第二話 悪役令嬢は船に乗る。
「んっ、うぅ、ん…………んん~~~~っ!」
馬車の窓に付けられた薄いレースのカーテンから差し込む光がわたくしの顔に当たり、眩しさに呻きながら目蓋をピクピクと動かします。
そして、むくりと体を起こし……車内の天井にギリギリ当たるかどうかの辺りまで両腕を伸ばすと丸まりながら眠っていた為に強張っていた体がパキパキと音を立てました。
続いて首を軽く曲げると更にパキパキと音が立ち、再びふぁあ……と欠伸を噛み締めた所でガチャリと馬車の扉が開かれ、外に出ていたカエデがわたくしの様子を見に来ました。
「おはようございます、お嬢様。良く眠れましたか?」
「ふぁああぁ~~……。おはよう、カエデ……。まだ少し眠たいわ……」
「それは申し訳ありませんでした。ですが港町に到着したので、用意された船へと乗りますので馬車からお降りください」
カエデはそう言って、わたくしへと頭を下げる。
そんな彼女の言葉を聞き、彼女の後ろ……馬車の外から漂うにおいに鼻をクンとさせるとようやく港町特有の潮のにおいに気が付きました。
そのにおいを感じながら、カエデの手を借りて車外に出ると視界一面に蒼い海原と石造りの港が映りました。
ここはハッズ王国が他国との交易の為に用意している設備が整った港町で、波止場には現在大型船が一隻のみ停泊していました。
あれがわたくし達が乗る為の船です。
「ああ、もう着いたのね。気づかなくてごめんなさいね、カエデ」
「いえ、ですが……まったく目覚める様子がないので心配でしたが、目覚めてなによりです。……お体のほうは如何ですか?」
謝るわたくしへとカエデはそう告げながら、心配そうにこちらを見ます。
対してそれを言われたわたくしは、自分の体の調子を確かめるべく体を可能な限り軽く動かします。
脇腹を伸ばし、腰を曲げて、肩に違和感がないか、足首はどうかと動かし……頷きました。
「…………うん、まだ体はアレのせいでまだ動き辛いし、疲れが残ってるからかだるいけれど、だいぶ頭はスッキリしましたわ。久しぶりにまともに眠ったからですね」
「良かったです。ですが、これからはちゃんと眠ってくださいよ?」
「ええ、わかっています。しばらくはこの旅行を思う存分満喫したいんですもの」
わたくしは心配するカエデに向けて微笑むと、彼女の手を借りて馬車から降りた。
馬車を降りた瞬間に空から差し込んだ日の光に、わたくしは一瞬目を細めましたが数度の瞬きで目が慣れ……改めて周囲を見渡します。
「……久しぶりに港まで来ましたね。ここ最近の外交はずっと地続きの周辺国ばかりでしたから、海に来る機会がなかったんですよ」
「それでは久しぶりの海なのですね。久しぶりの海はどうですかお嬢様?」
カエデの言葉を聞き、わたくしはスゥ~と口と鼻で空気を吸って吐いての息継ぎを行い、肺の中へと潮風を吸い込みます。
爽やかな潮の香りが鼻に入り、丘に囲まれたハッズ王国とは違ったカラッとした皮膚を焼く陽射しが体に当たり、はぁー……と満足そうな息を口から漏らしました。
「そうね、久しぶりだからっていうのもあるし……まともに日の光を浴びるのも久しぶりだったから、凄く心地良いわね」
「それは良かったです。やはり人間、基本的には日の光を浴びたほうが良いですからね。その証拠に私の国では空に上るお日様は最高神とされていますし」
「ええそうね。それと貴女の国のその考えは面白いわよね、見える物を神とする考えは。他にどんな物があるのか色々と聞きたいけれど……時間は刻一刻と迫ってきているから長々とお話をする事も、ましてや港町の観光なんて出来ないわね。それじゃあ、船に向かいましょうか」
「はい、お嬢様。それではお手をどうぞ」
「ありがとうカエデ」
差し出されたカエデの手を握り返すと、わたくしは彼女と共に波止場に停留する大型船へと歩き出しました。
「いってらっしゃいませ会頭、よい旅路を」
