第102話:「授業:3」
第102話:「授業:3」
ヴィルヘルムの腹の内を探るための問答をしかけたエドゥアルドだったが、結局、ヴィルヘルムがなにを考えてこの場にいるのかは、わからずじまいだった。
ヴィルヘルムは真剣にエドゥアルドに意見をしようとしたのか、ただはぐらかすために適当に話を作ったのか、エドゥアルドにはわからない。
だが、それ以上追及することもできず、エドゥアルドはヴィルヘルムの授業をそのまま受けることとなった。
最初の授業となったその日に行われたのは、主に、エドゥアルドが実際にどの程度の学力を有しているのかを確認するための、テストのようなものだった。
この時代に[教育]を受けられるような者ならば大抵は知っている有名な著書を中心に、その内容をエドゥアルドがどの程度理解出来ているのかを確かめるようにヴィルヘルムが質問をし、エドゥアルドはそれに答えていく。
エドゥアルドは、ヴィルヘルムの質問に次々と正答していった。
先代のノルトハーフェン公爵と共に出陣し、戦死したエドゥアルドの元々の家庭教師によって、基礎的な事項はほぼ完ぺきに教育されていたし、父を失って公国の実権も失ったからの数年、エドゥアルドはいつかこの国を自らの手に取り戻すために、復習は怠っていなかった。
そうして、基礎的な学力をエドゥアルドが身に着けていることを確認すると、ヴィルヘルムはその先、政治や商工業、農業、軍事など、実践的な分野の教育へと進んでいった。
それらは、エドゥアルドが独学で学んでいた事柄だった。
エドゥアルドは、公爵家に残されていた書物を自ら読んでその内容を学び、ここ数年、自分なりに勉強をしてきたつもりだった。
だが、やはり正式な教師をつけずに独自に学んできたために、エドゥアルドの学んだことは偏っていた。
一通りのことをエドゥアルドは知っていたが、その知識は政治や軍事に傾き、商工業や農業などについては理解が浅い。
加えて、エドゥアルドの理解には、誤読による間違いや勘違いがあった。
「公爵殿下は、自力でよくぞここまでのことを学ばれましたね。……ご立派ではありますが、しかし、商工業や農業のことを知らなければ、一国を豊かにすることは叶わぬでしょう」
ヴィルヘルムにそう指摘されて、エドゥアルドは返す言葉がなかった。
エドゥアルドは公爵としての自分に誇りを持ち、自分が積み重ねてきた[努力]に自信も持っていたが、同時に、自分が若いということを自覚し、素直に他人からの指摘を受け入れるという側面も持っている。
エドゥアルドが、政治や軍事を重点的に学んできたのは、それが必要なことだったからだ。
公国の実権を自身の手に取り戻すために、エドゥアルドには政治的な能力が必要だったし、場合によっては軍事行動も必要だと思われた。
そしてなにより、多国家の攻防も関わって来る政治史・軍事史は、学んでいて面白いものだった。
歴史上に登場する人々が、様々な思惑を持ちながら複雑につむいできた歴史は、時にドラマチックであり、1つの[物語]として読みごたえがある。
だが、ヴィルヘルムの言うとおり、それだけでは名君とはなれないだろう。
とりわけ、ノルトハーフェン公国は、その国力を商工業に依存している。
天然の良港であるノルトハーフェンは古くからタウゼント帝国の交易の玄関口として栄え、その国家財政の大きな部分を、輸出入に伴う関税収入で確保している。
その経済活動こそがノルトハーフェン公国の国力の源であって、その扱い方を心得ていなければ、公国の統治は思うようにはいかないだろう。
ヴィルヘルムの授業は、真摯にエドゥアルドのためを思って行われているとしか思えないものだった。
エドゥアルドの学力を把握すると、ヴィルヘルムはその偏りを是正し、長所はさらに伸ばすようにカリキュラムを組み、翌日以降も授業を続けた。
エドゥアルドはもう、ヴィルヘルムの授業を適当に理由をつけて逃げ出したりはしなかった。
今でもエドゥアルドはヴィルヘルムのことを疑っていたし、授業中はすぐに駆けつけられる位置にシャルロッテがひかえ、仕事の合間をぬったルーシェがドアのすき間から様子をうかがっていた。
だが、実際にヴィルヘルムの授業はエドゥアルドにとって[ためになる]ものだったし、わかりやすいものだった。
エドゥアルドには、ますます、ヴィルヘルムがなにを考え、なんのためにここに派遣されて来たのか、わからなくなる。
エーアリヒは今でも公爵位を簒奪し、ノルトハーフェン公国を掌握するための陰謀を巡らせているはずで、ヴィルヘルムはその陰謀にかかわりがあるのに違いない。
だが、こうやって身になる授業をしているということは、陰謀によって葬り去るつもりでいるはずのエドゥアルドの能力を強化してしまうことになる。
エドゥアルド自身がどんなに知識を蓄え、名君としての素養を身につけようと、実権がないのだから葬り去ることは可能。
そんな風にエーアリヒは考えているのかもしれなかったが、少なくともエドゥアルドにとっては有益で、ありがたいことだった。
ヴィルヘルムはエドゥアルドに実践的な学問と、そして知識を応用するための思考法を教えたが、同時に、エドゥアルドからの要望にも応え、最新の情勢や軍事技術などについての教育も行った。
その出自についてはうさん臭いと言わざるを得ないヴィルヘルムだったが、その知識は本物だった。
彼は、帝国の中でももっとも優れた大学で教えるのと同じレベルのことをエドゥアルドに教えるだけではなく、最新の情報についてもどういうツテがあるのかよく知っていた。
あるいは、それこそ、ヴィルヘルムの背後にいるエーアリヒが、なんらかの形で関与しているのかもしれない。
中でも興味深かったのは、タウゼント帝国の西の隣国、アルエット王国で長く続いている内乱についての情報だった。
アルエット王国で起こった民衆の反乱は、やがて王権を打倒しようという革命に至り、革命を進めようとする革命派と、王権を守ろうとする王党派に分かれての内乱状態となっていた。
その内乱の当初は、装備も訓練も行き届いた王党派の軍隊が優勢であったが、何度壊滅させられてもどういうわけか復活する不思議な革命派の軍隊は徐々に戦況をくつがえし、今では革命派が優位に立っているのだという。
その、何度壊滅しても復活するという不思議な革命派という存在も興味深かったが、その革命派で用いられた戦法も、今までにないものだった。
それは、配備された野戦砲を集中運用し、[大放列]として攻勢正面に猛烈な射撃を浴びせ、その火力で戦列を打ち崩し勝利を得るというものだった。
大砲は各国で当たり前に用いられている兵器だったが、その重量から機動力に乏しく、一か所に集中させるということは容易ではなく難しかった。
特に、タウゼント帝国では兵権が各諸侯に分散しており、大砲も各諸侯の所有物であるために、皇帝がそれを望もうと諸侯のその[所有物]を[奪って]用いることはできない。
それが可能であるということは、アルエット王国の革命派で用いられている大砲にはそれだけの機動力があるというだけではなく、各部隊が保有する大砲を集中運用できる枠組みが存在する、ということだった。
ヴィルヘルムの授業は、エドゥアルドにとって有益で、興味深いものだった。
だが、それが実際に役立つようになるかどうかは、まだわからない。
それでもエドゥアルドは、その時が来ることを信じ、熱心にヴィルヘルムの授業にのめりこんでいった。




