【4】
★☆★☆★
「本当に何かの間違いではないのですか?」
そうと答えたのは、隆太達の店長。
香織の言葉だった。
場所はスタッフルームの中。
既に休憩を終わらせていた隆太や真は勤務に戻り、海は帰宅する形になった。
一応、バイト採用の方はされたのだが、即現場と言う形にはならず、今日の所は帰る事になったのだ。
……最後の最後まで、真とギャーギャーいがみ合ってはいたが、隆太が海を宥める事に成功して、どうにか帰らせた。
こうして、スタッフルームには誰もいなくなったのだが、間もなくすれ違う形で香織が室内に入って来る。
やや筋肉質な男と二人で、だ。
「間違いであってくれたのなら、俺としては嬉しいんだがね」
比較的背の高い、それなりに鍛えているだろう男は、こうと答え、
「あんたと、もう少しここにいれる」
ニッと笑みを作って答えた。
「……そうね。あなたは人を探している。その上で、ここにいるんだったわね」
「そうだ。しかも、少し面倒な件で、だ」
「けど、本当にあの子が、あなたの言う犯罪者なのかと聞かれると、本気で耳を疑うわ……」
答え、香織は視線を下に落とした。
「俺の担当は、別に一課の様な凶悪犯罪も取り締まる様な部署ではないんでね。場合によっては、一般人にしか見えない様な人間が対象になる時もある」
そこまで答えた時、男はふと、思い出した様に言った。
「いや、違うか。相手は人間なんかじゃなく、車だった」
ボチボチ、茜色の空になりそうな時間になった頃、隆太は帰宅の徒に着いた。
現状、曲がりなりにも食いぶちが一人増えたので、可能なかぎりシフトに入れて貰った結果がこれである。
そして、その食いぶちが増えたが故にふて腐れた可愛い後輩が、さっきからスペシャル不機嫌なまま、隆太の隣を歩いていた。
「……あれ? 家、こっちだっけ?」
「違いますが、何か?」
じと目で言って来る。
「じゃあ、なんでこっちに……」
「用事があるからですよ、こっちに」
「そうか、そう言う事な」
一応の納得を見せる隆太。
その用事が何なのか分からないし、用事がある様には見えなかったけれど、完全に真の気迫に白旗をあげていたので、それ以上の追求を避けた。
「とりあえず、どんな用事があるのかわからないけど、頑張って」
ついでに言えば、もう自宅には到着している。
職場から徒歩三分なのだから、本当に早く自宅に到着してしまう。
隆太は真から逃げる様にして自宅の玄関のドアを開けようとした。
……真に逆の手の服の裾を捕まれた。
「……用事があるんじゃ?」
「これが用事です」
ああ、そう来たかと、隆太は心のなかで嘆息する。
「本当は、こんな強引な事とか、したくなかったんです」
だったらしなければいいのにと、心の中でだけ言う隆太がいた。
「けど、でも……こんな形で、あの子に先輩をとられたら、絶対に後悔するから、いいます」
真は意を決した顔になる。
「あなたが、大好きです」
「――っ!」
しーんと、辺りが静まり返った。
確実になにかして来るなと思っていたが、よもやこんなストレートな言霊を用意して来るとは思わなかった。
不意に、心臓が加速する。
正直、時間が欲しいと思えた。
簡素に言うのなら、真は隆太にとって好みのストライクゾーンど真ん中と言えた。
もう、この上ないと言える。
悩む必要なんか全然ない。
返事なんか『はい』か『イエス』のどちらかだ。
なのに、なのに……だ。
その言葉を口にしたい、そう思っているのに、隆太の口は自分の思う通りに動いてはくれなかった。
その言葉を言おうと考えると、瞳に涙をいっぱいに溜めた水色髪の少女が脳裏によぎる。
いや、よぎる等と言う生易しさではない。もう、支配されてるんじゃないかってくらいだ。
どうして、こうなる?
