一日目 挑戦馬鹿と最終確認
「おう、お帰り~。意外と早かったな」
「イーノは?」
広間にあったのはクレスの無邪気な笑顔。口喧嘩でもしながらの話を覚悟していた二人は、やや拍子抜けした。
「話は済んだのか?」
「話ってものでもなかったぜ? 聞くだけ聞いてきてすぐに消え──」
「戻ったか」
焚火の跡を囲みながらの談笑に落ち着いた三人の元に、イーノが姿を現す。瓦礫の上に腰掛けることなく立ち姿で現れ、そのまま輪に入るように腰を下ろした。
「どれ、その布の素材は元よりこの悪魔の影響から生まれたもの。親和性もあるだろう」
「どうすりゃいいんだよ」
「一先ず敷いておけ」
敷く。その結果だけを聞くなら、簡単な行動で終わりにできるのだが、三人はフェイネの手元にある布と箱とを見比べ、それこそどうすりゃいいんだ、という顔をする。
「完全に燃えてる火の玉に見えるし……素手で触ったらどうなるのかしら」
「上手く蓋を使いながら移すしかないか……?」
思案するフェイネとクロウブを他所に、クレスはマントの裾を持ちながら、燃える悪魔のツノにあたる部分とを見比べ、不意にその手を前に出す。また何をするのかと不思議そうに二人が見守る中、あろうことかクレスは、マント越しに悪魔の揺らめくツノを──掴み上げた。
「──な、なな、何してんのよあんた!?」
「いくら布越しでも手は!?」
「う、うおぉい、その布寄越せ! 怖ぇ!」
好奇心が勝り、先のことは考えていなかったらしいクレスの慌てように、フェイネも慌てながら、綺麗に折り畳んだ布を底に添え、受け止める。
安定する位置に持ってきた悪魔に異常がなさそうだと認め、フェイネは安心し、クレスも新しいマントと手に、異常がないことをよくよく確かめ、クロウブも何事もなく落ち着いたことに安堵と、三人の溜め息が重なる。
「馬鹿やってるんじゃないわよ、本当に……」
「でも見たかよ! あんな場所でも掴めるんだぜ!?」
フェイネはクレスとの間に悪魔を下ろすと、嬉々とした顔を見せてくる彼に呆れると同時、眉間の皺を濃くした。
「火傷なんかしてないでしょうね?」
とは言うものの、そんな心配など必要ないことはフェイネも体感できていた。自分で持ってみた布が何枚も重なっていたとしても、伝わってくる熱は無に等しかったからだ。
口にこそ出していないが、クレスは答えるように、笑顔で手の平を突き出してくる。
「ちょっと熱いくらいで平気だったぜ、マントも無事だしな!」
「せめて一言添えてからにしてくれ」
全くの予想外に事は進んだが、これで一つの準備は整った。まだ覚醒状態に至っていなくても、あんなことをされたというのに、悪魔は大人しく耐火布の上で揺らめいているだけだ。その布が上質な質感であることから、神聖な炎にも見えてくるのが何とも不思議である。
「まさか、ここまで阿呆な行動をするとは思わなかったぞ……」
今まで成り行きを見守っていただけのイーノが、驚愕の残る顔で腕を組む。手は出せないにしろ、ならば何か声かけぐらいしてもよかったのではないかという、一人の目が彼を射抜いた。
「そう言うんなら助けろよ」
「それは火の属性を持っているだけだ。何も本当に燃えている火の玉などではないぞ」
「最初に言えよッ!」
遅すぎる助言に、脚に手を打ち付けたクレスは勢いよくイーノを指差した。だがそれは過ぎた怒りでもあり、彼はその怒りを鎮めるように大きく一息吐くと感情を正した。
「それで、まだ話があるから出てきたんだろ?」
「ああそうだ、最終確認でもしようと思ってな」
最終確認、その言葉に思わず身構える三人。それが終われば、後は各々が来る日に向けて行動するのみとなる。
イーノは咳払いをし、喉を整えた。
「おおよそは昨晩の通りなわけだが、生活基盤を整えるならこいつが自主的に行動しない間にするといい」
「そんなに手がつけられないまで成長するの?」
「場合によってはな、それらは全てお前たち次第だ」
冷たく突き放しているように聞こえるが、事実そうだ。イーノができることは助言と、封印術の伝授だけであり、悪魔に影響を与えるまでの存在はない。悪魔が成長する糧は彼らが与える善悪や、その周りの空気までもがそれに値し、その人間性が反映されるかのように悪魔は姿を変えていく。何が生み出されていくかは彼らの腕にかかっている、ということだ。
「凶暴なのに育っちゃったらそれこそ大変ね……」
「まぁ、過去の例として、一度凶暴化しても次には鳴りを潜めたということはあったがな。過信はするなよ」
「ええ」
失敗はできない、許されないという責任からか、フェイネの返事は硬く深刻なものとなる。最後の大役を務めるクレスへの負担を、少しでも減らさなければならないという緊張からだろう。