離れていく際、御者がわたくしに向けて恭しく一礼してから馬車を走らせ……その場を後にしました。
少しでも、わたくしが現在何処に向かったのかを分からないようかく乱をする為の工作を行なうために……。
「ようこそおいでくださいました会頭、それともパナセア様……とお呼びすればよろしいでしょうか?」
「お久しぶりですゼーマン船長、元気にしておられましたか? それと、いつも通り喋ってくれて構いませんよ」
大型船が停留されている波止場へと辿り着くとそこでは無精髭を生やし、いかにも船乗りのトップであると主張する服装をしたひとりの男性が立っていました。
その男性はわたくしへと近付くと恭しく頭を下げ、付き従っている部下も同じように頭を下げます。
彼はカオス商会の保有する交易船である目の前の大型船の船長を任している男性で、わたくしにとっては頼りになる部下の一人です。
「いえいえ、そう言うわけには行きません。自分は…………あー、やっぱ無理。無理だわ。自分って呼び方はないわー……悪い、会頭。俺ぁいつも通り喋らせてもらうわ」
ニコニコ笑顔を浮かべながらゼーマンを見るわたくしへと困ったように返事を返す彼でしたが、すぐに頭をガシガシと掻くとわたくしに頭を下げてきました。
そんな彼を見ながらわたくしはくすりと笑うと、微笑みます。
「ええ、良いですよ。というよりも、あなたがそんな風に媚びへつらう喋り方をする方が気色が悪いですからね」
「そりゃねぇよ会頭! まあ、元気そうで何よりだわ。さて、事情は既にペドラ副会頭から通達されているんで、とっとと船に乗ってくれ!」
「わかりました。さ、カエデ行きましょうか」
歯を剥き出しにして豪快に笑うゼーマンに招かれ、わたくしとカエデは荷物積載用にかけられたタラップの隅を歩いて大型船へと入っていきました。
甲板の上ではこの国で行なっていた貿易品が運ばれており、それらを綺麗に並べている間に複数の船員達が怒号を飛ばされながら大小様々な荷物を移動ているのが見えます。
更に甲板中央に設置されている昇降機が次々と整頓された荷物を船倉へと入れていく為に何度も動いているのが見えます。荷物が甲板と船倉を往復する度に船倉では運び込まれた荷物が船の揺れで倒壊しないように固定する作業が行われているでしょう。
そんな作業を行う彼らを見ながら、甲板から船内へと歩いて行くわたくし達の存在に気づいた船員達から時折チラリチラリと視線を感じます。
当たり前ですね。基本的に男所帯の交易船にわたくしのようにどう見ても貴族が着る様な豪奢なドレスを纏った女性と、その御付であろう極東の血筋だと分かる黒髪を靡かせながら腰に刀を帯刀したメイドが歩いているのですから視線が行くに決まっていますね。
更に言うとわたくし達は比較的……いえ、だいぶ美人ですから、普通に視線が行くのは当たり前なのでしょう。
『おい、時間が無いんだ! 早く作業するようにっ!!』
『『りょ――了解っ!!』』
視線がわたくし達に向けられていた船員達も先輩船員に叱られてかすぐに行動に移っていきました。
その声を聞きながら、わたくしはくすりと笑いつつ前を歩くゼーマンを見ます。
「元気が良い船員達ですわね」
「あ~その、すまねぇな会頭。ジロジロ見られて、ちょっと気を悪くしてしまったか?」
「いいえ、戸惑いと見惚れる感情が篭った視線を浴びるのは、本当に久しぶりでしたから嬉しかったですよ。それに元気があって良いではないですか」
部下が向けた視線に対して謝るゼーマンでしたが、わたくしは微笑みながら返事を返します。悪い事をしたら怒るべきですが、していないのに怒るのは失礼ですからね。
それに久しぶりに活気の良い現場を見た事と、侮蔑ではない視線ばかりでしたからわたくしは気を悪くする事はありませんでした。
そして気を悪くしていない様子のわたくしを見て内心ホッとしているゼーマンを見ながら、わたくし達は船員達の居住スペースがある通路を進んでいき、その先に用意された客室へと案内されました。
