エンファレイムの町
ちょっと長めです。
かつて炎の大災厄に見舞われた地、エンファレイム。
当時の地名からは改められてはいるものの、その地の在り方は変わっていなかった。中でも甚大な被害を受け、消失しかけた一つの町がある。はずれに位置し、昔はおろか今でさえその地に名前はつけられておらず、そのため人々はただ“エンファレイムの町”と、そう呼んでいた。
そこへ今しがた、三人の旅人が到着したところだった。
「はー、ここが……普通の町だな。つまんねぇ……」
いち早くと駆け出し、町を見渡したクレスは一気に落胆した。高価に見える剣の柄が、背中から飛び出しているマントの後ろ姿。簡易な上下に黒いブーツという、想像するに難くない旅をする青年の格好だ。いつも元気よく跳ねている焦げ茶色の髪は心なしか大人しく、新しいものに輝きを見せる真っ青な瞳も陰っているように見える。
この町の歴史を聞き及んできた限り、波乱に満ちたものに変わりはない。が、今を想像するにあたって、彼の中でどれだけ逞しい風景が繰り広げられていたかは知る由もないことである。
「当たり前でしょ、名産品が特殊なだけなんだから」
未だ町の入り口で地図を睨みつけていたフェイネは、クレスに対し、冷静に指摘を入れてからやっと顔を上げた。前を見つめる瞳は赤い木の実のような瑞々しさがあり、高く結い上げられた濃い黄色の髪は、緩やかにカールして、毛先は重力に逆らうように巻いている。地図を持つその手は、左側だけに袖が付けられた赤いフィッシュテールタイプのドレスで、裾の縁から白いラインだけで入れられた花模様が赤の主張を和らげている。生地がしっかりとしていることから軽い印象は受けないものだ。短すぎないスカートから伸びる左脚には、大きく翼をモチーフにしたタトゥーが目立っている。
「ここは調達に寄るだけなんだろ?」
地図を閉じようとしたフェイネは、その上に群青の籠手に覆われた指先が乗ってきたことで、後ろから覗き込んできたクロウブが見やすいようにと体を傾けた。そんなフェイネの上からでも、その手元を覗き見られそうな程、彼は背が高く体格もいい。
「ええ、クレスに耐火布のマントでも買ってあげようと思って」
動きやすさを重視しているが、肌の露出は一切ない、全身が薄青と黒でまとめられた装束。地図に落とされるグレーの瞳は曇天のようであり、背中まで伸ばされた長い銀髪は、後ろで括られていても量が多いことが一目で分かる。その中でも目を引くのは、左頬にある大きな傷跡。よく見れば首にまで到達しているものだ。しかし、それでも兄貴分という好印象が残されている。
クロウブはフェイネの口から出てきた耐火布のマント、という単語に遠い目をしてあぁ、と頷いた。
「これで夜ゆっくりできればいいけど……」
「俺たちの負担が減ればな……」
町の入り口に立ち尽くしたままの二人から離れない場所にいながら、町を眺め回すクレス。その楽しそうな背中で揺れているくたびれたマントを、二人はただひたすらに遠い目で見つめていた。思い出されるのはほぼ毎度である夜の惨劇。焚火の大騒ぎ。
野営において火は欠かせないものだ。簡単な調理をするにしろ体を温めるにしろ、そうして眠る時に決まって起こるのが、クレスのマント燃焼事件。どこで寝ようが彼の寝相の悪さは変わることがなく、寝返りを打ってはマントを燃やし、気づいたフェイネとクロウブが慌てて消火するという始末。しかし、当の本人は全く気付かず、学習もしない。
「よし、他のも見ながら行きましょうか!」
気を取り直し、手を叩くように地図を折り畳んだフェイネはそれをしまい、脇に挟んでいた杖を持ち直した。白い幹の木のような、先に広がる無数の枝には果実が生っているデザイン。それらは全て色とりどりで透明感のある天然の石だ。動く度、光にきらめく様子は神々しさを感じる。よく見れば、フェイネが身に付けている小物にもそういった石が飾られている。
そうして、ようやく動き出した二人のところへ駆け戻ってきたクレスは、落ち着いた様子で足並みを揃えて歩き始める。
「なぁ、何買っていくんだ?」
「大都市までもう少しかかるし……足りないものの様子見ながらと、あんたのマントを探すのが最優先よ」
「マジで!?」
