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クローバー

「…落ち着いた?」

「うん。ごめんね、突然」

 コウちゃんは大きく首を横に振った。

「いいんだ。それよりも、良かったら聞かせてくれないか?どうして泣いたのか。どうして俺が"逃げ"なのか」

 

 あたし達はあのあと、近くの喫茶店に入っていた。

 喫茶店といっても最初に飲み物を買って後は自由に店内や店外で飲めるようになってるとこだから、泣いてるあたしを椅子に座らせてコウちゃんはさっとコーヒーを2人分買ってきた。

 あたしのは、ミルクの入った甘めのカフェオレ。

 あたしはすこし頷くと、つかえていたものがとれたかのように次々に話した。

 恭介とあったこと、出会ってから別れるまで。

 あたしは恭介を好きで好きでしょうがないくせに、恭介の夢を、将来を信じきれないでいたこと。 

 

 何も言わずに、コウちゃんはあたしの話を聞いていた。

 

 

 ◆◆◆

 

 マサミに頼まれた合コンの後、あたしはコウちゃんから何度かメールをもらった。

 あのお店の前で笑い合った時に何気なく交換したアドレスを、まさか使うとは思ってなかったけど。

 

『今度小学校でバザーやります。いくつか出店も出すから、良かったら来てください』

『学園祭みたいですね?』

『規模はその半分の半分くらいだけど。きっと懐かしくなるよ』

 

 このコウちゃんとの2・3回のやり取りが、あたしと恭介の夢のような日々を少しずつ現実的に変えていったんだ。 

 

「ねぇ、恭介はもし…」

「ん?」

「なんでもない」

 そう言ってあたしが黙ると、恭介はあたしをキツく抱きしめてキスをする。

 何も考えられなくするように。

 不安に目をつぶるように。

「ん……あっ」

 恭介があたしを優しく愛撫する。

 大事なものを触るように、逃がしてしまわないように。

 恭介はあたしを必要としてくれてる。

 そう思えば将来の不安は一瞬消えてなくなった。

 

 恭介の突然の決意を聞くまでは。

 

「俺、東京に行くことにしたよ」

 

「え?」

「ずっと考えてたんだ。養成所通いながらいろんなオーディション受けたけど、やっぱダメだし。」

「…うん」

「東京に今行ってる養成所の姉妹校があってさ。そこに来てるオーディションにも出させてもらえるんだよ」

「東京に…住むの?」

「そ!」

 あまりに簡単そうに言う恭介にあたしは怒りを感じた。

「それじゃぁ…あたしと恭介は、どうなるの?」

「俺達は大丈夫だろ。距離なんて関係ない」

「そんな…」

「…ついてくる?って、言いたいのは山々だけどさ。瑞穂にはちゃんと仕事があるし、俺についてきたってすぐ幸せにしてやれるかわかんねぇしな」

 

 苦笑いの恭介が、どんどん遠くなっていく。

 将来への不安。

 モヤモヤした大きな闇が、あたしを包んだ。

 

 ピピピ…

 ケータイがなる。

 無表情に画面を開くと、高倉航太の名前があった。

『こんばんは。今日は生徒がいいものくれたので、おすそわけです』

 その文字のしたには一枚の写真画像。

 しおれた小さな小さな四葉のクローバー。


 どこにでもいるごくフツーの女のあたしが欲しかったのは、

 たぶん何よりも確かなしあわせのかたち。

 

 

 それから数日たった日の事。

 

 ピンポーン

  

 ドアのチャイムが鳴り、あたしはのぞき穴に目をやった。

 そこに立っていたのは…高倉航太さん。

 あたしは驚いた顔でドアを開けると、そこには野菜が入った箱を持った男の人が立ってた。

「あ…ゴメンね、突然」

「うぅん。どうしたんですか?」

「あ、これあげようと思って」

「野菜?」

「そぅ。田舎から送ってきたからさ」

「ありがとう…ございます」

 あたしが微笑んで受け取ると、コウちゃんはほっとしたように息をついたよね。

 そしてこう言ったの。

 

「相田さん。俺と、結婚を前提に付き合ってくれませんか?」

 

 あたしは耳を疑った。

 でも真っ赤になった男の人が、確かにあたしの目の前にいる。

「あの…高倉さん?」

「え!あ、ゴメン突然。でもホンキなんだ。たぶん飲み会で会ったあの日から、君の事が好きなんだよ」

「で、でも結婚って…え?」

 あたしもつられて赤くなる。

「唐突過ぎるよね。でも、相田さんのこと知っていくたびに好きになる自分がいて」

 

 ちょっと考えてくれるかな。

 そう言ってコウちゃんは走り去った。

 閉まったドアの内側で、あたしはしばらく呆然としてたの。

 狭いうちだから奥の部屋にいた恭介にもきっと聞こえてたんだろうな。

 

 別れの日は、突然訪れた。

 

 仕事から帰ると珍しく恭介がいて、なにやらゴソゴソ荷造りしてた。

「ちょっと…なにやってるの?」

「荷造りだよ。明日の朝の新幹線で、東京に行く」

 

 あたしは金縛りにでもあったように、動けなくなった。

 

「そんな…急に?」

「うん。あんまり時間おくと決心鈍るし」

「…そう。…あたしにはいつも相談してくれないね」

 そういうと、恭介のガサガサと荷造りする手が止まった。

「相談すると、俺の決心が鈍るから」

 離れたく、なくなるから。

 確かにそうつぶやいた。

 

「瑞穂。もぅ、今日で最後にしようか」

 

 あたしの体は凍りつく。

「何、言ってるの?」

「良く考えたらさ、俺向こういったらオーディションにバイトに超忙しくてさ。で、きっと一番に瑞穂との時間を削るよ」

「…うん」

「でさ、そのくせ夢は捨てきれずにいつまでも瑞穂を待たせることになるんだ」

「…うん」

 だからさ、と笑顔でこちらを向いた恭介は今にも泣き出しそうだった。

「振られるの?…あたし」

 すでに涙を流しながらあたしは尋ねた。

「違うよ」

 恭介はしっかりと答える。

「違う。瑞穂が俺を振るんだ。そんですっげーいい男と結婚してさ、幸せになるんだ」

 恭介もすこし、泣いてるようだった。

「あたしは人気俳優の池上恭介を昔振った女なのよ。ってさ。そんくらいの自慢話ができるような男に俺はなるからさ」

 

「だから、瑞穂。おまえは俺に縛られず、ちゃんと幸せになれよ」

 

「絶対幸せになれよ」

 

 あの夜、あたしと恭介は終わったんだ。

 あたしは恭介より、確かにその形がわかるほうに逃げたんだ。

 

 コウちゃんに『あたしでよければ』って返事をしたのは、そのすぐあとのこと。

 寂しさから逃げるように、恭介を忘れるように、あたしはコウちゃんのところに来たんだ。

 

 コウちゃんに大事に大事にされすぎて、こんなに汚い自分の感情を忘れていたなんて。

 あたしは最低の女だね。


 


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