二日目 小手調べ反省会と
何を思ったか、クレスは像の端に避けてあった石の箱を持ち出してくると、胡坐をかいた足の上に乗せ、小さなテーブル、または肘置きとしてそこに突っ伏していた。
早めの切り上げだったとはいえ、結局のところ、小手調べとやらは午後までしっかりと行われた。
昼休みの時点で突っ伏すほど疲れていた気力を、簡単に肉で回復させたからとはいえ、慣れない修行を続けたのなら消耗も激しい。
「まぁ……新しいことし始めると疲れる、わよね……」
それが、自分から乗り気で始めた事柄でなければ尚更。
どんな労いの言葉をかけようかと、しかし、それだけしか出てこなかったフェイネの緩くなる語尾に、クレスは顔だけを覗かせた。
「一日中、ぐるっぐる回すばっかりでよぉ……」
「うん……」
疲労と愚痴と、ゆっくりたっぷり時間をかけて言い切ったクレスに圧されたか、大人しく聞いていようとしたフェイネとクロウブの相槌も、つられて気の抜けたものになる。
だが、惹かれてしまった興味は捨てられるはずもなく。フェイネは低いところにあるクレスの顔を覗くように首を傾けた。
「その、疲れてるところ悪いんだけど、何やったかっていう興味があるのよね……」
遠回しに聞いてもいいかと、疲れ果てたところに追い打ちをかけるようで申し訳ないとは顔に出しつつ、フェイネは努めて強制ではないと匂わせる。しかし、予想に反して、クレスは暗さを感じさせない顔を上げた。
「いや、やってきたこと自体はすげぇ楽しかったぜ?」
「そうなの?」
今度はすっきりとした雰囲気を見せるクレスに、首を傾げることになったフェイネ。クレスは乗り気な相槌と共に身を起こすと箱に肘をつき、球体を表すように指を開いた。
「何か、頭良い奴が集まってる施設にありそうな道具でさ」
「大雑把だな……」
クレス自身、できるだけの情報を伝えようと、身振り手振りを交えてくれるのだが、それでも要領を得ない説明となってしまう。だが、聞けばそれは、磨かれた複数の丸い石を、いくつもの輪が取り囲んでいるという代物だそうで。フェイネは足りない情報に加え、先ほどの大雑把な出だしをもとに、“それっぽいもの”を半ば捻り出すも同然に導き出した。
「もしかして、天球儀みたいな感じ?」
「何だそれ」
間髪入れず。答えとして聞いてはみるものの、こちらは予想通りの反応であった。どうせ知らないであろうことは事前に分かっていたと、フェイネは一人頷く。天球儀なるもののイメージは掴めていても、名称を知らないのであれば一致しないのも無理はない。
フェイネは顎に手を添えると、そうねぇ、とその概要をまとめる。
「見てきたなら分かるといいけど……この空を球体に捉えて星とか星座とかを記したものがあるのよ。それを模型にした、って言えば……分かりやすいかしらね……他にもいろいろ記してあるけど、ここでは伏せておくわ……」
「へぇ……」
「でも、今の話を聞いてるとそう見せかけてるってことなのかしら」
フェイネが簡単にまとめてみた説明と、実際に見てきた構造と照らし合わせているようだが、クレスはどうにも中身のこもっていない返事をしただけだ。察するに、難航しているか、そもそも聞いただけで理解することを諦めたかのどちらかだろう。
一方で、フェイネは見せかけの道具という点について何となく呟いてみるが、考えるより先に、クレスが両膝を叩いた音に気を取られた。
「で、それがさ! 本当にぐるぐる動くんだよ!」
「お前本当に疲れたのか?」
これを話したかったんだとでもいうような、邪気のない輝いた顔。少し前までの元気のなさはどこへ行ったのやら、珍しくクロウブが疑惑の眼差しを向けるも、クレスはお構いなしに、嬉々として本日の成果を語りだす。
おおよそ、課された題の通りに、石や輪を動かすことができるかが重要らしく、それは支えている台に手を置き、行使するべき力の制御で全てを行わなければならないとのこと。先に聞いた通り、イーノの評価では、クレスはなかなかできるようで、ここで本人もやたらと面白いだのすごいだの、大いに楽しんできたようではあるが。
「まさかそうやって、調子に乗り過ぎて疲れたんじゃないでしょうね?」
