! 」
「あら、これはまだ、ダ・メ・よ? アルエット王国仕込みの、公爵家代々の味なんだから。簡単には教えられないわ」
ルーシェははりきってそう申し出たが、マーリアは少し怒ったように首を振ったので、(まずいことを言っちゃいました……)と、ルーシェはしゅんとなる。
そんなルーシェに、マーリアはまた「うふふ」と、機嫌良さそうに笑みを見せた。
「まぁ、そのうちに、ね。まずはシャーリーに教えてやらなくっちゃ。……あの子、料理はてんで、ダメなんだから」
「えっ? そうなんですか? シャーリーお姉さま、なんでもできちゃって、素敵だなって思うんですけど」
「いやいや、それが、違うんだよ。切ったり挟んだりするのは得意なんだけどねぇ。どうしてか、こうやって出汁をとったりさせると、焦がしちゃうのよ」
マーリアは、ルーシェとおしゃべりをしながらだったが、鍋で煮込んでいる出汁の具合を見るのには少しも気を抜かない。
出汁は、タウゼント帝国の隣国、アルエット王国で発達した宮廷料理(作者注:アルエット王国はフランスモデルです。なので、この場合は[フランス料理]とお考え下さい)の味の決め手となる重要なもので、牛の肉や骨をはじめ、様々な材料を使った種類があり、何時間も丁寧に煮出して作られるものだ。
ノルトハーフェン公爵家では、もちろんタウゼント帝国の伝統的な料理もよく食べられてはいるが、こうして隣国であるアルエット王国の文化も取り入れられている。
これは、タウゼント帝国の海の玄関口として、諸外国と交易している分、交流が盛んであるためかもしれない。
公爵家代々の秘伝の技でマーリアが煮出した出汁は、その日の夕食に使われ、その次の日の朝食、昼食と、様々な料理に形を変えて公爵に提供されることになる。
だから、マーリアとしても、おいそれと自分以外の誰かに出汁をとらせるわけにはいかないのだろう。
(メイド長さまも、忙しくって、大変……)
本来であれば何人ものメイドたちを束ねて、役割分担をさせ、仕事を調整して使用人たちが効率よく働けるように監督することがメイド長の職務のはずだったが、マーリアはこうして厨房で働いているし、ルーシェが来る以前は洗濯も1人でこなしていた。
ルーシェはもちろん、シャルロッテにも指示を出すだけで良いはずの立場なのに、マーリアはこうしてルーシェたちと同じように働いている。
すべて、このシュペルリング・ヴィラで雇われている使用人が、極端に少ないせいだった。
ここで働くのに慣れて来てからルーシェはより一層強く疑問に思うようになったのだが、どうして、こんなに人が少ないのだろうか。
この館に暮らしているのは、その主であるエドゥアルド公爵と、その使用人たちがたったの数名だけ。
それ以上必要ないからというのであれば不思議に思うことなどなにもないのだが、他の使用人たちに指示を出して監督することが職務であるはずのメイド長が、自ら働いているところや、ルーシェ自身が実際に働きながら感じている忙しさからすれば、明らかに雇う人間の数は足りていない。
公爵といえば、言うまでもなく、このノルトハーフェン公国を治めている領主。
大貴族で、一国の持ち主だ。
そんなエドゥアルド公爵が、たった1人だけでこのシュペルリング・ヴィラに、それも、本来であれば公爵家の[別荘]として建てられた場所に住み、少ない人数の使用人たちだけを従えている。
それは、やはり、おかしいことなのではないだろうか。
「こら。ルーシェ、手が止まっているよ」
「あっ、すみませんっ、メイド長さま」
考え込んでいたルーシェはマーリアにしかられて、慌てて作業を再開したが、シュペルリング・ヴィラに存在している大きな違和感の理由が気になってしかたがなかった。
マーリアたちに、せっかく気に入ってもらえたのに、それを台無しにしたくない。
ルーシェはそう思いはしたものの、やはり、気になる。
「あのぅ……、メイド長さま。1つ、おうかがいしても、よろしいでしょうか? 」
ジャガイモの皮むきを必要な数だけ終えた後、ルーシェは、おずおずとマーリアにそうたずねていた。
追い出されるかもしれない。
そういう不安はあったが、やはりシュペルリング・ヴィラの奇妙な現状が気になったし、なにより、ルーシェはもうこの公爵家に仕えるメイドなのだ。
もう、自分には無関係なことではない。
そんな思いが、ルーシェの口を開かせていた。




