第115話:「ミヒャエル少尉:1」
第115話:「ミヒャエル少尉:1」
演習で、エドゥアルドを暗殺者から守るためにその身を挺したミヒャエル少尉、ミヒャエル・フォン・オルドナンツは、負傷してからずっと、ポリティークシュタットに設置された軍病院で療養していた。
外傷自体も深いものだったが、暗殺者のナイフには毒がぬられており、その毒のおかげでミヒャエル少尉の回復は遅いものとなってしまっている。
ただ、着実に回復は進んでいた。
ミヒャエル少尉が若く、体力のある健康的な青年だったということも大きいが、マーリアが施した応急処置が、本職の医師からも称賛されるほど適切なモノであったことも大きかった。
エドゥアルドは自身の命の恩人であるミヒャエル少尉のことを気にかけ、逐一その容態の連絡を受けてきていた。
お見舞いも、本当はもっと早くに行いたかったのだが、ミヒャエル少尉が回復しきっていないうちは安静にし、治療に専念してもらわなければならず、ずっと先送りにされてきたことだった。
エドゥアルドは準備を整えると、日が十分にのぼり、空気が少し暖かくなってきたころに出発した。
エドゥアルドの予定では、午前中にミヒャエル少尉を見舞い、昼食をともにし、午後はルーシェに息抜きをさせることも含め、ポリティークシュタットを観光してからシュペルリング・ヴィラへと帰還する予定だった。
エドゥアルドがシュペルリング・ヴィラの外で食事をするというのは、異例のことだった。
公爵位を巡る簒奪の陰謀が進められている中で、エドゥアルドは基本的に、マーリアが調理したものしか口にしないことにしているからだ。
これは、純粋にマーリアの料理が好きだからというのもあるが、当然、毒殺などの暗殺を防ぐ目的もある。
しかし、エドゥアルドは、ミヒャエル少尉とどうしても昼食をともにしたかった。
そうすることで、エドゥアルドがミヒャエル少尉に強く感謝しているということを示したかったからだ。
公爵と、同じ食卓に着き、同じ食事をする。
それは、ノルトハーフェン公国に仕える貴族にとっては名誉とされることで、それ自体が褒美ともなり得ることだった。
実権を持たない公爵であるエドゥアルドには、感謝を示すためにできることというのは少ない。
ミヒャエル少尉に恩賞として領地を与えることや、報奨金を出すことさえ、エドゥアルドの一存ではできない。
階級を1つあげて中尉とすることだけはエーアリヒにも話を通し認めさせてあるが、エドゥアルドの内心では、もっと上の階級につけたいと思っている。
それは、エドゥアルドの命を守ってくれたことへの感謝であるのと同時に、味方の少ないエドゥアルドのために誠実に働いてくれる臣下を、できるだけ強い立場につけたいという、エドゥアルドにとって深刻な、政治的な理由もあることだ。
もっとも、そんなことはお見通しで、エーアリヒは中尉への昇進だけを認めたのに違いないが。
公爵と共にする食卓は、そんなエドゥアルドからの、ミヒャエル少尉への精一杯の感謝だった。
自分がどれだけ感謝しているかを形にはできないエドゥアルドは、その気持ちだけでもなんとか伝えようとしていた。
そのためにマーリアを先行させ、ミヒャエル少尉が入院している軍病院の調理場を借りて昼食の準備を進めてもらっている。
毒殺を警戒しなければならないエドゥアルドがミヒャエル少尉と昼食を共にするためには、わざわざそこまでしなければならなかった。
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「なるほどー。それだと、お屋敷にわたしだけになってしまいますから、それで、わたしもお休みをいただけたのですね」
シュペルリング・ヴィラからポリティークシュタットへと向かうエドゥアルドの馬車の車内で、マーリアがすでに先行して昼食の準備をしていると聞かされたルーシェは、納得と残念さが入り混じったような表情を浮かべていた。
エドゥアルドが、自分の頑張りを認めてお休みをくれた。
そう喜んでいたルーシェだったが、自分のお休みは、屋敷にルーシェ以外の誰もいなくなるからという理由で、あくまで[もののついで]に与えられたのではないかと、そう思えてきてしまったからだ。
「いや、ルーシェ。お前に休みをやりたいと思っていたのも、本当だぞ」
お休みをもらえたと思ってウキウキと楽しそうだったルーシェ。
そのルーシェのテンションがあからさまにしぼんでしまったのを見て、エドゥアルドは少し慌てて弁明する。
「兵士たちへの差し入れもそうだし、僕のためにお前なりに考えて、頑張ってくれているだろう? ……それが、僕には嬉しかったんだ。感謝している」
「そう……、で、ございますか? 公爵さまっ」
真面目に言うエドゥアルドの言葉に、ルーシェはぱぁっと表情を輝かせた。
エドゥアルドの言うことならなんでも正しいのだと、少しも疑っていないような様子だ。
「うふふっ。お休み、嬉しいな! お天気もよくって。……あ、でも、そうすると、お屋敷にはカイとオスカーだけってことに。なんだかちょっと、かわいそう……」
再び元気を取り戻したルーシェだったが、屋敷に2匹だけ残してきてしまったことに気づき、また悲しそうになる。
シュペルリング・ヴィラには警護の兵士たちが残っているので寂しくはないはずだったが、ルーシェが帰る頃にはきっと、すっかりヘソを曲げてしまっていることだろう。
ころころと表情の変わるルーシェの様子に、エドゥアルドは苦笑しながら言う。
「それは、まぁ、お土産を買ってやるってことで。……そのために、いくらか持って来たのだろう? 」
「はい! ……でも、公爵さま、あんなにたくさんお給料をいただいてしまって、良かったのでしょうか? 」
「いいんだ。というか、大した金額でもないと思うが……? 」
エドゥアルドが本気で首をかしげると、ルーシェはかっと目を見開き、大真面目な様子で断言した。
「いいえ! 大金でございますよ! ルーが住んでいたスラム街であれば、事件が起きるほどに! 」
「そんなになのか? ……まぁ、うちの使用人はずっと、働きづめだから、それくらいは出させてもらうさ。帰りに店によるから、それまでになにを買うかを決めておいてくれ」
「はい! ありがとうございます! 公爵さま! 」
ルーシェは元気に笑ってうなずくと、それから、心の底から楽しくてしかたがないという表情で、前から後ろへと流れていく車窓の景色に視線を送る。
そんなルーシェの様子を見ながら、(誘って良かった)などと考えていたエドゥアルドだったが、ふと、ルーシェの隣にすました顔で腰かけていたシャルロッテが、じっとこちらをジト目で見つめていることに気がついた。
(ルーシェに、甘いですね? 公爵殿下)
ミヒャエル少尉に見舞いの品として差し入れるシュトレンが入ったかごを膝の上に乗せているシャルロッテの視線は、そう言っているようだった。
(お前だって、そうじゃないか)
そのシャルロッテの視線に少し唇を尖らせながら、そう言いたげな視線を返すと、エドゥアルドは少し気恥ずかしそうに顔を車窓の方へと向けた。




