第一話 悪役令嬢は計画を思い返す
時折馬車ごしにくる震動で意識が浮上し始める。けれど疲れたわたくしの意識はすぐに沈んで行き……夢を見ていました……。
馬鹿王子が阿呆な事を起こす夜会までの出来事を思い出すように……ゆっくり、ゆっくり静かに思い出していきます……。
「お父様、お母様、お二人に話があります」
ある日の夜、わたくしは両親であるフロルフォーゴ公爵夫妻の為の寝室の扉を叩き、返事を待つよりも先に部屋の中へと入ると、開口一番にそう言いました。
一方で両親は、最近部屋に閉じ篭っていた娘が突然現れた事に驚いた様子でした。
けれどすぐにお父様は読んでいた書物を、お母様は編みかけの刺繍をベッドの隣に置かれた化粧台へと置くと……ヘッドから少し離れた場所に置かれたソファーへと移動してくださいました。
「それで、話とは何だ……パナセア?」
「ここ最近ずっと部屋に閉じこもっていたから心配だったのよ? ちゃんとご飯を食べていたの?」
用件を尋ねつつも、数日間まともに眠っていない様子のわたくしへと心配そうな視線を向ける両親でしたが、彼らはわたくしの言葉を待っていますね。
ああ、一応食事は携帯食を食べていましたよ? あまり美味しくありませんでしたが。
そう思っていると両親達はいったい何を話すのだろうか? と不安に思っているのかわたくしをジッと見ます……。なので言う事にしましょう。
「はい、わたくしは多分……いえ、十中八九確定ですが、数日後に開かれる殿下主催の夜会で婚約破棄を言い渡される事となるでしょう」
「「…………は?」」
わたくしの言葉に、お父様達は唖然とした表情で固まりました。
当たり前ですね。突然婚約破棄をされると言われたのですから、固まらないはずがありません。
なのでわたくしはもう一度分かり易く、予想している状況を込みでお父様達に告げます。
「ですから、わたくしは衆人環視の中で平民の恋人を侍らせたムフェル殿下に婚約を解消された上に、王子派の令息令嬢達に囲まれながら晒し者とされるでしょう……いえ、されます。あのバカの事ですからね」
「……証拠は?」
「わたくしの数多くの協力者達からの情報です。殿下と愉快な仲間達が集まってそんな計画を立てている事を彼らはその耳で聞きメモも取っておいてくれました。そして殿下の愉快な仲間達の主要メンバーの一人はうちの脳筋兄です」
「フォース……、あんの馬鹿はぁ……!」
「自由奔放にさせるのではなく、きちんと勉強を教えておくべきでした……」
わたくしが淡々と言うと、お父様達は頭を抱えました。
当たり前ですね、普通に考えて惚れてしまった女の為に正義感……というか格好良い男として見られたいが為に自分の妹を悪として吊るし上げ断罪する馬鹿が何処に居るのでしょうか? いえ、ここに居ますけれどね。
そして目の前の当事者であるわたくしは、自分の事だというのにまるで他人事という風に気にしていないといった様子です。まあ、アレと婚約を解消出来るのですからね。
そんなわたくしをお父様は頭を抱えながら見て、震える声で訊ねてきます。
「それを、それを私達に言うのは……どういう考えだ?」
「どういう考え……ですか。わたくしが断罪されてしまったら、ちょっとこの国が騒がしくなるじゃないですか。ですので、お父様達はちょっとリンドを連れて他国へ家族旅行に行ってくれませんか? 陛下には今日の昼間にお父様達の出国届けを申請済みですので」
「……つまり、この国がダメになる前に先に逃げろ。ということか?」
呻くように訊ねたお父様の問い掛けに、わたくしは黙って頷きます。
当たり前ですね。今わたくしが両親に言ってる事、それは国が危ないから急いで他国へ家族旅行に行けという事なのですから。
そしてお父様はわたくし達の父である前に、このハッズ王国の上流貴族……それも公爵です。我先に滅びそうになる国から逃げる等という選択肢は普通にないのでしょうね。
そんなお父様の考えを理解しているのか、お母様は恐る恐るわたくしへと尋ねてきます。
「パナセア……へ、陛下は出国届けを出した時、どう言ってたの……? 貴女の事だから、陛下にもあの馬鹿王子に婚約破棄をされると言う旨を伝えたのでしょう?」
