【2】
職を失い、無職となって路頭に迷うよりも早く、新しい職へと転職し……あろう事か、美しい少女と同棲するだけで生活が成り立ってしまう、まさに驚きの事実だけが、そこに存在していた。
衝撃だった。
嘲笑してやるつもりが、不覚にも羨望視してしまった。
何より、羨望の対象になったのは……海だ。
これまでの竜也は、一目惚れと言う言葉は非現実な単語に過ぎず、一瞬にして恋に落ちると抜かすバカは、純粋に頭がおかしいだけだと思っていた。
……まさか、そのバカに自分がなってしまうなんて、思わなかった。
一目、彼女が竜也の視界に入ったその瞬間、彼の脳天は撃ち抜かれたかの様に痺れた。
こんな感情は初めてだった。
全てが均等に整っている目・鼻・口。
まだ幼さが残るが……否、それ故に、今後どの様な魅力ある女性へと成長してくれるのか? そう考えただけで胸が弾んだ。
髪はサラッとしていて……究極の美を惜し気もなく、相手に魅せている。
それだけではない。
豊富な感受性と、その笑顔に心が癒される。
まるで天使の様な女の子。
竜也にとっての海への印象は、まさに理想の彼女その物であったのだ。
彼からすれば、大金を積んでも彼女を自分の物にしたい程。
だが、どうだ?
当の智也は、大金を積む所か、逆に彼女を利用して生活費を稼いでいるではないか!
……許せなかった。
子供時代から続く、積年の恨みもあり、彼は怒りの中で苦しみ……極めて純粋な殺意だけを、いたずらに増幅させて行く。
その顛末にあったのは、殺人偽装だった。
この数日後、智也はトラックに跳ねられると言う不慮の事故を起こし、帰らぬ人と成り果てる。
一見すると、ただの偶発的な事故に見える物だが、実は違った。
竜也によって起こった、必然的な事件だった。
全ては、彼の並々ならぬ嫉妬が産んだ、悲劇のヒトコマ。
どこかで、何かが違っていたら、起こらない悲劇であったのかも知れない。
今となっては、全てが全て、取り返しの付かない過去の一産物となってしまったのだが……。
その後、竜也は何とかして、智也が残した仕事の引き継ぎ役になろうと考えた。
簡素に言えば、智也の立場を今度こそ自分が経験するんだと、意気込んでいたのだ。
ヤツさえいなければ……生まれた時から今まで、ヤツと言う邪魔な存在さえいなかったのなら、確実に陽の目のある人生が送れた。
智也は、もう一人の自分。
本当はそうなる筈だった自分。
今度こそ、本当の自分の人生を進む事が出来る!
竜也は歓喜の極みにいた。
だが、彼の喜びは長くは続かなかった。
数日後、海が失踪。
更に時空犯罪者と成り果てる。
なんとか不起訴になった物の……事件を起こした存在として、会社側から廃棄処分を言い渡されてしまう。
人間の姿をしているが、法律の上では車。当然、物と同等の扱いなのだ。
結果、彼女は廃棄されると言う憂き目にあった。
……そう、竜也は聞いた。
それが作り話である事を知ったのは、ほんの数日前だ。
実際の彼女は廃棄なんかされてはいなかったのである。
海の廃棄処分を聞き、失意のどん底にいた彼が手にした情報は、希望の光と思われた。
だが……その情報は決して、希望の光など存在していなかったのだった。
彼が知ったのは、海が時空を渡り、智也の元へと会いに行った事実。
一つ間違えれば、本当に廃棄処分でスクラップ行きだったと言う危険を犯しても尚、海は智也に会う選択肢を選んだのだ。
何よりかけがえのない……一途で純粋で、一欠片の混じり気すら存在しなかった、智也への愛が、海を動かしていた。
……絶望した。
かつて、ここまでの絶望と屈辱を味わったろうか?
幼少から苦渋を強いられ、辛酸を舐めて育ち、それでも尚、煮え湯を飲まされ続けて来た顛末は、かくも賛嘆たる絶望だった。
こうして、彼は旅立った。
今度こそ、自分の地位を勝ち取る為に。
本当の自分を手に入れる為に。
その行為その物が、大きな間違えである事など、とうに狂気と化した彼には、知り得る事ではない悲劇だった。
惨劇は、こうして再び起ころうとしていた。
海にとっての何よりの幸運は、智也と出会えた事だった。
そして。
海にとっての何よりの不運は、智也との別れだった。
出会いがあれば、別れもある。
これは必然で、出会いが起これば、必ず別れも発生するのだ。
だが、しかし……。
その別れは、余りにも……余りにも早すぎた。
ずっと、このままだと思った。
別に毎日がすごい特別って訳ではなくて、平凡と平凡が重なりあって、そのまま融合してて、変哲が辞書から無くなってしまうんじゃないかと本気で思えるまでに普遍的な毎日が当然の様に続いて。
しかしながら、そんな毎日がとても幸せで。
きっと、もっと幸せな日が来るかも知れないけれど、今は今でスゴくスゴく楽しい。
だから、断片的につまらない事があっても、きっとそれもまた、時間が来れば笑い話になると思っていた。
………そう。
例え、どんな事が起きても。
だが、現実は違った。
どんな事が起きても、ではなかったのだ。
産まれて初めて、心から……泣いた。
世の中に、こんな悲しい事があったと言う事実を知りたくもないのに知らされた。
誰より優しかった智也。
穏やかで、お人好しで、ドが付く程の正直者で………。
短気な一面もあったし、喧嘩になってしまう事すらあったけど、それら全てが自分を考えての事で……結局、憎めなくて。むしろ愛しくなって。
思い返せば、好きだとしか言えなくて。
どんな場面でも、結局やっぱり楽しい思い出しかない。
これが、海の初恋であり初恋の終焉までの経緯だ。
初恋は実らない……等と言うジンクスがある。実際、的はずれでもないのが、どうにも世知辛い。
しかし、これは恋に破れ、破局ないし失恋と言う、誰から見ても分かりやすい終止符が存在して、初めて成り立つ物だ。
海は、どちらも当てはまらなかった。
まさかの死別だ。
別に嫌われた訳ではない。
自分の意思で別れを選んでもいない。
当然、別れを宣告されてもいない。
意思などなく、ただただ悲劇の二文字が、彼女から最愛の人を奪った。
実に理不尽で、かつまた、不本意極まりない。
こんな別れ方など、認める気になれない。
けれど、現実は残酷で。
彼の笑顔が戻って来る事など、永久に叶わなくて。
自分が出来る事は、ただただ悲しみ……ひたすら涙を流し続ける事で、心をどうにか維持するしか、他にない。
でも、寂しさは拭えない。
でも、温もりは貰えない。
この世界から智也が消えた……たったそれだけで、海の概念は一瞬にして180度変わってしまった。
世の中に、こんな悲しくて、切なくて、笑い方を忘れてしまう様な現実がある事を知った海は、まさに失望のどん底に心を落としていた。
もう、良い。
何も考えたく………ない。




