2 鬼と野宿と魚
現在、天正元年五月十一日。
令和から天正へ、ざっと五百年のタイムスリップ?をしたのが昨日のこと。
私はまさにあばら家といった感じの、すきま風ぴゅうぴゅうの小汚い板の間で目を覚ましたところである。
寝て起きたら夢でした!という都合の良いことは起こらなかった。がっくしだ。
硬い床に寝転がった体はバキバキだし、ちょろちょろ動き回る謎の虫が気になって全然熟睡出来なかった。
最悪の目覚めの中視線をずらせば、壁を背に座り目を閉じる黒ずくめの男がいる。
男の名は天斗。
そして職業は忍らしい。
はは、忍って。アニオタですか?と笑い話に出来たらどんなに良かったことか。
残念ながら、彼はガチもんだ。
目の前を歩いていても足音がしない。瞬きの間に姿が消える。次に現れた時には、謎の鳥を鷲掴みしている。ちなみに謎の鳥は夕飯になりました。硬かったけど野性味溢れる味で美味しかったです。
「もう少し休んどった方がええで。今日は山を越えなあかんから」
目を開けることなく、口だけを動かす天斗。私の行動は見なくてもわかるらしい。エスパーですか。
どうして三人の男をぶった斬り、私に刀を突きつけてきた奴と一緒にいるのか。それは、ここが戦国時代らしいとわかったからだ。あんなに呆気なく人が殺され死ぬ時代なんて、生き延びられる気がしない。
それでも令和の時代に帰る術を探したい。訳もわからないまま死にたくない。そう思ったところに、天斗からの甘い言葉が降ってきたのだ。
行くあてがないんやったら一緒に来るか、と。
正直、天斗はやばい奴だと思う。
人を殺している時点で大分やばい。でもここが戦国時代で、よく戦があって人がバタバタ死ぬような世界なら、さもありなんって感じなのかもしれない。
やばい奴だと思っていながら天斗についてきたのは、虎の威を借りたかったっていうのはもちろんだけど、なんとなくこの男はもう私を殺そうとしないだろうって思ったからだ。もちろんこれは、ただの勘だ。
「山越えって、どこに向かってるの」
節々のバキバキ感からもう一度寝転がる勇気はなかったので、天斗と同じように壁にもたれかかる。
昨日は頭がパンパンで、先のことを聞く余裕がなかったのだ。
「仕事が一段落したから、家に帰るんや」
仕事、それが昨日の人殺しなのだろうか。聞きたくないのでスルーしよう。
「家はどこにあるの?」
あれかな、隠れ里的なやつかな。
「奥州の海の近くや。詳しい場所は秘密な」
器用に片目だけを開けて、そう言う天斗。この男の声は、心地良い響きを纏ってる。これで顔も良いならそうとうモテそうだ。
「はぁっ、はぁっ」
今朝の言葉、前言撤回。
あんな奴がモテるわけがない。
「早うせぇ、日ぃ暮れてしまうで」
随分と先から呑気に声を掛けてくる鬼。そう、あれは人の皮を被った鬼だ。
山越えとは聞いていましたよ、ええ。
でも、休憩ほぼ無しの強行軍だとは聞いてませんよ。しかも登山道なんてない獣道。そんな道を息を切らすことなく、スイスイと歩いて行く奴。
「まじ、鬼」
「こんな優しい鬼がおるわけないやろ」
悪口言ったら、影が出来て求めてない返事を返される。
「いや、人間業じゃないから」
顔を上げれば随分と先に居たはずの天斗が目の前で腕を組んでいる。
「そういうお前も、普通やないと思うけどな」
いやいや、あんたに言われたくないよ。私は普通だよ。確かに運動部に入っていない子に比べたら、毎日体を動かしていたから多少体力はあるけども。
「けったいな奴やな」
「けったいって何?って、ちょ、天斗」
言うだけ言って、またスタスタと先に行くし。まじなんなの、あいつ。
イライラはするけど、わかってる。
天斗一人ならとっくに山を越えていたはずだ。私が足を引っ張ってる。それでも、見える場所で待っててくれる。殴られたり乱暴な扱いされることも今のところない。昨日会ったばかりで信用なんて出来ないけど、今はとにかくついて行くしかない。
「今日はここで野宿やな」
薄っすらと日が暮れてきた頃、川の音が聞こえる山の中で天斗は足を止めた。不思議なことに天斗の周りだけ草木が無く開けてる。私が到着するまでの間に刈ったのかな。何で?鎌的なものは見当たらないけど?……だめだ、気にしたら負けだ。きっと背中からひょいって出てきたりするやつだ、うん。
「ここに座りぃ」
座るのに手頃な丸太を指差す天斗。言われるがままに着席。もうまじで疲労のピーク超えすぎてたからね、休むことになんの反論もないです。
テキパキと薪になりそうな枝や葉っぱなどを拾い集め、私が座る前に焚き火の準備をする。どこからか取り出した火打ち石を使いあっという間に火がつく。恐ろしく手際がいい。
今は五月、旧暦は今の暦と一月ぐらいずれがあるって聞いたことがあるから四月ぐらいなのかな。だから昼間は温かいけど、朝晩は冷える。リュックにジャンバーが無かったら、寒さでガクブルだっただろうな。登山用のしっかりしたジャンバーを持たせてくれた兄貴に感謝だ。
「少し待っとけな」
そう言ってまたしても瞬間移動する天斗さん。どこぞの戦闘民族かよ。
「はぁ」
天斗の気配なんてものは微塵もわからないけど、たぶん遠ざかった気がするから、大きく息を吐いた。
人のいる前でため息を吐くな、幸せが逃げるだけじゃなく周りを不幸にする。というのがじいさんの口癖だ。私は記憶にないけど、そう叩き込まれた兄貴達によって私もまた叩き込まれた。
染み込んだ習慣は、こんな状況でも変わらないもんなんだな。
体力的にはもちろんだけど精神的にもしんどい。
これから先、天斗について行って、それから元の時代に帰る手段を探して……。
「雲を掴むみたいな話」
自分で自分の考えにツッコミをいれたくなる。
そもそもなんでこんなことになってるのかもわからないのに。
「魚、食べれるやろ?」
急に降ってくる声にまたしてもびくついてしまった。なんで無音で近付いてくるんだろう、この人。
戻ってきた天斗の手にある袋がもぞもぞと動いている。どうやら、音だけ聞こえる川で魚を取ってきたらしい。昨日は鳥で、今日は魚、天斗がいれば飢えることはないかも。
「ありがとう、食べれるよ」
色々と思うことはある。
あげだしたらきりがない程に。
だけど、今はとりあえず魚を食べよう。