第124話:「決闘:4」
第124話:「決闘:4」
エドゥアルドは、フェヒターの生殺与奪の権利を握っている。
それは、エドゥアルドがノルトハーフェン公爵で、フェヒターが準男爵であるという[身分]ではなく、フェヒターの喉元にエドゥアルドがサーベルを突きつけているという、[物理的]な意味で、だ。
今なら、エドゥアルドはフェヒターを殺害できる。
ほんの少し、サーベルを動かすだけで、エドゥアルドを脅かす不愉快な敵が1人、消える。
だが、エドゥアルドは、サーベルを引いた。
敗北という屈辱にまみれ、生死の権を握られているという恥辱に歯を食いしばりながら耐えていたフェヒターは、そんなエドゥアルドの姿に拍子抜けしたような顔になる。
「勝負はついた。……これは、決闘だ。負けを認めた相手を斬ることは、できないだろう」
フェヒターから数歩距離を取り、フェヒターから反撃をされても十分に対処できるだけの間合いをとったエドゥアルドは、そう言いながらサーベルの切っ先をおろす。
剣を鞘に納めたわけではなかったが、エドゥアルドはもう、戦うつもりはないようだった。
そして、真剣に言っている。
それは、彼の表情と、落ち着いた口調からもわかる。
「くっ……! 」
フェヒターは、心底悔しそうにエドゥアルドのことを睨みつけながらうめく。
エドゥアルドに、負けた。
それどころか、情けまでかけられた。
フェヒターからすれば、これ以上ないほどの屈辱だった。
「勘違いするなよ、フェヒター」
そんなフェヒターの様子を眺めながら、「フン」と鼻を鳴らしたエドゥアルドは、自分が簒奪を目論む反逆者であるフェヒターを斬らない理由を口にする。
「僕がお前を斬らないのは、これが、正々堂々、1対1の決闘であり、お前が帝国貴族の末席に連なる、僕の臣下だからだ」
「なにをっ……! 」
「お前が決闘に自分の部下を介入させようとしたことには、目をつむってやる」
フェヒターは反発して声をあげたが、エドゥアルドにそう言われるとすぐに押し黙った。
エドゥアルドに1対1で敗北し、部下のごろつきたちもシャルロッテによって抑えられてしまったのだから、ここでフェヒターがなにを言おうと、それは負け惜しみにしかならないということを理解できたからだ。
「帰って、エーアリヒ準伯爵に伝えるがいい。……僕は、必ず、僕自身の手に公国を取り戻す、とな」
エドゥアルドはそう言うと、ようやく剣を鞘に納めた。
そして、くるり、と振り返って、フェヒターに背を向ける。
エドゥアルドのその行為には、「僕の言いたいことは言ったから、さっさとどこかへ行け」という態度があらわれている。
それは、不用心な行動だった。
フェヒターはエドゥアルドへの敗北はどうしても認めがたい性格であり、エドゥアルドが背中を見せれば、襲いかかって来るかもしれないからだ。
実際、フェヒターの手は、ピクリ、と、エドゥアルドを突き刺したいという衝動によって動いた。
だが、フェヒターはそれを実行に移せない。
静かに投げナイフをかまえながら、シャルロッテがフェヒターたちを威圧し続けていたからだ。
「……行くぞ、お前たち」
フェヒターは口から唾を吐き出すと、怒りで顔に青筋を浮かべたまま剣を鞘に納め、シャルロッテに制圧されて身動きの取れなくなっていたごろつきたちにそう命じた。
そしてフェヒターがさっさと歩きだして行ってしまうと、ごろつきたちは慌ててその後を追う。
「よっ……、よかったぁ……っ!! 」
フェヒターたちの姿が消えてしまうと、ようやく安心できたルーシェは、へなへなとその場にへたり込んでしまう。
いろいろな感情が、渦巻いている。
ごろつきたちに捕まってナイフを突きつけられた時は本当に怖かったし、フェヒターが口先ではなく高い技量を持った剣士であり、エドゥアルドが追い詰められる場面では、心臓が張り裂けるのではないかと思うほど、怖くて、心配だった。
そんなルーシェの前に、投げ捨てたマントを拾い、ほこりをはらってからそれを身につけ直したエドゥアルドがやってきて、ルーシェへと手をのばす。
「エドゥアルド……、さま……? 」
ルーシェが戸惑いながら見上げている前で、エドゥアルドの手は、ルーシェの頭にのびてくる。
