二日目 初回修行と命名
二日目 異常、変化なし
鍋の中で肉が焼けるいい音と匂いが広がる中、クレスだけは力尽きた様子で広間に突っ伏していた。
「疲れた……」
「一体どれだけ内容詰められたのよ?」
油を引いても尚、具材が底に張り付いてしまう鍋のため、フェイネはヘラで剥がしつつ、動きを見せないクレスから話を聞き出そうとした。すると、クレスはさらに腕を巻き込みながら、思い出し嫌々と重たい溜め息を吐く。
「最初、筋がいいって褒められたのがどこ行ったんだってくらい、次々難しいのぶっこんできやがってよぉ……」
「できたのか?」
「できなくはなかった」
初日からこの調子で、果たしてこの先もつのだろうか。朝からの約半日、慣れない力を消費した影響であるのは確かだが。
「つーか何、肉じゃん……どうしたんだよ」
広間に戻ってきて大分経っていたが、クレスは今になって気がついたらしく、のっそりと起き上がった。鍋を覗き込むその顔は、寝起きよろしく完全に覚めきっていないような目をしている。
「ああほら、朝は昨日余ったやつに足しただけのものになっちゃったでしょ? あんたも慣れないことしてバテると思ってたし、初日くらい景気づけてやろうってね」
「うおぉ、マジか──ってことはまた町まで行ったのかよ?」
「そりゃあね、他にも欲しいものあったし」
何それずりぃ、と一種の感動に輝きを見せていたクレスの目が一気に陰る。初日以来とは言っても、まだ二日目と少しだが、この神殿に籠りっぱなしのクレスに対し、フェイネだけはこの数日、毎日足を運んだことになる。しかし、何も楽しく観光しに行ったわけではないのだ。全ては必要に迫られての買い出しに他ならない。
「ちょっと、何よその顔。遊びに行ったんじゃないからね? ま、あ……個人的に買ったものがあるのは認めるけど……」
「ほら見ろ!」
びっしりとフェイネを指差し、鬱憤や恨みをぶつけにかかるクレス。鍋から手を離すことができないフェイネは口だけで反論するしかないが、そこは変わってクロウブが動く。
「そうは言っても、フェイネが買ったのはただのノートだぞ」
「はぁ? ノートォ?」
ほら、とクロウブが手渡したのはハードカバータイプのノート。それを端から端まで観察したクレスは、流れるように中を開く。最初の二、三ぺージに書き連ねられていた文字を追った彼は、途端に眉間に激しい皺を刻んだ。
「お前、本当こういうの好きだよなぁ」
「こんなこと一度あるかないかでしょ、記録くらいつけたっていいじゃない」
別に中身を読まれたところで恥ずかしがる必要もないフェイネは、事前に作っておいたソースを混ぜ、鍋に流し込んだ。ソースは一気に熱せられ、煮える大きな音と香ばしく食欲をそそるいい匂いを立ち昇らせながら広がっていく。
その様子に興味を惹かれたクレスは鍋の中を覗き込みながらも、ノートを閉じて膝の上に置いた。
「へっ、二度もあってたまるかよ」
「ならこれからは気をつけてよ──ほら、味見て」
言ったとして意味がないも同然だが、言わないよりは多少の教訓にはなるはず。フェイネはそんな雰囲気で、ピックに刺した一口大の肉をクレスの前に突き出した。
「ん、美味ぇ、これでいいぜ」
「そ、じゃあ後は適当に……」
上手い事、ピックから肉だけを齧り取ったクレスは、膝に置いていたノートを、フェイネの杖の先に挟み込むようにして戻し、フェイネは他の付け合わせを作りにかかる。
と、そこへ。
「今朝は時間がなかったがお前たち、そいつの名前は決まったんだろうな?」
いわゆる幽霊、という存在のため、イーノの出現は変わらず唐突なのだが、今回は声の方が先に立ったため、三人は声の出所を探すために一旦手を止めた。クレスにとっては運悪く、火から下ろされた鍋の中身をつまみ食いしようとしている最中であり、フェイネに睨まれることになってしまった。
そして、肝心のイーノが姿を見せたのは、やはり三人が集う間あたり。歩み出るように現れたが、すぐ床に腰を下ろす。
「おう、やっぱりいいの出てこなかったからジジイのやつ貰うぜ」
「本当にお前という奴は……」
あの時は違うと、除外する方面においておきながら結局はこれだ。どこまでもしれっとした態度で迎えてきたクレスに対し、イーノはもう何も言わなかった。よくいる悪餓鬼、もしくはたまに出てくる問題児のそれ。そうして無理矢理自分を納得させておく。
「というわけで、こいつはヤーファイ。ジジイもよろしくしてやれよ」
「ふん、私は好かんぞ」
「はぁ? ねぇとは言ってたけど、それで悪影響出たらどうしてくれるんだよ」
この時だけは立場が逆転しているように見えた。腕を組み、頑なに拒否を示すイーノと、もっともで切実な、それでいて責任も伴う不満をぶつけるクレス。
「私にとっては、目の前で惨劇を起こした忌むべきものだからな……まぁ邪険にはしないでおく」
「ようし、そうこなくっちゃな!」
満足気で快活な笑い声を上げるクレスだが、ここは仕方なしにイーノが折れただけの話である。彼とて、この事態の責任を負う一人なのだから。過去の経験から私怨を挟んではならないことなど承知している。
「それにしても小僧、お前はなかなかの腕だな」
「へぇそうかよ」
一変して、上機嫌だったクレスは一気に冷め、拗ねたような口調になる。褒められているにも関わらず、だ。これはどうしたものかと、イーノは目を丸くし、フェイネは料理の手を止め、手伝っていたクロウブも何事だとそちらを向く。