人の苦労など露知らず。装備を新しくできることにしか考えが及んでいないのだろう、切実な思いなど片隅にもなく、素直に喜び表情を輝かせるクレス。今一つ理解がずれているような、フェイネはひたすらに上機嫌になっている彼の腕を杖で小突いた。
「言っておくけどあんたの好みは聞かないわよ。耐火布でできてるものしか買わないから」
「分かってるって!」
本当かしら、とフェイネは髪を一振りして一つ目の角を過ぎる。頭の後ろで手を組み、笑顔を絶やすことのないクレスと、一歩後ろでぬるい笑顔を浮かべるクロウブはついて行くだけだ。
統一されたような白塗りの壁に、くすんだオレンジ色の屋根。大きさや高さこそ違うが、この町の建物は全て似たような色合いのものばかりだ。店は、ほとんどのところが吊り戸のカウンターからやり取りをする形式になっている。
「他にもここだけの名産品……なんて言ったら全部が全部だから困っちゃうわね……」
「本当に使う物だけにすればいいだろ」
「面白そうなのねぇかな?」
この際、能天気なクレスは置いておくとして。フェイネが悩むのも無理はない。
ここ、エンファレイムの町にある名産品は、他のどこにもないと言われる程特殊な品であり、唯一無二のもの。過去の惨劇により生み出された品が、現在に至るまでの繁栄をもたらしたなど、皮肉な話でしかないが、実際そうなのである。
消えかけた大地に新しく芽吹いた命。町を復興させようと奮闘していた人々は、その大地に宿る自然に異様な何かを感じたという。採集した植物から作られた糸で織った布、編まれた小物などは燃えにくく、熱も通しにくかったりと、火に耐性のある品になった。またそれとは逆に、非常に燃えやすい枝葉を持つ木も見つかり、注意は怠れないが町の生活に役立ったのだとか。
他にも、一度火を点ければ延々と燃え続ける岩石は、外からやってきた人々に多く求められるようになった。それらは昔と変わらず、現在も採れ続けている。
そうして、フェイネが杖で肩を叩きながら曲がった次の角。人通りが多くなり、吊り戸が上げられ、せり出している建物が見受けられた。店がある通りなのだろう。
「あんたが面白がるようなものはここには──」
「あら、旅の方かしら。耐火の織物はいかが?」
少しも足を進めないまま、すぐ右からかけられた声。目を向ければ、深い皺を刻んだ老婆が、優しい微笑みを湛えて店先に立っていた。その手にはちょうどクレスが着けているマントと同じ、明るすぎない白色の布が。三人は全く同じ心境で目を丸くした。先に声をかけられたとはいえ、最初に立ち寄る店が、探し求めていた品を売っている場所だったなんて、と。
「初っ端から見つかるなんて……!」
「あらあら、これを探していたの? 声をかけてみてよかったわ」
すぐさま駆け寄ったフェイネは、興奮した様子でカウンターに手をついた。あまりの勢いに老婆は目を見開いて驚くも、次には孫を見守るような温かい眼差しを向けてくれる。
「マントってありますか?」
「ええ、いくつかあるわ。少し待っていて」
フェイネに頷いた店主らしいその老婆は、持っていた布を畳んでカウンターの端に置き、店の奥、引き出しから身の丈程の大きな布を数枚引っ張り出した。落ち着いた白から目の覚めるような明るい色、鮮やかな模様の入ったものまで。それぞれ一枚ずつしかないが、選ぶ余地はある数だ。
「それ全部燃えないやつなのか!?」
「燃えないは言い過ぎね……燃え広がりにくいとか、火の回る速度が遅めになる、というのが正解かしら」
洗濯のシーツでも抱えるようにマントを運んできた店主は、店の中央にある大きなテーブルの上へと一枚ずつ並べていく。三人は店内と外とを繋ぐ唯一の窓から窮屈そうに覗き見、特にクレスは目を輝かせていた。
すると店主は表の出入り口を開け、入ってらっしゃい、と彼らを店内へと招き入れる。
「いいのか?」
「ええ、試着した方がいいでしょうし。でも外で裾が擦れても困ってしまうから、店内でお願いするわね」
店主は笑みを絶やさないまま謝るが、それは少しでもいい品を届けたいという、商売に大切な心得だった。三人は顔を見合わせると納得して頷き、それなら全然構わないと店内へ入っていく。その様子に、店主は安心して出入り口を閉めた。
「それじゃあ好きなのを選んでね」