エドゥアルドの手はリボンを切られてしまったことでほどけてしまったルーシェの髪を優しくすいたあと、ルーシェの頭の上に来て、そっと、ルーシェの頭をなでてくれる。
そして、きょとんとしているルーシェに、エドゥアルドはいろいろな感情の入り混じった表情を浮かべながら、言う。
「その……、悪かった、な。怖かっただろう? ……お前が無事で、本当に、よかった」
それは、ルーシェを危険な目に遭わせてしまったことへの強い後悔と、彼女酷い怪我をせずに済んだという、心からの安堵が混ざり合った表情だった。
「エドゥアルドさまっ! 」
ルーシェの涙腺が、決壊する。
そしてルーシェは、思わず、エドゥアルドにすがりついて、わんわんと泣きじゃくっていた。
本当に、本当に、怖かったのだ。
だが、それよりもなによりも、ルーシェは嬉しかった。
自分からは、はるかに遠い、雲の上の人。
そんな風に思っていたエドゥアルドが、きちんとルーシェのことを見て、本気で心配して、そして、ルーシェが無事であったということを、心から喜んでくれている。
今日は、ルーシェにとって、忘れられない1日になるだろう。
見たことのない素敵なものをたくさん見て、カイとオスカー、大切な家族に喜んでもらうためにたくさん悩んでお土産も買って、そして、怖い思いもしたけれど、ルーシェは、エドゥアルドたちの近くに自分の居場所があることを知ることができた。
そうなったらいい。
そうなれたらいい。
そんなルーシェの願いは、とうに叶っていた。
自分の膝に抱き着いてわんわん泣いているルーシェに、エドゥアルドは最初、驚いて戸惑っていたものの、すぐに優しい顔になって、ルーシェの頭をなでてくれる。
それは、公爵家のメイドとしてふさわしい態度とはとても言えなかったが、普段は厳しくルーシェを指導しているシャルロッテも、小さく肩をすくめ、そして暖かそうに微笑んで、許してくれた。
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「人数を集めろ。……できる限り」
エドゥアルドに決闘で敗北し、情けまでかけられた。
これ以上ないほどの屈辱の中にあったフェヒターは、城壁から降り、人気のない路地に入り込むなり、つき従っているごろつきたちにそう命じる。
ごろつきたちは、呆けたような顔でフェヒターのことを見つめ返した。
散々な目に遭わされたばかりで、今から新しいことなど始めたくないという態度だった。
「武器も、できるだけ集めろ。……オズヴァルトから買いつけた銃も出せ」
しかし、フェヒターはそんなごろつきたちのことなどかまわず、言葉を続ける。
怒りで思考を支配され、もう、周りが見えていないのだ。
「その……、フェヒター準男爵、様? なにを、なされるおつもりで……? 」
そのフェヒターの切羽詰まった態度と、命じられている内容があまりにも不穏であったために、ごろつきの1人がおずおずとそうフェヒターにたずねる。
その瞬間、フェヒターは腰のサーベルを引き抜き、一瞬で、そのごろつきの喉笛に刃を突きつけていた。
そして、その双眸を見開きながら、叫ぶ。
「オレは、準男爵じゃない! ノルトハーフェン公爵だ! 」
そのフェヒターの態度に、ごろつきたちは戦々恐々とする。
彼らは荒事には慣れているはずだったが、そんな彼らを恐れさせるほどに、今のフェヒターの姿は鬼気迫るものだった。
「……さっさと、動け! この、役立たずどもが! 」
フェヒターは、ビクビクとこちらの顔色をうかがっているごろつきたちを睨みつけながら、そう言って彼らに命令を実行するようにうながす。
ごろつきたちの中にはシャルロッテが投げつけたナイフが突き刺さったままのような者もいたが、彼らは血相を変え、フェヒターの命令を実行に移すために散って行った。
「あの……小僧! 殺してやる! ……絶対に、殺してやる! ……あの、メイドもだ! 全員、始末してやるぞ……! ……いや、徹底的に、痛めつけて! あの小僧の目の前で、辱めてやる! ……そうだ! 思い知らせてやるんだ! 」
ごろつきたちが消えて行った後、1人、残されたフェヒターは、自身の親指の爪を噛みながら、何度も、何度も、そううわごとのようにくり返していた。