まず疑うべきはここだ。フェイネからの疑惑の目も重なる中、クレスは決まり悪そうに、誰もいない場所へと視線を逸らすと、やや口を尖らせる。
「違ぇよ、詳しい説明もないままやれって言われたから言い合いしただけだし……」
「余計な体力使ってるんじゃないわよ……」
結果として、やはりどうしようもない理由が判明したことにより、フェイネは気遣ったのが馬鹿馬鹿しくなったとかぶりを振った。
「そういうお前らは何してたんだよ」
「まだ片付けだ。変わったことはしてないぞ」
言われ放題が気に入らなかったのか、クレスはやや身を乗り出し、二人の過ごし方を聞けば、クロウブは単調に、ここ数日全く変わることのなかった行動を示す。
これには、クレスもつまらなさそうに目を細めた。
「飽きねぇの?」
「飽きる飽きないじゃなくて、いつまでも居心地悪い床じゃ嫌だろ?」
己も担当するならば早々に飽きていたと、しかしクレスは確かになぁ、と手近に転がっていた小石を拾い、それを避けられた瓦礫の山の方へ投げる。
と、その方向にはいつの間にかイーノが立っており、今の一連を目撃していたらしく、瓦礫の山で小さく跳ね返った小石を、何ともぬるい面持ちで追っていた。文句のひとつすら発せられてはいないが、その表情だけで、何をやっているんだ、と聞こえてくるような。そんなイーノに気づいたクレスが軽すぎる挨拶をしてみれば、イーノは何も言うまいと輪の中に入ってきた。
「最後の報告もしてやろうと思ってな」
「どうせ大して変わらねぇんだろ?」
「そうなんだがな……」
また箱の上で頬杖をついたクレスは、諦めかけた半端な笑みをイーノに向けてみる。対してのイーノも、余計な希望を持たせるのも忍びないと、気まずそうに冴えない表情を浮かべるが、ひとつ咳払いで厳粛に切り替えた顔を上げる。
「昼に言ったことも間違いではないが、こればかりは実際に始めてみないことには分からんぞ」
「だよなぁ……」
素直に天を仰いだクレスに対し、文句にまみれた返事のひとつやふたつを想像していたイーノは、間の抜けた顔になる。
「何だ、珍しく聞き分けがいいな」
「いやだって、何も知らねぇし、どうすりゃいいかも想像できねぇ」
見様見真似で始められる剣や、素質を見極め伸ばしていける魔法の類とは違い、封印のための修行など馴染みがなさすぎる。したがって、上達の手順も想像すら及ばないというのが現状だ。
環境に慣れてしまっていたイーノは、新入の青少年も似たようなことを言っていたと初心を思い出し、そうかと妙な納得を示す。
「しかし、お前は根本の問題がなぁ……」
「いいか悪いかどっちなんだよ」
「難しいことに、良いも悪いも兼ね備えてしまっているんだよ」
過去の経験からして、一筋縄ではいかない予感があるようで、イーノは頭を抱える。しかし、クレスは知らないところで勝手に話が進んでいることを察し、不貞腐れていた。
「何にせよ、明日からは本格的に修行を始める。お前に合わせて組んではみたが、今日みたいに文句ばかりたれてくれるなよ?」
「へぇへぇ、多分無理だけどな」
渋々、そして馬鹿正直にも保証はしないと申告をしてきたクレス。了承したのだかしていないのだか、曖昧だが、返事があるだけ聞き入れてはいると受け取れた。
これで一段落し、イーノはふと、クレスの傍らに置いてある剣に目を向ける。彼が最初から気になっていた話だ。
「ところで、何故お前は剣士などやっているんだ」
「何故ってそりゃあ、かっけぇからに決まってるだろ」
まあどうせそんなことだろうと、望む答えが返ってくるとも思っていなかったイーノだが、聞き方も悪かったとすぐさま反省した。質問の意味が理解できず、不可解を全面に出したクレスを目の前に、イーノは聞き出し方を変える。
「こちら側の方が向いているとは思わなかったのか?」
「確かに、オレのジジイもそんなこと言ってた気はしたけどなぁ……」
身内に正しく助言できる存在がいたことにはいたのだ。しかし、クレスはそれを聞かずに、少年の憧れを通した。
