男爵令嬢の婚約破棄計画
「ハァー・・・行きたくない。」
「お嬢様、ダリエル様をお待たせするわけにも参りません。」
わかってはいるのですけれど・・
私はもう一度ため息を付いてからエントランスに向かいました。
「遅い、いつまで待たせるのだ!」
いきなり怒鳴りつけてきたのは、私の婚約者でエルブラント侯爵子息のダリエル様です。
「お待たせして申し訳ありません。」
こちらに非が無くとも、一応は謝っておかないと後が面倒なのです。
「フン、行くぞ。」
エスコートを放棄してダリエル様は一人で馬車に乗り込んだ。相変わらずの態度です。
私も馬車に乗り彼の対角に座ります。
今日もこの顔だけしかとりえの無い馬鹿婚約者との義務で夜会に行かなければならないのです。
彼はこちらを見ようともせず、不機嫌な顔をしている。
(ハァー)、私は心の中でため息を付いた。お金のために婚約を強要してきたのはそちらでしょうに・・
ダリエル様は優雅にダンスを踊りながらイケメンスマイルで「ドレスが似合っている」とか「笑顔が可愛い」などの甘い言葉をささやいている。
あ、これは私の想像です。
彼はお気に入りの美しい伯爵令嬢と笑顔でダンス中
私は会場の隅で壁の花となって彼を眺めている。別になんとも思わない、早くこの退屈な時間が終わってほしいだけです。
「やあ、お嬢さんお独りですかな。」
うわ、面倒くさいのが来ました。しかし男爵令嬢が伯爵を無視するわけにもまいりません。内心舌打ちをする。
「ごきげんよう、わたくしカリーニ男爵の娘セリナと申します。今はダリエル様をお待ちしておりますの。」
「おや、それは退屈でしょう。私の相手をしていただけませんか。」
ぐぇ、まず名乗れよ、確かに貴方があの悪名轟くガーレイア伯爵なのは知っているけど、礼儀としてどうなの。
「申し訳ございません。ダリエル様はわたくしが他の男性と話をされるのを嫌っておりますの。失礼とは存じますが、ご遠慮いたしますわ。」
侯爵子息の名を出して、ここは穏便に断る。こんなデブ中年と踊りたくない!
伯爵は悔しそうにしながら去っていきます。
お前三十台半ばだろう十三歳の小娘に声をかけてくるな、この変態と心の中で罵倒しておきました。
その後も何人かが声をかけてきたが、丁重にお断りしました。
はて、今日はなぜか声をかけられる。いつもは勇者が一人来るか来ないかなのに・・・
しばらくして彼が私の元にくると目だけで合図して踵を返す。
はいはい、帰るのですね・・
帰りの馬車で彼は珍しく口を開いた。
「おまえ、今日は複数の男に言い寄って楽しそうにしていたな。この恥知らずが、侯爵家の婚約者としての自覚がないのか。」
ああ、そういうことか今日はやけに声をかけられると思ったら、なんと回りくどい事をするのだろう。
「そのようなことはございませんわ。みなさんは侯爵家の婚約者としてのわたくしに挨拶をしてきただけですのよ。」
黙ったままでは、後々面倒なのできちんと反論しておきます。
「うるさい!」
なんと、話しかけてきたのは貴方でしょうに・・本当に面倒な人です。
すべては婚約破棄の条件を満たせるまでの辛抱です。男爵家が侯爵家に何の理由も無く婚約破棄などできません。もっと、証拠や目撃者を増やしていかねばなりません。
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-{侯爵家}-
「息子よ、首尾はどうじゃ」
「父上、ご安心ください。あいつに男どもをあてがい、不貞を働かす計画は順調です。それにアルゼリア伯爵家の協力を取り付けました。」
「順調のようじゃの。すでに金も権利もしこたまむしり取ってやった。奴等に問題を起こさせて婚約解消すれば、金など返す必要も無い。もうすぐあの忌々しい成金男爵に頭を下げんでよいかと思うと子気味よいわ、ハッハッハッ!」
「それでは父上、今日のところはこれで失礼いたします。」
くそ!
