第114話:「お休み」
第114話:「お休み」
その日の朝は、一際、寒さが厳しかった。
ルーシェはいつものメイド服の下に何枚か服を重ね着して、凍えるような空気の中、毎朝行っているメイドとしての仕事をこなさなければならなかった。
だが、ルーシェの足取りは、寒さにも負けず、軽やかだった。
スラム街でまともな屋根も壁もないような環境で生活していたルーシェにとってはこの程度の寒さはまだまだ序の口であったというのもあったが、なにより、今日のルーシェは、朝の仕事を終えたら実質[お休み]だったからだ。
それは、ルーシェの主人、エドゥアルド公爵が、毎日頑張って働いているルーシェのために用意してくれた、[ご褒美]だった。
この日、エドゥアルドは、以前暗殺者の手から身を挺してエドゥアルドを救ってくれた若手の士官、ミヒャエル少尉を見舞うために、彼が入院している軍病院を訪れるために外出する。
ルーシェは、そのエドゥアルドの外出に同行することを許されていて、その間は、メイドとしての仕事はしなくてよい、そういうことになっている。
行先も決められているし、ルーシェに行動の自由はほとんどなかったが、ポリティークシュタットはルーシェにとってまだ見たことのない街であり、観光に行くのとなんら変わらなかった。
ルーシェは、メイドとして働くことが好きだった。
それは、メイドとして働き、エドゥアルドたちの役に立つことが、自分がこのシュペルリング・ヴィラにいてもいい理由だと、ルーシェがそう定義しているというのもある。
だが、なによりもルーシェは、自分の働きで誰かが喜んでくれたり、ルーシェのことをほめたりしてくれることが嬉しかった。
それは、なによりも、ここがルーシェにとっての[居場所]であると、彼女に思わせてくれるからだ。
だから、働かなくていい、休んでいいと言われても、お仕事をしたくて少し身体がうずうずとしてしまう。
ルーシェはすっかり、ワーカーホリック気味の女の子になっていた。
だが、エドゥアルドからの[ご褒美]でいただいたお休みとなると、そんなルーシェにとっても特別に嬉しいもので、ルーシェはその話を聞いて、理解した時から、それが楽しみで仕方がなかった。
昨日などは、なかなか寝つけなかったほどだ。
朝の仕事を終え、エドゥアルドのための朝食の給仕と、その後始末が終わると、もう、ルーシェのお休みを始まっていた。
ルーシェはメイドとしてのお仕事を[禁止]され、自分の部屋に戻り、エドゥアルドに同行するための身支度を始める。
といっても、ルーシェはメイド服以外の衣装を持っていないし、お化粧の道具も持っておらず、そのやり方も知らなかったから、せいぜいできることと言えば衣服と髪を整え、お気に入りの青いリボンを結び直すことくらいだった。
それでもルーシェは、鼻歌交じりに鏡と向き合っていた。
精一杯のおしゃれをして、見たこともない場所に外出して、お仕事を忘れて時間を過ごす。
ルーシェにできることは少なかったが、それは、ルーシェにとっては今まで経験したくともすることのできなかったことであり、嬉しくてたまらない。
そんなルーシェの姿を、まだ寒そうにベッドの上で身体を寄せ合っていた犬のカイと猫のオスカーが、ジトーっとした瞳で見つめている。
2匹は、あからさまに不機嫌そうだった。
なにしろ、昨晩はあまりの嬉しさにハイテンションとなっていたルーシェにさんざん話を聞かされ、そしてなかなか寝つけずベッドの中でソワソワとしていたルーシェのおかげで、2匹も安眠することができなかったからだ。
それに加え、ルーシェが、やたらと楽しそうにしているということが、2匹にとっては不満だった。
カイもオスカーも人間の言葉を理解できはしなかったが、ルーシェの様子からなにかいいことがあったこと、そしてこれからどこかへお出かけするのだということは、なんとなく察することができている。
自分たちには内緒で、なんだか楽しそうなところへ遊びに行く。
行き先が病院なので動物は立ち入ることが許可されず、必然的に置いていかれることになった2匹からすれば、なんとも恨めしく、妬ましいのだ。
2匹ともルーシェのことが大好きだったし、ルーシェのためだったら身体を張るくらいのことはしてくれるのだが、ルーシェから濃厚ににじみ出ある[幸せオーラ]を一晩中、間近で浴びせられ続けたのだ。
多少、不満を持つのはしかたがない。
「うふふふっ。ごめんねっ、カイ、オスカー! なにか、お土産を買ってくるから、大人しく待っててね! わたしがお出かけしている間、お屋敷のこと、よろしくね? 」
ルーシェは身支度を終えると、自分のことを不満そうに見つめている2匹に満面の笑みを向け、両手でそれぞれの頭をなでてやりながらそう約束をする。
ご褒美で、お休みをいただいたのだ。
今日のルーシェは、多少の我がままなら、きっと、エドゥアルドたちに聞き入れてもらうことができる。
だから、ミヒャエル少尉を見舞った後、どこかのお店で2匹へのお土産を買うことができるはずだった。
スラム街にいたころにはまったく考えも及ばないことだったが、今のルーシェの手元には、お金があった。
公爵家のメイドとして働いた対価として、エドゥアルドが用意してくれたお給料だった。
それが、多いのか、少ないのか。
ルーシェにはよくわからなかったが、少なくとも、スラム街で暮らしていたころにルーシェが1度に手にしたことのある最大の金額よりは多い。
少なくとも、スラム街にいたころなら相当な期間生活していけるし、泥棒されないように秘密の場所に隠したり、[お金があります]的なことは口が裂けても言わないように気を使ったりしなければならない程度の額はある。
きっと、カイとオスカー、この2匹の大切な家族を喜ばせるくらいのお土産は、買ってくることができるはずだった。
まだ、出発の時間には少し早い。
だが、お出かけが待ちきれないルーシェは、最後にもう一度鏡で自身の身だしなみを確認し、2匹にお土産を買うためのお金も持ったことを確かめ、2匹に「それじゃ、行ってきます! 」となんとも楽しそうに挨拶すると、ルンルン気分の軽やかな足取りで部屋を飛び出していった。