「どうした、吉報だぞ」
「どうせ気が済むまでの自由時間ねぇには変わりねぇんだろ?」
「話は最後まで聞け」
うんざりとした顰め面で、膝の上に頬杖をつくクレス。正に今からその辺りの話をしようとしていたイーノは声低くたしなめた。
「お前の上達次第では空き時間を多く取れるかもしれないと言っているんだ」
「マジか!?」
感情の起伏激しく、今度は目を輝かせ身を乗り出してくるクレス。ここで彼は少し調子に乗った。
「じゃあ、さっきのアレが上手くできたからか! オレ結構いけるのか!」
「馬鹿言え、あれはお前がどの程度の力があるかの小手調べに過ぎん」
「あぁ? 何だよ……」
あれだけ疲れたのにと、クレスは勢い虚しく脱力しながら座り直す。もう少し落ち着いて話を聞けないものかとイーノは肩を落とした。
「要はお前の素質に伴い、上達も早ければ日程を組み直しつつ、修行日数を詰め込まなくてもいいということを伝えておこうと思ったわけだ」
「おぉ、そうか……何かあっさりしだしたな」
反応の慌ただしさはあったものの、結局としてまとめられた答えに、クレスは拍子抜けした様子で落ち着きを取り戻した。
そうしてイーノは毎度の仕返しとばかりに、ふてぶてしい笑みを浮かべる。
「励めよ? これでお前も心おきなく育成に関われるというものだ」
「へぇへぇそうするぜ」
待遇が変わったからか、クレスから反抗的な意地がなくなったように見える。その間、黙って聞きながらでも料理の手を再開していたフェイネとクロウブは、目というよりは顔が合ったイーノに首を傾げた。
「お前たちもこいつがサボろうものなら遠慮なく何かしてやるといい。今回のように食で左右してやるのもいいかもな」
「って言われてもな……」
「マイナスでクレスが動くかしら……」
んー、と一唸りするフェイネとクロウブ。過去の傾向からしてそれはないと言えるくらいだ。できることと言えば、嫌いな具材でも入れてやる、ということだが、そうするとクレスはそれらを当たり前のように除いていく。それでもこの状況で簡単に釣ることができるならば、これだろう。
「目に見えてサボりだしたらやるかもしれないわね」
「オレの嫌いなものばっかりぶち込む気だろ……」
「そうね、どうかと思うけど反対されても私はやるわ」
始まったぞどうすんだこれ、という不満しかない顔でクロウブに当たってみるクレスだが、クロウブは諦めろ、とでも言うように首を振った。
「余計なこと言いやがってジジイが……」
「ならば最後の日まで励むことだな。期待はできるぞ、小僧」
苦々しく睨みつけるクレスに、イーノは清々しく鼓舞するような笑みを向けてから立ち上がり、ではな、と背を向けて姿を消す。
「まぁ、よかったんじゃない?」
宣言の割にはしれっとした様子で一食分を取り分けた器をクレスに手渡すフェイネ。クレスは煮えきらない顔のまま、食前の挨拶も早々に肉の塊を頬張ると、陰った目でフェイネを見た。
「お前、あれ本気かよ?」
「本気だけどあんただってサボる気はないんでしょ?」
「ねぇよ、最初からねぇよ!」
「二回も言わなくていいわよ……でも、それなら文句ないわ」
フェイネは付け合わせにと切った、生野菜に手をつけると、ゆっくりとそれを咀嚼し、飲み込んでからスプーンを置く。
「別にあんただけとは言ってないでしょ。私たちだって一緒に責任負う立場なんだし、罰も一緒よ」
「態々自分で嫌いなもの入れて飯作るのかよ……」
「そうよ……そうよ、だからどうしてもできなかったらクロウブに代わってもらうわ」
また黙々と食べ進めていたクロウブは、いきなり振られた話に、俺かよ、と仕方なさそうに目を伏せた。確かに、自分で食べたくないものを調理するというのは気が引けてしまう。だから人に任せればいいのは簡単な話だが、そうならないことを祈るしかない。
「そういやこの肉買ってきたんだよな? 金大丈夫なのかよ」
「前から大都市用にって貯めてた分があったからね。そこからちょっとずつ切り崩しちゃってるけど」
「使いきらないようにしないとな」
そう心配しつつ、目の前にある肉はがっつり食べにいく。どうせ用意したのはこの一食分だけなのだ。それに、この先は極力金銭の消費を避け、身の回りで調達できるものも含め、やや質素な生活を送らねばならない。
「金は絶対残しておけよ?」
「貯めてたのに全部使うわけないでしょ……後は自由に動けるなら周りの森とかも見ておきたいんだけど」
今回の場合、町が近くにあるため贅沢に手が届くだけであって、必要がなければいつもの野営のように過ごせばいいだけのこと。期間が長すぎるのだとしてもだ。そのためには周りに何があるのかを調べておくことも大切である。
「ヤーファイも連れ歩けばいいか?」
「探索するだけなら動かない今がチャンスってものよね」
悩みながらも食べる手は止めず、だがフェイネは口元でスプーンを弄ぶ。クレスは頬張っていた肉を飲み込むと、次の一口を取るだけ取った。
「まぁオレがジジイに捕まってる間は任せたぜ!」
そうして片手は敬礼、片手はスプーンを口に運ぶという、そうするしか手段はないが、自分が関わらない部分は丸投げという清々しさ。
二人もそこは重々承知しているため、代わりに親指を立てた手を突き出した。
「ならそっちは存分に頑張って!」
「トリは任せたからな」
同様に丸投げとする。と、このやり取りが妙で面白くなってしまった三人は気の抜けた笑い声と共に、気を取り直すための一口を運んだ。