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うわっ……そのヒロイン、チョロすぎ……?

 私は小説が人並みに好きだ。

 あくまでも読む事が人並みに好きなだけで、「書ける」とは言ってはいないのでその辺りの考慮をお願いしつつ、本題である「特有の問題」について書いて行きたい。


 そもそも私は小説が非常に身近なものであった。

 母親の推理小説が自宅に山のようにあったからである。特に宮部みゆき先生の作品のファンであったようで、本棚の大半が推理小説、その大部分が宮部みゆき先生の作品であるという程である。


 自分で言うのもこっぱずかしいが、母親っ子だった私は小学生の頃から母親の影響で本を読む事に慣れ、あれやこれやと本を読む事が苦痛に感じない性格に育った。

 当然子供なので漫画も読むようになり、そこから歳を重ねるごとに、例を挙げれば南総里見八犬伝のような日本の古典文学を読み漁ったり、はたまたゼロの使い魔のようなラノベを読み漁ったり、ところ変わってスラムダンクのようなスポーツ漫画を読んだりと、どう考えても節操なしな読み漁り行為を繰り返すうちに。


 そして何をどうしたらそうなったか、むしろ必然だったのかは分からないがいつの間にか、なろうに辿り着いたのである。

 その後かれこれ五年程、ランキング上位を読んだり、他者がお勧めしている作品を読んだり、所謂スコップ行為をさせて貰っているが、ここ近年、と言っても全然近年でもないかも知れないけどもどう考えても読む気にならない、または読んでも途中で投げてしまう作品が多いと感じて、この度文才ゼロを自覚しているがあえて問題提起の為にこのような物を書く事に決めたのである。


 なお、あくまでも個人的な所感である。他人の感性を否定する気はさらさら無いのは事前に明記しておく。

 その上で特に書き手側の能力については特に問題ではない事も先にお断りしておく。

 この場合語彙力、文章力などに関してを言う。

 これはあくまでもここは素人が小説を書きたいんだ、発表したいんだ、という場である事が大前提だからである。

 そこにケチをつける方も稀にいらっしゃるようだが、そのような方は商業化された純文学でも読まれた方が遥かに建設的ではなかろうか。


 では、お断りも終わったので本題へ入ろうと思う。

 第一の問題として私が常々思うことがあるのだが、あまりにもヒロインがチョロすぎはしないかという事だ。

 これは別に今私が初めて言い始めた事じゃ無いのは分かっているが、あえて書かざるを得ないと感じた事だ。


 特になろう特有なのだが、他には有り得ないチョロさではないかと思う。

 登校中遅刻遅刻と焦り、パンを咥えて走り、曲がり角でぶつかった男子のイケメンに心躍りがちな少女漫画だって、ここまでチョロくない。

 危ない所を助けてくれてありがとう!抱いて!というヒロインは果たしてヒロインなのか。

 それは世間で言うビッチ、アバズレ等に該当する程の貞操観念の無さで逆に呆れる程ではないかと私は思う。

 また物語開始の時点ですでにヒロインが好意を寄せている場合もチラホラ見られる。この点に関しても殆どの作品において同様とも言える。


 なろう作品のヒロインは好意という感情があまりにも薄く、あまりにも軽いものになりすぎている。そんな薄っぺらい好意を向ける側も向けられる側も、お互いに失礼な話ではないか。

 そしてそんなヒロインが複数存在してしまい、相変わらず薄っぺらい好意を主人公に向けてしまいハーレムという物が形成されてしまう。これが昨今に非常に多いなろうのハーレム系小説である。


 ここからは自論であるが創作における、人物の魅力は量ではなく質だと思う。

 いかに作品にたくさん人物を登場させるか、ではなく、いかに魅力的な人物がいるか、で面白さは大きく変わる。


 みなさんは忠臣蔵というものはご存知であろうか。

 未だ謎多き赤穂浪士討ち入り事件を題材にした、歌舞伎の演目の一つ、仮名手本忠臣蔵の事であるが、赤穂浪士討ち入り事件とイコールで考えて貰ってもいい。基本的には忠臣蔵とは赤穂浪士討ち入り事件を扱った創作物を言うからである。


 四十七士、浅野内匠頭、仇役の吉良上野介、もっと言えば大石内蔵助の妻であるりく等登場人物だけで長編小説を軽く凌駕する程である。

 もし、時代劇にアレルギーがなければ年末時代劇スペシャルというかれこれ三十年以上前に放送された映像作品があるので見て頂きたい。

 白虎隊、忠臣蔵、田原坂、は特に名作だと自信を持ってお勧めできる。


 そんな総登場人物が何十人といる忠臣蔵でも、全員がピックアップされる事は無い。

 過去に何度も映像化された忠臣蔵でさえ大河ドラマを除けば、物語の発端となった浅野内匠頭、吉良上野介、討ち入りの指揮を取った大石内蔵助、妻の大石りく、その息子大石主税の中心人物をメインに家臣の堀江弥兵衛、安兵衛親子、片岡源五右衛門、原惣右衛門など、わりと語られがちな面々のみである。


