第112話:「いら立ち」
第112話:「いら立ち」
ノルトハーフェン公国の首都、ポリティークシュタットは、数百年前の時の公爵が、公国全体の統治に都合の良い場所に意図的に築いた都市だった。
東は隣国のヴェストヘルゼン公国、北はノルトハーフェンの港町、南は帝国の中心部分へと続く交通の要衝に築かれたこの都市は、歴代の公爵が政務をとるための場所として使用して来た。
そして、そのポリティークシュタットの中枢に建てられた城館、ヴァイスシュネーが、歴代の公爵たちの住居であり、ノルトハーフェン公国の政治の中心だった。
だが、そこには今、ノルトハーフェン公爵の姿はない。
代わりにヴァイスシュネーで政務をとっているのは、摂政であるエーアリヒ準伯爵だった。
「エーアリヒ準伯爵! いったい、どうされたというのですか!? 」
国政をとるために用意された執務室に、フェヒター準男爵の、遠慮のない怒鳴り声が響く。
彼はいつもの自己顕示欲の強い派手な衣装に身をつつみながら、顔をその頭の髪の毛と同じくらい赤く紅潮させながら、その憤りをエーアリヒ準伯爵へと向けていた。
「なぜ、あの小僧を、さっさと始末しないのです!? あの、プロフェートとかいう家庭教師も小僧の身近に潜り込ませることにも成功したし、我が方に味方する者も大勢いる! あの小僧を片づけることなど、容易ではないですか!? 」
「フェヒター準男爵。……以前から言っているが、ことは、そう単純ではないのだ」
突然フェヒターが乱入してきたことで政務の手を止めていたエーアリヒ準伯爵だったが、彼は小さく首を左右に振ると、やや呆れたような、同時に、物わかりの悪い子供を諭すような口調で言う。
「物理的に可能ではあっても、一国を治める身となるためには、大義名分が必要だ。……公爵殿下を排除して貴殿が公爵位についたところで、その方法があからさまな暗殺であったのなら、臣下はついてこないし、なにより、皇帝陛下がお許しにならないだろう」
「だったら、そうならぬための策を、さっさと講じればよいのだ! 」
フェヒターにとっては、エーアリヒ準伯爵のそういう態度も気に入らなかった。
自分は、この、ノルトハーフェン公爵家の血筋に連なる者であり、自分こそが正当なノルトハーフェン公爵であるはずなのだ。
エドゥアルドを排除し、公国を名実ともに掌中に収めるという簒奪の陰謀は、確かにエーアリヒが主導して進めていることではあったが、フェヒターからすればエーアリヒはあくまで[対等な同志]であって、共犯者だ。
こんな風に、上から目線で諭されることなど、我慢ならなかった。
「そう、急くな。……貴殿の言う[策]の用意は、着々と進めているところだ。……いま少し時間があれば、すべての準備が整うだろう」
「それは……、いったい、いつになるのです!? 」
「さあな。さすがに私でも、はっきりと断言することはできない。……だが、それほど遠くはないだろう」
フェヒターは口から唾を飛ばしながらエーアリヒにつめよったが、エーアリヒは決して、フェヒターに明確な言質を与えなかった。
フェヒターは、いらだたしげに眉をひくつかせながら、エーアリヒのことを睨みつける。
準備は進んでいる。
そんなことを言ってはいるが、本当は、なにも進んではいないのではないか?
そもそも、エーアリヒには、簒奪を進めるつもりがないのではないか?
「いいでしょう。……今日のところは、引き下がりましょう」
フェヒターはエーアリヒへの疑念を抱きながらも、この場は引き下がることとした。
いくらフェヒターがエーアリヒを怒鳴りつけても、エーアリヒはのらりくらりとかわし続けると理解できたからだった。
フェヒターは、別れの挨拶もせずに、乱暴な足取りでエーアリヒの執務室を退出する。
(エーアリヒ準伯爵は、いったい、どうされたのだ? )
そして、配下のごろつきたちを待たせている場所に向かって歩きながら、フェヒターは疑念を強くする。
以前は、こんなことはなかった。
エーアリヒは[事故]に見せかけてエドゥアルドを手にかけようとし、[狩りはじめ]の儀式の最中に、それを実行した。
準備が必要だのなんだの言って新たな暗殺計画を実行せずにいるが、すでに1度、エーアリヒはエドゥアルドの命を狙っている。
つまり、エーアリヒが言う[準備]は、とっくの昔に終わっているはずなのだ。
それなのに、今のエーアリヒは、なんだかんだ理由をつけてエドゥアルドに手を出そうとしない。
あの、狩りはじめの儀式。
その夜に行われた祝宴から、様子がおかしくなったように思える。
なにか、状況に変化があったのか。
だが、簒奪の陰謀を目論む同志であるフェヒターに、エーアリヒはなにも教えてはくれない。
ヴァイスシュネーの廊下を歩いていく途中、フェヒターは、エーアリヒの執事であるコンラートとすれ違った。
コンラートはフェヒターの姿を見ると立ち止まり、恭しく頭を下げてフェヒターへの敬意を示したが、フェヒターは「フン」と鼻を鳴らしただけで、不機嫌そうな足取りでコンラートの前を通り過ぎただけだった。
エーアリヒは最近、この老いた執事に、フェヒターには内緒でなにかをさせている。
簒奪の共犯であり、同志であるはずのフェヒターに秘密で動いているのだ。
それが、フェヒターには不愉快でたまらない。
フェヒターは、コンラートがエーアリヒからなにを命じられて動いているのかを、配下のごろつきたちに探らせてみたりもした。
だが、老獪なコンラートには、しょせん金で雇われたごろつき風情では太刀打ちすることができず、なんの手がかりもつかめていない。
(もしや……、エーアリヒ準伯爵は、心変わりをしたのではないか? )
フェヒターの脳裏に浮かぶのは、そんな懸念だった。
だが、それならそれで、かまわないとも、思う。
(オレの[持ち物]くらい、オレの力で、取り戻してやるさ)
フェヒターにとって、ノルトハーフェン公国の公爵位を得ること、自分の正当な身分と権利を取り戻すことは、なによりも強い願いであり、フェヒターの行動原理を形作る信念だった。
そしてフェヒターは、自分について自信を持っている。
エーアリヒの力を借りずとも、自力でなんとかしてみせる。
それができると、フェヒターは信じている。
(その方がむしろ、公爵位を取り戻したあと、いろいろと動きやすくなっていい)
フェヒターはそう思うと、強く握り拳を作り、足早になった。
(そうだ。……エーアリヒ準伯爵の[傀儡]になるよりは、その方がいいじゃないか)
野心家で自信家のフェヒターは、その瞳にギラギラとした光を宿し、その口元に不敵な笑みを浮かべていた。




