一日目 名付けとちょっとの自由時間
「……結構な作業をしたものだな、お前たち」
様子を見に姿を現したイーノは、砂埃に服を汚した三人が悪魔を囲み唸る場面に遭遇し、また広間の四分の一程が片付いている光景も目にし、一先ずは労う声をかけてみた。
「それでも名前は決まらないというわけか」
そして上げて落とす。
一応ここで三人はイーノを見上げ、クレスに至ってはすぐさま文句のために口を開いた。
「仕方ねぇだろ、こんなことやったことねぇし」
「少しは愛着が湧くようにと簡単な呼び名でいいと言っただろう」
「でもこの先ずっと使う名前だろ? ちゃんとしてぇじゃん」
片やそれらしく格好いい名前がいい、片やもう少し可愛い名前にしたい。だがそれ以前に、かっちりと馴染む響きが浮かんでこないというのが難点だった。
それでも悩むことこの休憩時間まで。イーノは仕方なく腕を組むと、ふん、と短く唸る。
「では最後の文字を頭に持ってきて“ヤーファイ”。これでどうだ、響きは悪くないだろう」
どうだ、と既に言ってはいるが、そう言わんばかりの態度。妥協くらいしろと見下ろしてくるイーノを前に、三人はしばし彼を見上げたまま固まってしまった。
今、彼は名前の提案をしてくれたのか、と互いに目で確認し合った後で、クレスは腕を組んで深々と考え込む。
「でもなーんか違ぇよなぁ~……」
「お前、そればっかりだな」
自らではあまり候補を上げてこないが、出てきた名前はこうして、納得がいかないような物言いをする。既に候補を捻り出している段階に入っているフェイネとクロウブは疲れ始めていた。これでは休憩時間だというのに意味がないというもの。
クレスは直感で違うと感じつつも、ひとしきり悩んでから、ひらりとイーノに片手を上げてみせる。
「まぁ、ありがとよジジイ。候補としておいておくぜ」
イーノとしては早いところ次の段階に移ってほしいと思っていたのだが、クレスに軽くあしらわれてしまい、上手くいかないと諦めて首を振った。自由に過ごしていいと言ってしまった手前、口出しすることは憚られる。
「とやかく言うつもりはないが、明日までには決めておけよ。早速修行を開始するからな」
進展はないが、この様子では心配なさそうだとも判断できたイーノは、クレスにとっては嬉しくない爆弾を落として姿を消した。
「あー、結局今日だけかよ……オレの自由時間……」
「最初だしそこまではやらないんじゃない?」
「いいや分からねぇぞ、あのジジイのことだし」
膝を立て、そこに腕と顎を乗せたクレスは、残る自由時間と来る修行開始とに挟まれ、歯をむき出しながら不満しかない顔をする。
「でもやるしかないだろ? 大都市のためだと思ってくれ」
「遠すぎてどうしろってんだよ……それにまずジジイが面倒くせぇ」
体は十分休憩できたらしく、早くも作業再開に立つクロウブを横目に、クレスはまだ割り切ることができないようで、今度は子供の我が儘よろしく唸る。
「修行中だったらちゃんと師匠やってくれるでしょ。それかいつもみたいに楽しみでも見つけるかね」
「楽しみ……」
座ったままで伸びをしたフェイネも立ち上がり、ごねたまま動きを見せないクレスは、まるで失念していたその提案に、ちらりと悪魔に視線をやる。
「こいつがどう成長していくもんかって楽しみはあるけどなぁ」
「じゃあそれでいいじゃない。ちょっとずつの成長を励みにでもしなさいよ」
多少現金でも、今はそれで割り切れたらしいクレスは、全身で重たさを醸し出しながら遅れて立ち上がる。どうせ無情にも時間は過ぎてしまうものなのだ。好きなこととは言えないが、二人と共に作業している方が気も紛れるというもの。
中央で燃える焚火と、その隣で揺らめく火の玉という悪魔だけが、辺りを照らす神殿内広間。暗くなっている今ではもう撤去作業もしないと、昼間被りに被った汚れを落とした三人は、簡単に具材を煮込んだスープを手に、一日の疲れを癒していた。
「そういやジジイが言ってたんだけどよ、次の変化がない限りこいつ寝たままみたいなんだよ」
「楽しみのために早く次いってくれないかって言ってる? それ」
