第107話:「メイドは見ている:2」
第107話:「メイドは見ている:2」
真夜中の密室に、若い男女が2人きり。
その点だけ抜き出すとラブロマンスでも始まりそうな状況だったが、ヴィルヘルムとシャルロッテの間には、そんなつやっぽい雰囲気は少しもなかった。
あるのは、静かな殺気だけ。
本当にシャルロッテは、ヴィルヘルムの態度次第ではヴィルヘルムのことを殺害するつもりでいるらしい。
「……お話を、うかがいましょうか? 」
ヴィルヘルムは柔和な笑みを浮かべながらそうシャルロッテに言ったが、その顔には冷や汗がにじみ出ていた。
静かな視線で、冷徹にヴィルヘルムのことを見つめているシャルロッテが、相当な手練れであることがヴィルヘルムには理解できたからだ。
なんとなく、ヴィルヘルムはいつも、彼女に見られていることを自覚していた。
いつも見え見えのわかりやすいのぞき見をしてくるルーシェはかわいいものだったが、気配を消し、いつもヴィルヘルムのことを監視しているシャルロッテのことはずっと、恐ろしいと思っていた。
ヴィルヘルムにはかつて、暗殺に怯え、一時も気の休まらない時期があった。
当時、ヴィルヘルムはまだ幼く、また、名前も今とは異なっていたが、なにをするにも警戒を必要としたあの日々のことは、今でも鮮明に思い出すことができる。
シャルロッテは、その当時、今とは名前も立場も異なったヴィルヘルムの周囲に潜んでいた密偵や、暗殺者たちと似た[におい]をまとっている。
忘れたくとも忘れられない、そんな、独特な空気をまとっていた。
そのシャルロッテが、殺意と共に乗り込んできた。
まだ襲いかかってきてはいないのですぐにヴィルヘルムをどうこうするつもりはなく、本当にその態度によっては、ということらしいのだが、それでもヴィルヘルムの意識は張り詰めて今にも切れてしまいそうな糸のように緊張していた。
ヴィルヘルムは、エドゥアルドとの模擬戦で見せたように、剣術の高い技量を持っている。
だがシャルロッテは、おそらくはただのメイドではなく、諜報や暗殺の専門家だった。
ほんの一瞬の出来事が、生死にかかわる。
「プロフェート様。……昼間、貴方は、私の主に、剣を向けられましたね? 」
シャルロッテは、明らかに緊張し、こちらを警戒して油断なく身構えているにもかかわらず、その顔にはいつもの柔和な笑みをまるで仮面のように張りつけているヴィルヘルムを静かに睨みつけながら、静かにそう確認した。
「はい。……ですが、あれは木剣。それに、私が公爵殿下になんら危害を加える意図がなかったことは、貴方もご存じのはずでは? 」
「ええ。……見ていましたから」
ヴィルヘルムの返答に、シャルロッテは感情を表情に見せないまま、淡々とうなずく。
ヴィルヘルムは、エドゥアルドと対峙していた瞬間、その場にシャルロッテが存在していることを強く意識していた。
なぜなら、自分に向けられた、強い殺気に気づいていたからだ。
エドゥアルドに少しでも危害を加えたのなら、生かして返さない。
元よりヴィルヘルムにエドゥアルドへの害意などなかったのだが、シャルロッテが向けてきたその殺気は、ヴィルヘルムの行動を制止するのに十分なものだった。
もっとも、シャルロッテに[害意はなかった]などと言っても、彼女はそれを信じてはくれないだろう。
「しかし、その一件だけで、プロフェート様が公爵殿下の[お味方]であるとは申せません」
「つまり……、貴方は、私のことが信用できない、と? 」
「はい。……プロフェート殿。すでにお気づきでしょうが、貴方様の振る舞いは、ずっと監視させていただいておりました。……そして、貴方には一切、不審な点がなかった」
「そうであるのなら、私のことは信用に足る者である、とするのが自然なのでは? 」
シャルロッテの言葉に少しおどけたような口調でヴィルヘルムが答えると、シャルロッテはやや不愉快そうにヴィルヘルムのことを睨みつける。
「いいえ。……貴方の態度には、不審な点がまったくない。……なさ過ぎるのです。貴方は、あまりにも[白]過ぎる」
ゾワリ。
ヴィルヘルムの背中に寒気が走り、空気がより一層重たく、息苦しくなったように感じられる。
シャルロッテからヴィルヘルムへと向けられている殺気が、一段と濃くなっていた。
「どんなにお洗濯しても、シーツは純白とはなりません。使っているうちにいずれは少しずつ汚れていくものです。……それなのに、貴方はいつも、新品のシーツのように真っ白なお方でした。……あまりにも、現実離れしている」
シャルロッテの言葉を聞きながら、ヴィルヘルムはこの場から逃走する場合の経路を必死に考えていた。
扉は?
シャルロッテが塞いでいる。
他に出口は?
窓がある。
だが、ここは2階で、窓を開けている暇はないだろうから、底から逃げるのなら突き破って地面に落ちるしかない。
そして、騒ぎになれば、警備についている兵士たちが押し寄せて来る。
「お答えください」
シャルロッテはこの場から真剣に逃げる方法を考えているヴィルヘルムに問いかける。
「貴方は……、エーアリヒ準伯爵から、本当は、どのような任務を仰せつかっておいでなのですか? 」
その問いかけに、ヴィルヘルムは一瞬沈黙し、それから、ふっと微笑んだ。
そして、いつもと変わっているようには見えない、冷静で穏やかな声で答える。
「それは、もちろん。……公爵殿下に、ふさわしい学びを提供することでございます」
シャルロッテは、ヴィルヘルムの言葉を信じなかった。
彼女はすっ、と双眸を細めると、小さくため息をつく。
「しかたありません。……少々、ご無礼を働かせていただきます」
そして、シャルロッテがその手を素早く振るったのは、彼女のその言葉が終わるか終わらないかの内だった。