既に並べられたマントの前に立ち、品定めするように眺めていたクレスは、一枚を手に取り嬉々として目の前に掲げてみせる。迷うまでもなく、選ぶものは一つしかないと思っていたフェイネとクロウブは呆気に取られた。彼が取ったマントに関してだ。
「これなんかどうだよ?」
「本気?」
「本気か?」
疑いしか孕んでいない声が重なる。率直に言って、それは派手以外の何物でもなかった。
真っ赤な生地に金の刺繍が施された、非常に豪華な一品。例えるとするなら王族の衣装、ジャケットとしてよくありそうな代物。相応の風格を持つ人物が身に着けるならまだしも、そんなものを欠片も持っていない青年が身に着けるなど、残念すぎる上にマントが泣くというものである。
「冗談に決まってんだろ!」
「なら真面目に選びなさいよ」
けらけらと笑うクレスに、冷めた様子で腕組みをしたフェイネ。割と、どころではなく、ほぼ毎度、こうして絶対に合わない装備品を手に取ることがあるのだ、この男は。確実に決めたような顔で。こうも同じパターンを繰り返されると飽き飽きしてくるものである。
へいへいと適当に返事をするクレスだが、マントを戻す動作は丁重だ。こういうところはしっかりしているため、彼なりのルーチンワークなのだろう。
「選ぶまでもなくこれだろ! 婆さんこれ買うぜ!」
「はーい、ありがとうね」
今度は丁重の欠片もなく、目当てのマントを引っ掴んだクレスは、上からそれを羽織る。現在着用しているものと変わりないデザインのマントだ。適度にくすんでいる白色。肩回りまで生地が広がる、頭から被って着るタイプのマント。
「本当、全くと言っていい程変わり映えしないのね……まぁいいか」
「馴染んでる方がいいんじゃないか?」
「にしたって奇跡だよな、一発目で店当てて同じやつ買えるなんてさ」
早速着替えようと、前のマントをクロウブに投げつけたクレス。ただ被り直すだけという、手間もかからない早着替え。フェイネは代金を払いながら、何が変わったのかという彼に妙な安心感を覚え、クロウブはその前で腕を組み、全身のバランスを見ていた。
クレスは最後に、肩回りの違和感をなくすために整える。
「よかった、長さもちょうどいいみたいね」
「おうよ!」
微笑む店主の前、クレスは得意気に仁王立ちを決める。その後ろでは、前のマントを押し込むようにしまったクロウブとフェイネが、マントの手触りを楽しんでいた。よくある生地のような、それでいてどこかつるつるとした滑らかさがあり、温かみも感じられるような不思議な布。
クレスも加わり、三人で手触りの言い合いをしていると、店主は頬に手を添えた。
「そういえば貴方達は森を抜けて来たの?」
「はい、これから大都市に向かおうと思って」
「ふふ、無事に来られてよかったわね。きっと神官様が見守ってくださったのかもしれないわ」
神官様。異質な響きに三人は首を傾げた。その様子に、店主は寂しそうに視線を落としながら微笑みを見せる。
「大昔にこの地を救ってくださった偉大な神官様がいらしてね……こんなお婆さんの昔話でよかったら聞いていってくれないかしら」
嫌がるどころか真剣に頷いた彼らに、店主は静かに語りだした。この地にまつわる昔話を。
何百年と遡る大昔のこと。全てを焼き尽くし、喰い尽くさんとする炎の悪魔が現れた。人を、家を、町を。自然を、大地を。猛烈な速さと威力で、そこに存在する何もかもを飲み込み巨大化した大災厄。止まることを知らないその悪魔に、彼らを担う神官達も成す術がなく、全てが消えて無くなると思われた。
そんな絶望の中、一人の神官が立ち上がる。彼は持てる力全てを奮い、大災厄に達した悪魔を封印しようと対峙し、戦った。悪魔を封印する任務に長けた神官達でさえ、その恐ろしさに諦めを感じる中、彼はただ一人でも諦めることはなく、立ち続けた。その姿に鼓舞され、隠れていた精霊達が力を貸し始め、それは諦めていた他の神官達をも立ち上がらせ、地を守るために戦うことを選択させた。そして、弱っていった悪魔を封印することに成功した彼の神官。だが、長い戦いで疲弊していた彼は、悪魔の最後の抵抗により、魂を引きずられ命を落とすことになってしまった。