この部屋が航海中にわたくし達が滞在する為の部屋のようですね。
「さ、着いたぜ。会頭達は航海中にはこの部屋を使ってくれ!」
「ありがとう、ゼーマン」
開かれた客間の中へ入ると中は広く、貴族や取引相手等の上客の為に用意された部屋だとひと目で理解出来るものでした。
居住スペースが並ぶ階層の中で船員達の部屋の3部屋分ほどの広さを使用しているであろう大きな室内にはフカフカの丸い絨毯、座り心地の良いであろうソファー、カオス商会が貴族向けに売り出している眠りやすいように金属製の弾み易いバネを大量に使った反発性のあるベッド、物を置き易い造りのテーブル、服を入れる為の豪華なクローゼットといった簡素ながらもリラックスがし易い調度品が大量に置かれていました。
更には奥に続く扉が見えますが、その扉の先が何か分かるようにプレートがかけられていますね。……どうやらトイレとバスルームみたいです。
「事前に設計図は見ていましたが、実物を見るのは初めてですね。ですが中々良い部屋みたいですね」
「ああ、元々商会に貢献している上客用に用意された客室なんだが、基本的にこの船には客は乗るわけがない。だから半分冗談で会頭専用の部屋として用意するだけしていたんだが……まさか本当に使う事になるなんてなぁ」
「本当ですねえ……」
そう言いながら、わたくしとゼーマンは苦笑します。
使わないだろうと思っていた物が使われたのですからね。
「少々失礼します、お嬢様」
苦笑するわたくし達を見ていたカエデが早速動き出し、部屋の中を見始めます。
「ふむふむ……、なるほどなるほど……。お風呂も魔道具のお陰で水は問題ないみたいですね。部屋のほうも定期的に……とはいきませんが一応掃除はしているからでしょうか、ホコリは目立ってませんね」
しばらくすると確認し終えたのか、カエデはわたくしの元へと戻ってきました。
「お嬢様、船が出港する前にひと汗流しては如何でしょうか? 昨晩から湯浴みを行なっておりませんし……」
「それは良いのだけれど……、水のほうは大丈夫なのかしら? 航海の途中で水が無くなったら笑えませんよ?」
「ああ、それについては問題ねぇ。この船で使用している水は基本的には高純度の魔石を使った魔道具で補っている物だから、魔道具を使用する魔力が尽きるか魔石が壊れるまで水はなくなる事はねぇ」
カエデの言葉に心配するようにわたくしが訊ねると、心配はないとばかりにゼーマンは答えました。
ちなみに魔道具とは人間が持つ魔力を形にして吐き出す為の道具で、火種を出したり、水を飲める水へと変えたりといった簡単な物から、モンスターが入り込まないように結界を創り出すといった複雑な物まであります。
魔法を使える人にはあまり必要がない物ですが、魔力があっても魔法が使えない人達には必要なアイテムです。
そして魔石とはモンスターの体内で精製される物であり、魔道具に使用する事で使用者が魔力を形にして吐き出す際の補助を行うのに必要な物です。
まあ、この世界では当たり前の知識です。
「……分かったわ。それじゃあ、お風呂に入って汗を流させてもらおうかしら」
「かしこまりました。それでは準備をしてまいります」
「ええ、よろしく頼むわね」
わたくしの言葉を聞き頭を下げると、カエデはトイレ兼バスルームへと入っていった。
それを見届けてから、ゼーマンはわたくしへと話し掛けてきました。
「さてと会頭。俺ぁ出港準備をさせてもらうけど、二人だけで問題はないか?」
「大丈夫ですよ。というよりも、ゼーマンはゼーマンでそちらの仕事を優先してください」
「すまねぇな。出来るだけ早く出港するから、ゆっくりと寛いでくれ!」
「わかりました。ゼーマン船長、頑張ってくださいね」
「おうよ!!」
そう言うとゼーマンは威勢の良い返事をしてその場から離れて行きました。