「はい、伝えました。丁度そこには宰相であるアシール様もいらっしゃったので、主要メンバーに息子さんが居るという事も告げておきましたよ」
「陛下、宰相……もうしわけありません……!」
わたくしの言葉に再度お父様達は頭を抱えました。
同時にこの場に居ない陛下と宰相のお二人がわたくしが言った事に対して頭を悩ませてるであろうと心配しているようでした。
けれど、お母様はまだ自分の問いかけをわたくしから答えて貰っていないのを分かっているようで、ジッとわたくしを見て待ちます。
「それを伝えたら、陛下は『自分は息子をなんとしてでも説得する。それが失敗したら力づくで何が何でも説得してみせるから!』と言っていましたから、きっと殴りつけるなり叱りつけるなりするでしょうね……。ですが殿下にはそれが逆効果でわたくしへの怒りがますます燃え上がる事でしょう」
わたくしがそう言うと、お父様とお母様は説得は無理だろうという事を理解し、残ったとしても面倒事しか起きないというのが理解できたようです。
「……行くか、家族旅行」
「そうですね……。落ち着いたら陛下と宰相様には御夫婦で旅行先に遊びに来ませんかって誘いましょうか……」
遠い目をしながらお父様とお母様は呟きます。これは諦めた瞬間のようですね。
「ああ、それとお願いがあります。セバスタンに、わたくしが婚約破棄をされた事を知らせる合図と共に王都限定で脳筋兄が公爵家当主代行を勤める事を認める書類を渡せるように発行してください」
突然のわたくしの言葉にお父様は反応し、ピクリと眉を動かしながら真意を問うべく尋ねてきます。
「何故だ? あのバカに権力など渡したら何をするのか……」
「だからこそです。わたくしを追い出し、お父様達が旅行中である今は自分が当主だと調子に乗るに決まっています。その結果、王都だけではなく領地にも被害が及ぶ可能性だってあります。
更に領地の方は資金繰りなど、すべては何もなければ一年間は保てるようにここ数日部屋に篭って方法は考えています。それらは資料にして領地を任されている伯父様に送っておりますので安心してください。
ちなみにわたくしの初めの計画どおり行かない場合はこうなるという可能性も示して、その場合はこうすれば良いというアドバイスも書いておりますので安心してください」
「えっと、パナセア? もう少し分かり易く言ってくれないかしら?」
わたくしの返答に困った様子でお母様は問い掛けきます。ですのでお母様を見ながら、説明をします。
「つまりですね、婚約破棄と共に色々と余計な荷物が転がり込むじゃないですか。それらをすべて脳筋兄に押し付ければ良いって事です。そうすれば一応は進歩……しなくとも領主というものは大変だと理解はするでしょうし。しなくても王都の屋敷だけが被害を受けるだけです」
「「なるほど」」
(……この子がこの国を出て行けば、今までこの子が受け持っていた仕事が一気に降ってくる。だったら話は速いな)
と考えていたのでしょうね、お父様はすぐにベルを鳴らし、執事長のセバスタンを呼び寄せると脳筋兄を王都限定の領主代行に据える事を決めました。
脳筋兄、地獄を見ること決定となった瞬間です。
「それでパナセア、家族旅行は何処に行けばいいのかしら?」
お母様の中ではこの屋敷での面倒事はもう終わった事にしようと考えたようで、わたくしへと旅行先の事を尋ねてきます。
なのでわたくしは用意していた書類を差し出します、お母様はそれを受け取ると首を傾げました。
「これは……商業で盛んなマルション島の案内?」
「もう一枚は……島内にある屋敷の権利書か?」
「はい、マルション島の一等地にある屋敷をすでに確保済みですので、旅行中はそちらを利用してください。
島の屋敷を管理をしている使用人は今は3名ほど居りますが、この屋敷の使用人もお父様達と共に出発するグループとわたくしが婚約破棄された後に出発するグループが居ますのでそちらの屋敷を回す為の使用人の数は問題ありません」
……どう考えても、これはこの王都から他国へと屋敷の機能を完全に移すと言っているものですね。ですが、良いですよね?