子供は興味を惹かれない対象には点で無頓着である。そのため、自らが鍛えたいと願った手段を伸ばしていくしかなかったのだろう。それが誰よりも顕著に現れそうな彼ならば尚のこと。
「素質を伸ばしつつ、身を守れるのならそれに越したことはないだろうに……」
「でもやっぱ旅に出るなら剣士だろ!」
どうにも、もったい無さを隠しきれないイーノも、こればかりは個人の自由だと、未練がましいが諦めるしかない。時すでに遅しにも程があるが、少年のように目を輝かせた顔がすぐそこにあるのでは、何を言っても無駄だろうと。
すると、その横からフェイネの堪えきれなかったような笑い声が聞こえてくる。
「こういう奴なのよ、分かるでしょ?」
「あぁ、これは苦労する……」
イーノは疲れ果てたように額を押さえた。この先続く修行の面倒を見きれるのかと、そして、この二人もよく今まで付き合ってきたな、と。
「それにしたって、その剣は目を引くよな」
「これが?」
クロウブが顎で示した剣。クレスは愛用のそれを、疑問と共に鞘から引き抜いた。
刀身は、半分目くらいまでにシンプルな刻印がされただけの、それこそシンプルに美しい形だが、その柄は違う。上品な金に輝き、真ん中と持ち手の先には緑と赤の宝石がはめ込まれた代物。派手な彫刻もなく、滑らかに美しい表面でも、やはり旅の青年が携えるにはやや豪奢すぎる剣だ。柄だけ奪って売り飛ばしでもすれば、それなりの値はつきそうである。
「どこで大枚はたいたかは知らんが、よく手を出したものだ」
「いやこれ、もらいものだし」
身の丈に合った買い物ぐらい心がけろと、イーノは呆れながら鼻で笑うも、クレスは掲げたままの刀身を見上げながら、しれっと衝撃の事実を投下した。当然、イーノは一瞬のうちに表情が抜け落ちるも、すぐ不審に歪む。
「もらっただと?」
「そうそう、ガキの頃森で会ったババアがさ。必要になる時が来るから持っていけって」
そうして、今度は眉間に深い深い皺を刻んだ、さらにひどく歪んだ表情になる。こんなにも理解の及ばないものを見たのは初めてだとでもいうような。
「お前、それを鵜呑みにしたのか? ひとつも疑わなかったのか?」
「マジか! ラッキー! としか」
真顔、それでいて、どこか決めているように言い放ったクレス。ここまで軽率となれば、仕方ないで済まされる話ではないと、イーノは深すぎる嘆息が止まらなくなる。
「持って帰ったらみんな腰抜かしてたな」
「だろうな」
クレスは剣を鞘に戻し、当時をしみじみと振り返る。そして、イーノには既に何かを言ってやろうという気力は残されておらず、諦めて相槌を打っておくしかなかった。
これだけの代物を持って帰ってきたとなった日には、卒倒するしかないというものである。
「だからって素直に持ち帰る馬鹿がどこにいるって話よ」
「必要になるかもとか言われたしさぁ」
「なんとでも言えるからよ、そういうことは……」
聞いていた話ではあったが、イーノに代わりフェイネが話に茶々を入れてみる。その間、どこか物思いに耽るように目を伏せたイーノの様子を、フェイネは見逃さなかった。
「昔から変わらんということか」
しかし、出てきたのはそんな、クレスの像を少しは理解できてきたかのような呟きで。
「全く、気になっていたとはいえ、期待していた答えのひとつも出てこなかったとはな」
「どうせオレの行動なんだし、ジジイが満足する答えなんか出てこねぇと思うんだけど……?」
「それもそうだったな」
案外開き直れているようで、イーノの顔は清々しく吹っ切れている。もしくは、開き直っておくしかないのかもしれない。
そして、景気づけのような一息と共に、立ち上がった。
「まぁ、収穫がなかったとも言えないか」
「どこがだよ」
間を通り抜けていくイーノを訝しみながら追うクレス。イーノはそれに答えるように、私としてはだ、と片手を振りながら通路に向かうが、ふと足を止め振り向いた。
「明日のためだ。早めに休めよ」
一切表情を変えることなく、義務的にそれだけを伝えたイーノは、一人一人に目配せをするように間をおくと、再び通路に向かいながら姿を消す。それを見送った三人もまた、ゆっくりと顔を合わせ、賛成の意を示すように、互いに適当な身振りをした。