 絵になりやすい、話が盛り上がりやすい、という事情もあろうが数時間の尺ではこれが限界なのであろうと簡単に察することが出来るだろう。

 大人数掘り下げようと思えばその分尺が必要になる上に、話がボケて薄まりやすい。見ている側もその登場人物に対しての感情移入が増やせば増やすほど薄くなってしまう。

 逆に焦点を当てる人間が少なすぎると盛り上がりが欠けてしまい作品の物語性が失われてしまう。

 さて、なろうに限らずウェブ小説の特徴に「ページ数に縛りが一切ない」というものがある。


 私は書かないので聞きかじりのにわか知識でしかないが一般的に小説には編集からの要請として原稿用紙何枚分、文字数何枚分という指定がある、と言うものだが前述した通りあくまでも聞きかじりなので指定があるらしい。とさせて頂きたい。

 これはドラマの脚本、ゲームの脚本も同様である。


 基本的に限られた尺で物語を作らなくてはいけないのが世の常なのだが、ウェブ小説にはこれが一切ない。

 なろうには一ページの文字数限界はあるものの、いくらでも長編小説に出来る。


 そのページ数縛りが無いわけなのだから、前述した尺の限界による登場させる人数限界は当然解消され、やろうとすれば延々に増やせる。

 出版社を介さないわけだから、話の長さだって当然のように自由自在である。なんなら超長編小説を書いたところで誰に文句言われるわけでもない。長編小説になればなるほど登場人物が増えるのはまさに創作の道理ではないか。


 だが、これにはきちんとした登場人物の掘り下げが必須なのだ。ただなろうに掲載される多くの問題作品にはこれが無い。

 これは大事な事なので先に明記しておくが全ての作品とは言わない。


 例えば主人公である。

 よくある異世界転移系で例えるとすれば、現代の日本で生きていた学生が異世界に転移してしまう。

 その世界は剣と魔法の世界であり、といつもの流れになるのだが、あまりにも世界に順応しすぎている。


 異世界に飛ばされて、日本に帰りたいと思わない。なんらかの事情があってそう思わないのは百歩譲って結構としても、なぜそう思わないのかも語られない。まぁ、仕方ないかと異世界で生きていく決意をすると、以降一切日本への望郷が語られることは一切ない。


 ここまで来れば、もはや現代日本からわざわざ転移する理由なんぞ皆無ではないか。

 その主人公がどうやってこれまで生きてきて、今をどうやって生き、これからどうやって生きていこうと思っているのか。なんぞいっそ語られない。


 ただ目の前の問題を圧倒的能力で片付けては次の問題に取り掛かるだけの、流れ作業を見せつけているだけの作品が非常に多い。

 主人公の泥臭い独白なんぞが見られる作品なんて稀であり、もはや感情が消え去った機械なのではないかと疑いたくなる。


 ヒロインも同様である。

 例えば十五歳程度のヒロインが登場したとする。


 しかし語られるのはヒロインの容姿、肩書き、交友関係等だけであり、ストーリー上にて主人公と出会ってから行動を共にするようになる。

 そして紆余曲折すらなく主人公に好意を寄せ、一人目の主人公の嫁の誕生となるわけである。


 ここで皆さんの人生を振り返って欲しい。十五歳の頃の自分はどうしていたか。

 一般的には中学三年生、高校一年生あたりであろう。

 親と確執があった方もおられるであろう。兄弟と確執があった方もおられるだろう。逆に仲良し親子、兄弟だったかもしれない。好きな人の一人や二人いるのは当たり前であるし、人によっては恋人がいた方もおられると思う。

 何不自由なく、何の問題なく学生生活を送っていた方も、逆の方もいただろうし、もう働いていたって方もいるかと思う。

 人生なんぞ人の数だけあるわけなのだから当然である。人の数だけそれぞれ違った想いもあるに決まっている。


 ではなろうのヒロインはどうであろうか。

 基本的に問題のある作品のヒロインは無なのである。

 たった今産まれたんですか、と疑問を浮かべたくなるほど無である。


 何を思ってこれまで生きてきて、今何を思い、これからどう生きるかなんて一切語られない。

 ヒロインの家族の話なんぞ一切出てこない、出てきても一瞬のみでそれ以降は存在を忘れたかのような振る舞いしかしない。


 語られるのは主人公への好意のみ。そこにどのような経緯があって好意を寄せたなんて事は一切語られる事はない。または、前述した、助けてくれてありがとう!抱いて!のパターンである。

 おまけに悩みなんて微塵にもありません、主人公にいつまでも添い遂げますと言わんばかりで完全にそこで思考停止してしまっているヒロインが多すぎでは無いか。

 そんな盲信的で狂信的な好意、読む側からすれば逆に畏怖を抱かざるを得ないのだが、なろうではこれがウケてしまう。結果的にこの無から始まるヒロインは刷り込みされた雛鳥のように確実にチョロイン化するという流れが常識となる。


 そしてそのチョロすぎるヒロインが二人目、三人目と増殖していくわけだが、前述したページ数に制限がないにも関わらず一切掘り下げが無い。

 掘り下げはしないが登場人物は増やす。増やすが増やしただけで後は放置。


 ここに第一の問題点である登場人物があまりにも薄っぺらい、という作品になる原因があるのでは無いかと私は常々思うのである。


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