第104話:「お前はどちらだ:2」
第104話:「お前はどちらだ:2」
エドゥアルドの言った通り、その日の天気は快晴、外で動くのには絶好の一日だった。
冬の快晴は、放射冷却現象によって朝晩には特に冷え込むのだが、すでに日は高くのぼり気温はあがり、辺りに降り積もった雪が溶け始めるほどになっている。
エドゥアルドはヴィルヘルムを、シュペルリング・ヴィラの裏の森の中にある自身の訓練場へと案内した。
毎日エドゥアルドが鍛錬のために通い詰めている訓練場は、そこに至る道までも踏み固められ雪がなく、気温の上昇で地面がぬかるんでいる他の場所とは違い、しっかりとしていて、少し乾いてさえいた。
ちょうど円形に、まるで決闘場のように、雪のない、しっかりとした地面が残っている。
「プロフェート殿。どうだろうか? 僕がいつも鍛錬に使っている場所なのだが」
「なかなか良い場所です。雪もなく足元もしっかりとしている。……それにしても、殿下。よく使い込まれていらっしゃいますね」
後で[足元がぬかるんでいたから負けた]などと言われてはたまらないと思い、エドゥアルドが確認すると、ヴィルヘルムはどこか楽しそうに周囲を見回しながら、感心したようにそう答えた。
ヴィルヘルムが見ていたのは、周囲の木々につるされた、エドゥアルドが剣術の鍛錬の際に用いている木製の的たちだった。
それらは何度も何度もくりかえしエドゥアルドが振るう木剣によって叩かれたためか表面の皮がすっかり削れていて、エドゥアルドがここでいかに熱心に鍛錬に励んできたのかがわかる。
「では、武器をかまえられよ。プロフェート殿」
エドゥアルドは余裕を見せているヴィルヘルムに内心で(今に見ているがいい)と思いながら、持って来た2本の訓練用の木剣の内の片方を彼へと渡す。
ヴィルヘルムはいつもの柔和な表情を浮かべたまま木剣を受け取ると、剣術の心得があると言っていた通り1対1での模擬戦のやり方を知っているのか、自然と適切な距離をとってエドゥアルドの方へ身体を向けた。
「では、殿下。……いつでもどうぞ」
そして、軽く身体を動かして慣らすとヴィルヘルムは穏やかに、だが挑発するようにそう言った。
「いいだろ。……若輩だからと、侮るな! 」
そんなヴィルヘルムの様子に少しカチンと来たエドゥアルドは、そう叫ぶなりかまえをとると、木剣を振りかぶってヴィルヘルムへと斬りかかった。
────────────────────────────────────────
エドゥアルドは、ヴィルヘルムと1対1で向き合うことにより、彼が自分にとっての敵なのか味方なのかを見極めようとしていた。
これまで、ヴィルヘルムはエドゥアルドたちが散々隙を見せたのにもかかわらず、不審な行動はとらないできた。
それは、ヴィルヘルムがエドゥアルドたちに[泳がされている]ということを見抜いているからだった。
このまま同じことをダラダラと続けていても、結果は得られない。
そうであるのなら、ヴィルヘルムのとびっきりの[チャンス]を与えることで、彼の理性を打ち砕き、その本性を出させようというのが、エドゥアルドの狙いだ。
そのチャンスとは、この、エドゥアルドと1対1、という状況だった。
エドゥアルドたちのことは、ルーシェが、そしてルーシェと違ってうまく身を隠しているがシャルロッテも見張っているはずだったが、絶対、確実にエドゥアルドを始末できるチャンスを与えれば、さすがのヴィルヘルムも理性を失ってその本性をあらわすだろう。
その瞬間をとらえ、ヴィルヘルムを拘束すれば、エドゥアルドはエーアリヒの陰謀の重要な生き証人を得られることとなって、一気に形勢を逆転できる。
人々は、自らに利益を与えてくれる、実権のある者に従う。
だが、そこに正当性がなければ、その状況は変わる。
なぜなら、ノルトハーフェン公国とは言っても、それはタウゼント帝国というより大きな国家を構成する1つのピースに過ぎず、その1つのピースの中で実権を掌握していようと正当性がそこになければ、より大きなタウゼント帝国によって踏みつぶされることになる。
エドゥアルドは、タウゼント帝国の皇帝の権威を利用し、エーアリヒを糾弾し、一気に自分自身の手にノルトハーフェン公国の実権を取り戻すつもりだった。
それはすべて、[エドゥアルドがヴィルヘルムに剣術で勝てる]という前提に立っている。
ヴィルヘルムが誘惑に負けて正体をあらわしてもエドゥアルドがその場で彼を取り押さえられず、本当に始末されてしまってはどうしようもないのだ。
エドゥアルドには、自信があった。
それは、彼が若く才覚にあふれているといううぬぼれからだけではなく、これまで1日も休むことなく鍛錬を続けてきたという事実が、エドゥアルドに[剣術では負けない]という絶対の自信を持たせていたのだ。
だが、エドゥアルドは、ヴィルヘルムに負けた。
ヴィルヘルムが体得していた剣術は、これまでにエドゥアルドが見たことも聞いたこともない、不思議なものだったからだ。
剣術には大抵、[かまえ]と、その[かまえ]から頻繁にくり出す動きの組み合わせというものが存在する。
かまえ、そしてそこからくり出す動きには、剣術の流派によって様々なものがあり、その組み合わせや、細かな差異、そして個人によるアレンジを含めれば、千差万別だった。
だが、同じ地域に続いている剣術の流派には、多少なりとも似通った点があることもあるし、ある種共通の[セオリー]のようなものもある。
なぜなら、今は異なる流派であってももとをただせば同じ流派から派生したものである場合もあるし、そもそも、同じ地域に存在する以上は他の流派とも交流すること、実戦で戦うこともあるから、自然と有効な動きは共有されていることが多い。
加えて、同じ武器を使っているのだから、その武器の[有効な使い方]にはどうしても共通項が生まれてしまうものだった。
ヴィルヘルムの剣術は、しかし、エドゥアルドがこれまでまったく知らなかったものだった。
あるいは、エドゥアルドの父が選んでつけた師範がエドゥアルドの父と共に戦地で没して以来、独学で鍛錬を続けたエドゥアルドの[剣術]が、いつの間にか古くなっていたのかもしれない。
厄介だったのは、ヴィルヘルムは異質な剣術を使うくせに、エドゥアルドが使う剣術は完璧に知っていたということだった。
相手の動きはまったく読めないのに、こちらの動きはすべてお見通し。
勝負になるわけがなかった。
エドゥアルドは数分間粘って見せたが、ヴィルヘルムの異質な剣術への戸惑い、そして自分自身の技がまるで通用しないという焦りから集中を切らした瞬間を突かれて、ヴィルヘルムに剣を弾き飛ばされてしまった。
エドゥアルドは剣を拾おうとしたが、しかし、ヴィルヘルムに木剣の切っ先を突きつけられ、身動きを封じられてしまった。
「勝負あり、ですね。殿下」
そう宣言するヴィルヘルムの表情は、あいかわらず、底の知れない柔和な微笑みだった。




