瑞穂
あたしはどこにでもいるフツーのOL。
それは20歳の春から、24歳の今も変わらない。
ただ、12月に控えたコウちゃんとの結婚式を終えればあたしは"幸せな奥さん"になる。
上司にももぅ、退職願を出してある。
式の準備もあらかた片付いて、あとは心の準備と気持ち程度にダイエットするだけ。
今が一番幸せなはず。
いや、これからもっとずっと続く幸せが待っている。
"幸せになれよ"
なんで今になって君の声が聞こえるんだろう。
…恭介?
◆◆◆
「…瑞穂?瑞穂!」
「え?あ、ごめんね」
「大丈夫?ボーっとして」
大好きなコウちゃんが心配そうな顔してあたしを見つめる。
「疲れた?どこかで休む?」
「うぅん、もぅ少し、見ててもいい?」
「いいけど…なに、瑞穂、あの新人俳優に一目ぼれでもしたの?」
ここぞとばかりにニヤリ顔でコウちゃんが言った。
「まさか…」
笑って言ったけど、ちゃんと笑えてたかは分からない。
何かの弾みで大泣きしてしまえるほどに、涙腺が緩んでいたから。
1年半ぶりに見る、好きだった人の姿。
ずっと忘れられなかった想い。
あたしはハッキリと気づいてしまったんだ。
『岡本さんも池上くんも、今回主演は初めてですよね?』
『はい。もぅ自分でもびっくりしてて…。オーディションがあったんですけど、今思い出してみたら何喋ったかとか全然覚えてないんです。私すっごい緊張するほうなので』
『あ〜なるほど!覚えてないほどの緊張感って俺何年してないかなぁ…池上くんはどーだった?』
『僕もすごい緊張しましたよ!でも、今までずっと落ち続けてて…今回のオーディションは最後の賭けだったんです』
『え?最後の?』
『はい。今回でダメなら、きっぱりあきらめて就職しようと…』
『リアルだね!』
恭介の言葉に一同が和やかな雰囲気になった。
いつのまにかあたし達の周りには人がさっきの倍の人数になり、さすがに帰ろうとコウちゃんがあたしの手を掴んだ。
手をつないでその場を去ろうとした時、
『あ!!』
恭介の突然の叫び声に、あたしは立ち止まり振り向いた。
――き、気づいた?
重く深く響く心臓の音とともに、恭介の視線とあたしの視線がぶつかった。
あたしは小さく、震える左手を振る。
『ど、どーした?池上くん』
『え、あ、あぁ。今日のこのラジオ、録音セットしとくの忘れたなって』
『ぷっ。なにそれ!イキナリ叫ぶからあたしびっくりしちゃった〜』
『んとに、なかなかの新星現る!って感じだね、池上くん』
「え、今こっち見てたのかな?池上恭介」
コウちゃんも驚いたようにあたしとスタジオを交互に見た。
あたしもまっすぐにスタジオを見つめる。
『さて、最後に映画公開にあたって皆さんに一言どうぞ』
『えっと、頑張ってすごくいい映画に仕上がってます。私はぜひ、大切なかたと見ていただきたいなと思ってます』
『えっと、僕からは…』
すこし黙ったあと、深呼吸した恭介がこちらを見てはっきりと言う。
『しあわせに、なってください』
―あ、この映画を見て。
そう付け加えた言葉は、あたしは聞き過ごしていた。
「わ〜なんだあいつ不思議なやつだなぁ。ね、瑞穂?」
「瑞穂?」
あたしは流れる涙を止められなかった。
最初に手を緩めたのは君。
離してしまったのは…あたしのほう。
あたしはさっき震えつつ振った左手に、コウちゃんからもらった婚約指輪をしていたことを思い出した。
「瑞穂?どうした?なんで泣くの?」
ゴメン、コウちゃん。
「ゴメンね、コウちゃん。あたし…」
ゴメン。
「逃げたの。コウちゃんに」
「え?」
「恭介との未来を、信じられなかったの」
ゴメン、恭介。