「……返事、してくれないんですか?」
強い葛藤の中にあり、数分程の無言状態が続いた所で、真がぽそ……っと、力ない声音を吐き出す。
見れば、彼女は泣いていた。
隆太の心がきしんだ。
俺は一体、何をやっているんだと、自分の不甲斐なさを痛感する。
目前の真は、精一杯の勇気を出して、かくも直情的な感情を見せているのに。
素直に『はい』と言えない自分が、ただそれだけの言葉も口に出来ない自分が、とんでもなく情けない男に思えた。
……その時だった。
「隆太さん! 助けてぇぇっ!」
自宅から悲鳴が上がった。
「……はい?」
思わず、隆太はポカンとなる。
一体、なにが起きているのかわからないが、ともかく非常事態が起きている事だけはわかった。
「ごめん、ちょっと家に入らないと」
言うなり、自宅のドアノブを回して、ガチャッと開けて見る。
直後、真が隆太を引き留め様としたのだが、その手は止まった。
私、先輩に絶対迷惑かけてる。
――思い、一瞬だけ行動が遅れた。
その一瞬の遅れが、隆太を帰宅させてしまう。
果たして。
「お、お前は誰だっ!!」
自宅のドアを開けて、即座に悲鳴がした方へと向かうと、見知らぬ男が、海を捕縛していた。
それは完全に捕縛と言うのが正しい。
彼女の両手には手錠。
そればかりか、手を後ろに回され、手首をロープで縛られているではないか。
「海ぃぃっ!」
無意識に身体が動いていた。
自分でも驚く程、脳内にアドレナレリンが放出された事が分かった。
一体、何が起きてる?
どうして、海が捕まっているんだ?
謎しかない。
しかし、それら一つ一つを聞く余裕もないだろうし、考えている余裕もなかった。
がむしゃらに男へと向かって体当たりしてみせる。
武道の心得もなければ、喧嘩慣れしてるわけでもない隆太には、体当たりで男を弾き飛ばす事くらいしか、出来ないと考えたのだ。
だが。
その考えすら甘いと言う事に、間もなく気づく事になる。
ドカッ!
……と、派手にぶつかった筈なのに、男の身体は数センチ動いたかどうか。
大柄で、筋肉質な体躯をしていた男は、どうやら見掛け通りの強靭な肉体の持ち主であったらしい。
単なる一般人の隆太に、どうにか出きる相手などではなかったのだ。
「すまんな。これも仕事なんだ」
男は隆太を簡単に払い除けると、両腕を縄で縛った海をヒョイと軽く担ぎ、そのまま自宅を後にしようとする。
「まってくれ!」
刹那、隆太は叫んだ。
「せめて、海を連れて行く理由だけでも教えてくれ!」
「そうだな。じゃあ、一つだけ聞こう。今、この時代に車が人間になれるだけの技術があると思うか?」
答えは必然と言えた。
「ないだろう? それが答えだ」
答え、男は今度こそ隆太の自宅を出て行った。
途中、真も男の行く手を阻もうとも思ったが、当然やるだけ無駄と言える。
その歴然たる能力差は、彼が一睨みしただけで、真の顔が蒼白になってしまう程だった。
まもなく、ぺたんと腰落としてしまう。
「………くそ」
隆太は歯を大きく食い縛る。
無力な自分がいた。
自分の嫌な部分ばかりが、脳の中を縦横無尽に暴れ狂う。
不甲斐なくて情けなくて力もなくて。
自分への嫌悪感で頭が発狂しそうになっていた……刹那。
「後悔はするもんじゃない、やるなら、反省にしろ!」
いきなり、自宅に見たことのない女性が入って来る。
誰だろう? ふと、考えて見るが、全く覚えがない。
そして、のんびり悩んでいる暇もなかった。
「急ぐぞ! のれ!」
切迫した表情のまま彼女は叫び、隆太を自宅から引きずり出す感じで外へと連れ出す。
直後、彼女は……車になった。
「………え?」
それに驚いたのは、近くにいた真だ。
当然ながら、はじめての体験だった。
『ああ、そういえば、アンタ以外に人間がいたな……ちっ、私とした事が、海の事で一杯になってたみたいだ』
「海を知ってるのか?」
『話は追いかけてる時に言う。とにかく今は乗ってくれ!』
直後、車のドアが開く。
どうやら、自動で開く機能もあるらしい。
かくして。
何がなんだかわからぬまま、隆太は謎の女性が変形した車に乗る。
同時に真も。
「なんで、まこちゃんまで……」
「なんとなくです!」
「なんとなくかい!」
かくして、隆太と真を乗せた車は、郡浜の街を軽快に突き進んだ。
……と言う所で、次回に続く。