そんなフェイネの重そうな表情を横目で窺ったクレスは、またイーノに視線を戻した。
「そういやよ、さっき最上段階の術くれるっつったじゃんよ」
「万一のためだ。どんな状態でも成功させてもらわねばならんからな」
「それじゃあさ」
フェイネのことを見兼ねたかそうでないのか、クレスが聞き出した先の見えない話に、何か途轍もなく嫌な予感が漂い始める。
「ちょっとくらいやべぇのに育ったって問題ねぇってことだよな?」
「……お前、何を考えている?」
ついにはイーノまでもが訝しむ始末。フェイネの沈みかけていた気分も、クロウブの思案顔も、この時ばかりは晴れる、というよりは次にどんな言葉を放り込んでくるのかと構える表情に塗り潰されている。
そうしてたっぷりと前置きをしたところで、クレスは拳を作り、目には力が入った。
「何ならドラゴンにでも育ててみようぜ! その方がオレもやる気出──」
「「馬鹿ァー!」」
二人分の怒号が重なる。そら見たことか、とんでもないことを言いやがったぞこいつ。
ドラゴンなどというワードに、二人は殴りかからん勢いでクレスの前まで詰め寄る。
「さてはあんた馬鹿ね!? そうよ馬鹿だったわ、ええ馬鹿だったわね!」
「そんなに馬鹿馬鹿言わなくても……」
怒りを通り越し、目まで潤んできてしまったフェイネは、ついに両手で顔を覆い俯いた。ほんの出来心からだったのに、とクレスは怒涛の馬鹿に焦りを覚える。
「やめてよもう……重く悩んでた私が馬鹿みたいじゃない……」
「クレス、言いたいことは分かるけどな、もしもの時を考えてみろ」
唯一叫んだきりのクロウブがフェイネの肩を叩きながらなだめる中、クレスのことも諭しにかかる。
もしもの時だ。もし本当にそう育ち、もし最後にも失敗、という無残な結果に終わってしまった時の、最悪の想定。
クレスは真顔で頭や目を動かすこと数回。やっと想像に及んだらしく、その顔を青に染めた。
「喰われ──死ぬ!? 大都市行けねぇじゃん!」
「その前に大都市もなくなるかもな」
終わり良ければ総て良し、とは言うが、それは終わりに足る結果がついてくればの話だ。彼らの場合、失敗すれば未来をも失われてしまうというのが残酷な話だが、それだけの責任を負わなければならないことをしてしまったのだ。
できるだけ安全に、慎重に。最後を担うその日まで、最善を尽くし続けなければならない。
「ふん、あんたがそれを自覚してなかったら、本当に化け物にでも育て上げてぶつけてやるところだったわ、馬鹿」
「わ、悪かったって……」
そこまで取り乱してもいなかったらしいフェイネが目の縁を赤くしたまま拗ねるように、だがその目はじとりとクレスを睨みつける。謝りながらも小さく危ねぇ、と呟いたクレスは、そこではっと何かを思い出したらしく、控えめに挙手をした。
「お、オレも育成に関われって言われてよ……」
「それじゃあ一応あんたが望む通りに育てられるってわけね」
「いやもういい! 真面目にやる」
では今までは遊び気分だったというわけか。刺さる三人分の視線。
クレスは先程までのいい加減さを制止するように、手を突き出して宣言する。
「最上段階の封印術はちゃんと覚えるし、育成もなるべく害のない奴に育てるようにするからな!」
「それは嬉しいけど一番先に立つべき目標だからな、本当に」
「……お前たち、その阿呆な問答は終わったか」
既に疲れ果てた様子のイーノが加わってくる。明確な口出しはしてこなかったが彼だが、その奥ではクレスたちの会話に反応はしていた。態々口を出すまでもない馬鹿馬鹿しさだと思っていたのだろう、イーノは組んでいた腕の片方を解くと、その手で頭を抱え溜め息を一つ吐いた。
「その様子なら改めて言うこともない、か……」
まだまだ心配を拭えないという顔をしているが、イーノは立ち上がった。
「私は一度日程を決めに消えるが、聞いておきたいことはあるか?」
「お、それじゃあフェイネ、鏡貸してくれよ」
「別にいいけど何に使うのよ」
表情こそ渋々、という様子のフェイネだったが、ウエストポーチから手鏡を取り出す仕草は素直だ。それで思い出したらしいイーノは、受け取った手鏡を無造作に突き出してきたクレスの手に対し、自身を映すように腰を折る。
「ほらよ、ジジイ」
「──む、これ、は」
ニヤニヤとからかう生意気さを隠そうともしないクレスなど目に入らないらしく、イーノは映った己の姿に目を見張り、すぐに眉間に皺が寄った。
「言ったろ? 誰がどこからどう見ても白髪の頑固ジジイだって」
「むぅ……」
「私たちが出てる間何の話してたのよ……」
