1 山と海と忍
ありえない。
なんども、そう思った。
だけど、目の前の打ち付ける波に潮の香り、顔に吹き付ける湿度の高い風も踏みしめる砂も、五感に訴える全てが、今私が居るのは海だと言っている。
「なんで……?」
高校に入学して、最初の行事である宿泊研修。その二日目にあったスタンプラリーで400m程の標高がある山への登山があった。その途中で天候が悪化、きゃあきゃあ言いながら走り出した同じグループの女子の後ろを遅れないようについて行っていた。そしたら、ピカッと光って…………雷に打たれた?
いや、だとしたら死んでるよ。あれ?ここって死後の世界?
いやいや、死後の世界にしてはリアル過ぎるでしょ。
「つまり、どういうこと?」
不思議現象に頭を捻ってみても、誰も何も答えてくれない。波の音だけが耳に響く。
頭に浮かぶ家族の顔。
心配性で過保護過ぎる兄貴達。もし私がどこぞで野垂れ死んでしまったら、体中の水分が無くなるまで泣け暮れそうな人達だ。そんな親不孝もとい兄不孝はできない。
ここがどこの海か知らないけど、家に帰らなきゃ。
グッと拳を握り決意した時、人らしき声が聞こえた。慌てて振り向けば草が生い茂る獣道みたいなところがガサガサ揺れて数人の男が現れた。
「…………え゛」
男は三人。
全員、薄汚れた袴姿だ。
それだけならどこかの道場から来たんですか、と聞ける。が、三人は腰に刀を差して頭は剃りあげている。そう、あれだ。時代劇とかで見る武士のちょんまげ頭。しかもヅラでは無く、どう見ても地毛だ。
「なっ、面妖な娘子がおるぞ」
「今は女子どころではないだろ」
「しかし、なかなかの器量だぞ」
これは、どうしたもんか。
現状の質問をしてもいいのだろうか。
でも、なんか不穏な雰囲気なんだよな。
その時、潮風とは違うふわっとした風が吹いた気がした。
瞬間、空気が凍る。
全身を黒に包んだ誰かが男達の後ろにいる。
「新手かっ」
そう叫んだ三人の男の一人が血飛沫を上げて崩れた。
それは映画のワンシーンのようで現実感がない。だけど、次の瞬間に押し寄せるむせ返るような生臭さに現実だと叩き起こされる。
やばいっ。
体を突き動かすのは、迫る死から逃げ出す本能だ。
「ぐあっ」
「ぎゃっ」
短い断末魔を背後に聞きながら、全速力で砂浜を走る。
新手かと言われ、突然現れたのは一人だった。そいつが三人の男を殺したのか。
次は、私……?
ゾワッと背筋に走る悪寒に肌が粟立つ。
「い、たっ」
瞬きの間に組敷かれ、首には冷たい短刀が突きつけられていた。
心臓が尋常じゃないほど脈打っている。
「自分、なんなん?」
私の首元に短刀を突きつける全身黒ずくめの男は、挨拶をするような気軽さで声をかけてきた。
黒い布に隠された顔で、目だけか見える。黒くて、ゾッとするような冷たい目。
この状況は何?
私は死ぬの?
訳もわからないままこの男に殺されるの?
正直、キャパオーバーだ。
令和の時代で山登りをしていたはずなのに突然海辺にいて、武士もどきが現れて血飛沫が舞って、終いには謎の男に殺されかけてる。そんな非現実的なことが立て続けに起きてる。訳がわからな過ぎて、腹が立ってきた。
「離して」
予想以上に低い声が出たのは仕方ない。どうにでもなれと、半ばやけくそだ。
「まずはそこを退いて」
短刀を突きつけられた状態で会話をしようというのが、そもそも無理だ。
まっすぐに男の黒い目を見る。
背筋が凍るような恐怖、息もしづらい圧力が男から発せられている。
殺されるかもしれない、そう思ったところで、ふっと体に掛かっていた圧が消える。
「あ、の?」
何故か、短刀を持っていない方の手でほっぺたをふにふに摘まれる。
これはどういう状況なんだ。
「あぁ、悪い。死に直面してる癖に睨み返されるとは思ってもみんかったから、つい」
ついってなんだ、ついって。
返事に困っていると、手首を掴まれ強い力で引っ張り起こされる。
「で、自分なんなん?」
そして振り出しに戻る。
背負っているリュックやお尻についた砂をほろいながら、目の前に立つ黒ずくめの男を見る。なんというか、忍というイメージを具現化したような格好だ。
覆われている黒い布のせいで人相もわからない。唯一見える黒い瞳は、喜怒哀楽の何も感じられず凪いでいる。人を三人も斬り伏せてきてるはずなのに、普通過ぎる態度が怖い。
「私は結崎凪」
「結崎?」
名を名乗れば、黒ずくめの男は僅かに眉を潜める。
「聞かへん名やな。どこの生まれなん?」
「東京」
「とーきょう?」
なんだろう、この感じ。
まさかとは思うけど、ありえないと思うけど。
「今って西暦何年何月何日?」
「せいれきはわからへんけど、今日は天正元年の五月十日やで」
「て、天正って、いつやねん!!」
全く持って関西人じゃないのに思わず、ツッコんでしまった。
「あーもう、ちょっと待って!……天正って元号だよね、えーと、天保の改革って聞いたことがあるな。天保!」
「天保は聞いたことないで」
「ぬう!なら、応仁、応仁の乱は!?」
「あぁ、それやったら百年ぐらい前に起こった内乱やな」
「きた!えっ、百年前?てことは、人の世虚しい応仁の乱だから、1467年。百年後は1567年…………って、戦国時代やないかいっ!!」
もうやだ、と砂浜に崩れ落ちた私の肩をぽんぽんしてくれたのは、黒ずくめの男でした。