「だってただの火だぜ、火! 何かしらは欲しくねぇ?」
クレスはスープをかき混ぜていたスプーンで悪魔を指すと、何も乗っていないそれを口に入れ、近くに避けてあった木片を手に取った。
「薪でもくべてやりゃあ起きたりしねぇかな」
「──やめておけよ、クレス」
「う、冗談だって……」
少しの間黙々と食べ続けていたクロウブがほんの一言、低くたしなめた声には十分威圧感があった。クレスは詰まって手を止め、関係ないフェイネでさえ、余計な事をしないかと落ち着きなくクレスの手元を見張っているため相当なものだ。クレスは焦り、木片は焚火の方へと投げ入れる。
「ちょっと、まだ鍋かけてあるんだから気をつけてよ」
「わ、悪ぃ……でー、クロウブは怒ったのか?」
「少しな」
手が空いたクレスは口からスプーンを取り、今度は芋の一欠片を口に放り込んだ。その中の動作は、クロウブをこれ以上刺激しないようにと最小限に済ませている。そのクロウブといえば、隠しもせずに答えた後で器を煽り、中を空にした。
そうして次の一杯と鍋に入れられたままのおたまに手を伸ばす。
「火の玉でも、それは悪魔で生きてるわけだろ? 下手に刺激できないと言ったのもお前だ。昔話の悪魔だと分かった今、わざわざ死にに行くようなことをする気か?」
注ぎ終えた器を手に、クロウブは言い聞かせでもするかのように首を傾げてみせる。それを黙って聞いていたクレスは、分かりやすくなった例えに粛々と頷くと、口の中だけで喋るように、しみじみと呟いた。
「やっぱり目のつけどころが違うぜ兄貴は……」
「──っ、それはやめろ」
予想外に放たれた単語に、吹き出しそうになってしまったクロウブは、寸でのところで耐える。反省のはの字もないまま、ふざけて話の流れを変えに走ったように見えるクレスだが、実のところクロウブがそこまで怒っているわけではないことを見抜いていた。
心底怒ったような重圧のある声で手を止めさせ、注意を促すだけという、彼なりに一言言ってやりたい時のおっかない癖。それこそ本当に怒っている場合もあるが、その時は冗談の一つすら言えない空気だというのは肌で感じられるし、本気で反省しなければその空気が落ち着くこともない。
「あんた、今の状況でよくそれが言えたわね……」
「本当にちょっとしか怒ってないの分かってたし」
「ああ、分かればそれでよかったからな」
何事もなかったかのような空気に直った二人の前、そう、とフェイネは一人腑に落ちない様子で一口を含むしかなかった。と、そこであることを思い出す。
「そうだ、名前はあれでいいの?」
「ああー……どれもピンとこなかったしなぁ、あれでいいと思ったけど」
妥協と言ってしまえば妥協だ。何せどれだけ考えてみても、それらしく納得できる名前の一つも浮かんでこなかったのだから。
クレスは具材ごとスプーンを噛んだ。
「これで後はひたすら最後までか……」
「今日はもう出てこないのかしら。決めたの聞いたら一言くらいありそうだけど」
「ないなら明日でいいんじゃねぇ?」
クレスは煽って中身を飲み干した器を床に叩きつけるようにして置き、その中にスプーンを投げ入れた。木製のため、からころと温かい音が鳴る。そうして両手を打ち合わせ、軽い調子で食後の挨拶を済ませる。
イーノに出る気がないのなら、大した用もないということか。彼のことだから区切りの挨拶の時には出てくるものだろうと思っていたが、そうでもないらしい。
そういうことにして、フェイネも空にした器を置いて一息吐き、クロウブも食べきったとフェイネに一声かけた。
「今日はまぁ様子見というか、場慣れのためにくれた一日だろうし、明日からが勝負ね」
いよいよ明日から始まる本番に備え、三人は気合いと共に力強く頷いた。
その真夜中、変化のない悪魔だけが中央で揺らめく広間にて寝静まった三人の元へ、イーノが姿を見せた。当たり前だが出遅れたのではなく、異常がないかの監視である。彼が知る中で“次の時”がまだ先であるのは確かだが念のためにと。しかしその心配もないと分かると、彼は悪魔を忌々しく睨みつけた後で姿を消した。