受け入れられない、というよりも信じられない、といった顔で鏡の中の自分を見つめ、唸るイーノ。これで分かったかと、クレスは手を下ろした。
「何が起きたんだ……以前の私はまだ……」
「あんなところに押し込められてたせいで魂まで凝り固まったんじゃねぇの?」
「小僧……!」
事実に手を震わせ、絶望にうわ言を繰り返すイーノに追い打ちをかけたクレス。絶妙な逆撫で加減と、そのどこまでも馬鹿にしたように鳴らされた鼻がイーノの怒りを買うのは当然で、しかしそれでも怒ることで彼は落ち着いたらしい。
「……長き時が過ぎたと考えよう、この際私のことはどうでもいい」
「ならやること決まってるし聞くことねぇわ。けどこいつこんな状態だしやる気出ねぇなぁ」
ぱたぱたと手で悪魔のツノへ風を送るクレス。その風に煽られ、ややツノの揺らめきは流れるが、されるがままのそれ。
「ならば名前の一つでもつけてやったらどうだ。それとの別れは必至だからな。愛着が湧きすぎるのも困るが」
「そんなもんねぇに決まってんだろ。でもそっか、名前ねぇ……」
名前。三人の視線は悪魔に集まり、真剣な顔で止まる。イーノにとっては何気ない気休めのつもりな提案だったのだが、想像以上の空気に彼は去り際が分からなくなってしまった。
「どうせならファイアー! みたいな名前にしてぇな」
「普通に取ってファイ、とか」
「もっと格好よくしようぜ」
また安直な、とイーノは簡単に上がってくる名前候補を聞きながら昔を思い出す。同期の仲間や弟子の中にも、短い間だというのにやたら名付けにこだわりを見せ、なかなか決まらないなんてことが多々あったということを。そして、これは長引きそうだという結論が出たため、ここは自分の時間を使った方が賢明だと判断し、一応と一言かけていく。
「……今日は様子見として好きに過ごすといい」
「おう、じゃあな~」
ちゃんと返事がされたのを聞き届け、イーノは姿を消した。その一声が区切りとなったか、三人は命名作業を一旦切り上げることにする。
「この広間、早いうちに片付けちゃいましょうか。何となく話し合いながらでもいいし」
「少しずつ範囲確保していくか」
「あー、フェイネ。鏡ありがとよ」
立ち上がり、フェイネの手鏡を手にしたままだと気がついたクレスはそれを返してから、悪魔の乗った布を引きずり真ん中あたりまで持ってくる。
「よーし、動くんじゃねぇぞ、お前」
「意味あるのか、それ」
「言っておくだけでも違うかと思って」
ペットへの言いつけのようにも見えるクレスの仕草。準備運動にと肩回りを解していたクロウブは思わず聞き返してしまったが、当のクレスといえば大真面目。今この悪魔の自我がどれ程のものなのかは誰も知る由はないが、言葉をかけるだけでも先の変化に向けては効果的であるのかもしれない。
「それにしても神殿修復滞在、かぁ……」
「何だよそれ?」
「体のいい滞在理由だ。それなりに直しもするんだろ?」
ええ、とフェイネは立っていた場所、足元の埃を簡単に吹き飛ばして振り向いた。
「自分で理由作っておいて言うのもどうかと思うんだけど、難しいわよね、ここからの修復」
「まぁ、な。こうして見ると瓦礫も結構細かいしな……後は砂埃を取り除けばそれなりなんじゃないか?」
「どうせ片付けなんか片手間だろ? オレたちが困らない程度でよくねぇ?」
それを言ってしまえばおしまいというものだが、それでいいと言えばそれでもいいのだ。結局は今、気分良く使える場として整えておけば十分なのだから。
仮にたまの雨宿りに訪れる旅人がいたとしても、彼らが去ればたちまちのうちに朽ちていくだろう。
「とりあえずこの柱は端に寄せるなりしておきましょうか。どうするかは後で考えるとして」
ふぅ、とフェイネは妥協したような溜め息を漏らす。それが開始の合図となり、クレスとクロウブが瓦礫に手を伸ばした。
「そういえばイーノの話は何だったのよ、結局」
「さぁな、封印術覚えろと育成に関われってのと、後は精霊とかに対する接し方がどうとか聞かれただけだぜ?」
意味分かんねぇ、とクレスは瓦礫に手をかけ、小さく崩れてしまったそれにむせる。
「イーノにとっては意味のある話なんだろ」
「成長に影響する、とか?」
「かもな」
クロウブは移動に邪魔な足元の瓦礫を蹴り飛ばし、フェイネも何とか手押しで石の塊を端に避ける。考えてみたところで結果は出ない話だが、今はそういうことにしておく。
「あいつどうにかしねぇとだもんなぁ。名前決めようぜ」
「そうねぇ……」
こうして名前はどうするか、他にもどう育ったらいいかなどの雑談を挟みながらの、彼らの広間掃除は昼まで続いた。