甲板かそれとも船倉の方に向かったのかは分かりませんが、是非とも仕事を頑張ってほしいですね。
そう思いながらしばらくの間、入口の辺りでボーッとするわたくしでしたが後ろからカエデに声をかけられ振り返ります。
「お嬢様、お風呂の準備が整いました」
「わかったわ。それじゃあカエデ、この窮屈で苦しいドレスを脱がしてもらえないかしら?」
「かしこまりました。それでは失礼します……」
扉を閉めると、わたくしは床に敷かれた丸絨毯の上へと靴を脱いで立ちます。
フカフカとした感触が足裏に伝わり、この柔らかさに気持ちが落ち着くのを感じながらカエデが近づくのを待ちます。
恐る恐る……まるで美術品へと触れるかのようにわたくしへと近付いてきたカエデはドレスを脱がす為に要所要所に硬く留められた紐を外していき、まるで玉葱の皮を剥くかの様に一枚一枚ドレスのパーツを外していきます。
「ああ~……これで、こんなまどろっこしいドレスをしばらく着なくて済みますね」
外されていくパーツが床へとポトポトと落ちるのを見ながらわたくしは嬉しそうに言います。
その言葉を聞きながら、カエデはわたくしへと部屋の中で確認した事を話してきました。
「ペドラ副会頭が用意したのでしょうか、クローゼットの中には一人でも着脱し易い類の服としてワンピースが数枚入っておりました」
「そうなの? 良かったわ。ちゃんと入れてくれているか不安だったのよね。……んん~、ようやく楽になったわ~」
「これで本当のお嬢様に戻られましたね。でもこれはちょっとやりすぎだったのではないでしょうか?」
胸や腹といった前面の部分を強烈に押さえるようにして締め付ける様に作られた特製のコルセットが外され、ガーターとパンツのみの姿となったわたくしは自由を得たとでもいうように両腕をうんと上に伸ばしました。
すると今まで前面を締め付けていた為か、無理矢理小さいように見せていた胸はまるで自己主張でもするかのようにプルンと揺れます。ついでに体の骨と筋肉もペキペキと鳴りました。
やっぱり締め付けすぎは体に良くありませんね。
そう思いながらメロンサイズのお胸を両腕で抱えながらゆっくりとマッサージをしつつ、特製のコルセットを見ながら顔を顰めているカエデへと語り掛けます。
「地味で髪もガッチガチ、しかも胸は全然無くて自分に対して行動ひとつで周りがどう思うかを理解してくださいといったきつい事しか言わない。
そんな彼らに対して最悪な令嬢を演じているという事に気づくか、はたまた最悪な令嬢だけれど父親である国王の命令だから仕方ないと思いながら付き合うかのどちらかを選ぶかと思いながらバカ王子の出方も見ていたのですから仕方ないわよ」
「その結果がアレですか……。相手の本質を見る力もなければ、自分を犠牲にして国の為に生きようって事も無いみたいですね、あの王子は」
「そうですね。けどそのお陰でわたくしはようやく自由を得たと言うのですから嬉しい限りじゃないですか。さ、それじゃあお風呂に入るから介添えをよろしく頼むわね、カエデ」
「はい、お嬢様!」
カエデにそう言ってわたくしは下着姿のまま風呂場へと向かう、そんなわたくしの後をカエデもメイド服の袖を捲くりながら着いていくのが分かりました。
(ああ、これで思う存分お嬢様の柔肌に触れる事ができます! ああ、お嬢様の肌も髪も……全てを私が独り占め出来る素敵な時間です!!)
変装を解き本当の姿を見せたパナセアの後ろ姿を見ながら、カエデは自分にとっての最大のご褒美を胸を躍らせながら歩く。
バスルームの中は湯気に満たされており、パナセアは下着を外し産まれたままの姿へとなる。
それを見ながら、カエデは鼻血を必死に堪えて彼女の体を洗う為に両手へと洗剤をつけ始めた。
(いざ、いざいざ!!)
血走った目をパナセアの綺麗な肌へと向けながら、カエデは彼女の体を洗い始めたのだった。
そしてその表情はとても幸せそうであったが、パナセアはそれに気づいていない……はずだ。