こうして悪魔を封印し、地を守ることができた人々だが、一人の勇敢な神官を失うこととなった。以後、封印を施した箱は、彼が仕えていた神殿に厳重保管されることになり、立ち入る者も制限されることになったそうだ。そして近くの町には彼を讃える像と、祈りを捧げる場が作られ、人々は復興の合間を縫って、彼のために祈りを捧げ続けたのだとか。
「──っていうお話なんだけどね」
「何かあんまり関係ないような──痛っ!」
「それってこの町に?」
頷けなくもない一言だったが、フェイネはクレスの頭を引っ叩いて質問を被せた。店主は食いついてくれたことが嬉しかったのか、ええそうよ、と笑顔になる。
「貴方たちみたいな若い子に興味を持ってもらえて嬉しいわ」
それは、今ではもう興味を持ってもらえないという意味に聞こえた。
店主は窓の外に目を遣ると、彼の場所を思ったのか、切なそうにその目を細める。
「今じゃもう、本当にあったかも分からない古い古いお話になってしまってね……あの神殿も捨てられてしまったと聞くし……」
話の要である神殿が捨てられた。そのため、現在を構築した昔話としての一面が強くなり、更に信仰の薄れが加速してしまっている。漠然とした記録だけが残り、その目で見た人物もいなくなった現在で、語り継ぐだけの昔話など、逸話として昇華されてしまうのも道理だが、こうして長い年月が経った今でも、事実として信仰する者もいるのだ。何とも切ない実態だが、これが時代よる人々の移ろいでもある。
そこで、とクレスは歯を見せるように口角を上げた。
「じゃあオレたちで行ってみるか! まずここにあるやつと……神殿はやっぱ行ったらやべぇかな」
「遠目からならいいんじゃない? 管理の人がいて面倒なことになるなら嫌だけど」
「様子を見ながらだな」
ぱち、と拳を叩いたクレスから広がる話。店主はついていけないまま、目の前で繰り広げられる三人の会話を聞き流すしかないが、人が離れつつあるその場所に行こうとしていることが聞き取れると、彼女は微笑んでそれを見守った。
「大丈夫だぜ婆さん、オレ達地元の人のゲン担ぎ大事にしてるから! それじゃあマントありがとうな!」
「ええ、気を付けて行ってらっしゃい」
新しいマントを翻しながら店を出たクレスに続き、フェイネとクロウブは騒がせたと頭を下げながら感謝も忘れない。手を振りながら旅立つ三人を、目を潤ませ微笑みながら見送った店主は再び店先に立った。
「先に神殿行ってみねぇ? どうせまた戻ってくるんだろ?」
「来る時にそれっぽい建物はなかったけど……もっと奥にあるのかしら」
「あの森の中、なんだろうな……?」
戻ってきた先程の角。確証はないままに、各々の考えを巡らせながら歩いたため、結局町に入ってきた場所にまで来てしまった。
クレスはそこで立ち止まると振り返り、仕方ねぇ、と仁王立ちをする。
「とりあえず森、入ってみようぜ。それっぽいやつ見つけりゃいいんだろ?」
「簡単に言ってくれるなよ……危ないだろ」
「私の方で少しは対応できるけど、行く……?」
日はまだ高い。行って、もし迷ったとしても帰り道の確保はできるだろう。
幸いフェイネは魔法が得意だ。森には棲まう精霊が多いとされ、魔力も濃い。そのため、道筋を記録しやすくなる。
「よっし、行こうぜ! 多分大丈夫だろ」
「あんたの大丈夫が大抵大丈夫だから羨ましい限りだわ」
早速整備された道を外れ、左手の森に足を踏み入れたクレス。クロウブは溜め息と共に後を追い、フェイネは杖の柄を地面に突き刺すと、宝飾が反応を示したのを確認してから引き抜き、やれやれと首を振った。
「私のは本当に万が一でしかないけどね……あんたが精霊と話して先行っちゃうんだもの」
「あいつらが絡んでくるんだから仕方ねぇだろ」
「たまに妙な絡まれ方してるけどな」
既に足を進めるのは森の中。まだ外界から完全に隔絶はされていないが、次第に鬱蒼とした木ばかりの、どこを見回しても同じ景色が広がる場所へと変わり始めてしまうだろう。そんな状況でも、クレスの“大丈夫”は大丈夫なのだ。過去にも何度か森で迷った彼は、棲まう精霊に助けられ、無事に帰って来られた経験があるらしい。ただ単に彼らの気まぐれが運良く重なったのか、はたまた彼が好かれやすいのか。それは誰も知らないところである。
そうして神殿を探して森を行く三人の頭上。雲一つなく晴れていた空の雲行きが、怪しくなろうとしていた。