しかもお父様もわたくしの口ぶりから、この旨は自分の信頼の置ける使用人にも通達済みで、信用の置けない者には伝えないようにしているというのは理解出来るでしょう。
それを聞きながらお父様達はこの国の行く末がどうなるのかという心配と息子のこれから味わう苦労する光景を思っているのでしょうか、静かに目を閉じて天井を見ていました。
それから数日が経ち、お父様達は我がフロルフォーゴ家の次男であるリンドを連れて旅行へと旅立っていきました。
そして、裏でわたくし達がそんな事を話していたという事をまったく知らない脳筋兄は去って行く馬車を見ながら、邪魔をする者が居なくなった事に喜びの笑みを浮かべており……隣で同じように見送っていた妹であるわたくしを侮蔑の目で見ていました。
ちなみにわたくしは脳筋兄の前でも厚化粧で髪をギチギチにした変装済みなので、これが今のわたくしの姿だと脳筋兄は思っています。
十数年一緒に暮らしてたはずなんですけどねぇ……。
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それから数日が経ちハッズ殿下主催で行われる夜会当日、何時もの変装した見た目とその変装姿とは不釣合いな豪奢なドレスに着替えたわたくしは、部屋で軽く目を瞑っていました。
既に|ギチギチの三つ編みと厚化粧に瓶底眼鏡《いつもの変装》は終えている為、ここ数日ほどまったく眠っていない自分の体を少しでも癒すためにこの屋敷最後の休憩しています。
……一応、最終的な方向に進むのはこちらへとやってくるであろう殿下の行動で決まるのですが、この分だと悪い……それも最悪な方向で進むでしょうね。
ほんの少しだけ残した意識の片隅でこれからの事を思いながらわたくしは頭を休めていましたが、かつかつという聞き慣れた足音に気づき目をゆっくりと開けました。
直後、コンコンと扉がノックされてセバスタンの声が響きます。
「お嬢様、セバスタンでございます。よろしいでしょうか?」
「待っていました。どうぞ、お入りになってセバスタン」
そう言って、一拍置いてから部屋へと見るからに老年の執事といった風貌の老人が入ってきました。
「失礼いたします。おお、美しい衣装ですな……。変装していない状態でみとうございました」
彼はフロルフォーゴ家に長年仕える執事長のセバスタンです。
当然わたくしが信頼を置いている一人なので、変装前の姿を知っていますよ。
「お嬢様、もうそろそろで夜会に向かう為の準備が出来ます。それと……アレはやはり来ませんでした」
セバスタンは残念そうにわたくしへと言います。
その言葉に、わたくしは完全にこの国の方向性は決まったと確認し、躊躇を捨てる事を決めました。
そして瓶底眼鏡を一度外して、裸眼でセバスタンを見て指示を告げます。
「……そう。でしたら夜空に綺麗で真っ赤な花火が上がるのを確認してからすぐに動ける準備はしておいてくださいね。合図と共にあとは稲妻の勢いで飛び出すだけなのですから」
「かしこまりました。それと従者はカエデのみで……本当によろしいのですか?」
「ええ、大丈夫です。彼女はまだ侍女としてはまだまだですが、護衛としては超一流ですから」
「……そうでしたな。お嬢様が決めた決定を疑って申し訳ありません」
わたくしの言葉にセバスタンは頭を下げてきます。そんな彼へとわたくしは頭を上げるように言う。
「頭を上げてちょうだいセバス。あなたはわたくしを心配して言ったのでしょう? だったら謝る必要なんてないわ。それに……わたくしとしてはあなたの方が心配よ」
そう言いながら、頭を上げたセバスタンをわたくしは心配そうに見る。
当たり前だ。目の前の年老いた彼はわたくしの指示があった直後に他の使用人達が移動するという中で、ただひとり脳筋兄に従わない唯一の使用人としてこの屋敷に残るという事を告げたのだから。
「ご心配ありがとうございますお嬢様。ですが私は執事長ですから、状況が悪かろうとこの家を離れる訳には行かないのです」
「そう……。だったらもう一度、わたくし達について来て。と言うのは、やめておくわ。けれど、あの脳筋兄について行けないと感じたらすぐに島の屋敷までやって来てちょうだいね?」
「ありがとうございますお嬢様。そのお言葉だけで十分です」
そう言うとセバスタンはわたくしへと恭しく頭を下げました。
それから少しだけ時間を取って、わたくしとセバスタンはどのように動くかという最後の内合わせを行ない、この国で迎える最後の夜会へと挑む為にわたくしは馬車へと乗り込みました。
「いってらっしゃいませ、お嬢様。夜会を楽しんで行ってください」
そんなわたくしを見送るように、彼は馬車が見えなくなるまで頭を下げていました。
セバスタン、頑張ってくださいね。
そう心で思いながらわたくしは見えなくなっていく彼を見ていました。