あいつめ、それなりに見栄えのよい騎士どもをあてがってやったと言うのに、俺様の温情を無下にしおって。次の計画を考えねばならん。
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「あなたのような男爵令嬢ごときがダリエル様のそばにいるなんて、なんておこがましいのでしょう。あの方には、わたくしのように美しく、身分の確かな者が相応しいのですわ。貴方の貧相なお顔立ちではつりあいませんもの。分不相応な立場を理解されたなら、ご自分から辞退なさったらいかがかしら。」
今日も楽しい学園生活です。中庭での読書は風が気持ちよく、真っ黒な小鳥のさえずりが聞こえてきます。
「ごきげんようアルゼリア伯爵令嬢、ずいぶんと自信がおありでいらっしゃるのですのね。ですが、そのような事を私におっしゃられても困ります。この婚約はエルブラント侯爵がお決めになられたことですの。そういったことは侯爵家におっしゃって下さいな。」
「あなたがダリエル様や侯爵様を騙して婚約したのでしょう。侯爵様もこの婚約をきっと後悔しておられますわ。」
この人だめな人だ、十三歳の小娘の私に侯爵様が騙されたなんて、本人に聞かれたら・・・・。
「そうなのですか、侯爵家が婚約破棄をお望みであれば、わたくしは従いますわ。ですので、このお話は侯爵家と行ってくださいな。」
私は周囲を見渡してこの話を聞いていたであろう人物たちを確認すると読書を再開します。
伯爵令嬢に対してずいぶんな対応をしておりますが、ここは平等を旨とする学園です。
この程度は許されるでしょう。
周りでさえずっていた小鳥たちも、しばらくすると去っていきました。
先ほどの令嬢がダリエル様の今のお気に入り、アルゼリア伯爵令嬢のミリーナ様、大変美しい方ですが内面はご覧のとおりです。
しかし、私は彼女にとても期待しています。
なぜなら、彼女がダリエル様と婚約してくれたら、労せずに婚約破棄が達成されるではありませんか。こちらから表立って応援することは出来ませんが、ぜひとも頑張ってください。彼女の幸運を運命の神ノルンに祈りました。
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今日の夜会では珍しくダリエル様が話しかけてきました。
「後で庭の東屋に来るように。」
それだけ言うと彼は会場から早足で出て行ってしまいます。
いやいや、エスコートもせずに一人で暗い東屋に行けとは・・こんな馬鹿とは本当に婚約破棄を急がなければいけません。
それでも行かないわけにもまいりません、私は準備をして東屋に向かいました。
東屋に到着いたしました。薄暗いためお姿がよく見えませんがお庭の東屋はここだけです。
「お待たせいたしました、ダリエル様」
そうお声がけしたけれど、どうも違ったようです。シルエットが横に広いのです。
「申し訳ございません。人違いでしたわ。」
そう言ってすぐに立ち去ろうとすると、影がこちらに迫ってきます。
私はあらん限りの声で悲鳴を上げると同時に、全力で魔力を叩き込みました。
「ぐえ!」
まさか反撃されると思っていなかったのか、不審者は情けない声を上げて後ずさる。
「何事ですか!」
会場警備の騎士様がすぐさま駆けつけてきてくれたため、不審者は何もすることなく逃げ出していきました。
騎士様には、婚約者に呼び出されて東屋に来たこと、東屋にいたのが婚約者でなく、また襲われそうになって怖かったことを強調しておきました。
これでまた、婚約破棄に一歩近づけました。ダリエル様にはもっともっと失敗してもらわなければなりません。
けど、少し怖かったので、次はお手柔らかに願いたいです。
しかし、その日のうちに次があるとは思いませんでした。
あのあと会場でダリエル様を探したのですが見つけることができず。エントランスに一人で待っていると騎士様がこちらにやって来ました。
「失礼、お嬢さん今日の招待者の馬車はすべて帰られたようですが、どうなさったのですか?」
騎士様は、すごく聞きにくいような顔をしながら話しかけてきました。
私がエルブラント侯爵家のダリエル様と一緒に来たこと、そして会場ではぐれてしまったのでここで待っていた事を告げると、唖然とした表情をした後に辻馬車を呼んでくれました。
ありがとう存じます騎士様・・
婚約破棄にさらに近づけたのですから喜ばしいことなのですが、恥ずかしすぎるのでこれもご遠慮したかったです。
辻馬車に揺られながら今後の策を考えます。
今まではボンクラが失敗してくれることを待っていましたが、このままでは婚約破棄を達成する前に私が傷物にされかねません。
ですが一人で考えてもよい案が浮かんではきません。
また彼を呼んで相談するしかないのですわね。
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-{侯爵家}-
くそ、あの伯爵も不甲斐ない。
折角人気の無い東屋に誘い込んでやったのに逃げられるとは・・
しかし穏便に婚約解消してやろうと思っていたが、こうなったら容赦する必要も感じぬ。
少し痛い目にあわせてやる。
それと・・
「おい」
俺は、そばに控えていた従者を呼びつける。
「ダリエル様、何でしょうか。」
「領地の街道整備にあの男爵家も参加させてやれ。」
「あの男爵様とは、婚約者様のご実家のことでございますか?」
「ああ、その男爵だ。早速命令しておけ。わかったな。」
「わかりました。準備が出来次第その旨依頼しておきます。」
この俺をこんなに苛立たせたのだ、このくらいしてもらわねば割に合わぬ。
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あんなことがあった翌日も婚約者の義務で夜会に参加です。
置き去りにされた件は、なんと私が悪いそうです。
東屋に来ずに会場からも行方をくらましたと文句を言われました。
さようでございますか・・・
そして今日の夜会でも一輪の可憐な花は中央で舞い踊る花たちを眺めています。
早く私もあの輪のなかに入りたいですわ。あ、いけませんちょっとだけ涙が・・
ダリエル様がこちらにやって来ます。やっと今日の義務も終わりのようです。
あら、今日は彼の隣にアルゼリア伯爵令嬢がいらっしゃいます。
「おい、今日は用事がある。辻馬車を拾って帰れ。」
この人、どれだけ酷い人なのでしょう、常識を疑いますわ。
「ダリエル様、わかりましたわ。」
彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべて彼と一緒に会場から出て行った。
しまった、今の会話はもっと人目のあるところで行うべきだったのに。
こんな会場の端では目撃者がいません。彼がくれた折角の機会を不意にしてしまいました。
私は後悔しながらエントランスに向かいます。
今日も親切な騎士様が居てくださるといいのですけど。
辻馬車をどうやって呼ぼうかと考えていましたが、エントランスに着くと辻馬車が一台、門の前まで来ていました。
さすがに今度は完全放置ではなく、馬車を呼んでくれたようです。
私は安易な考えでお金を払ってその馬車に乗り、目的地を伝えました。
ガラガラガラ・・・
どうもはめられたみたいですわ。
西の大通り沿いと伝えたにもかかわらず、馬車は東の歓楽街方向に向かっています。
私は令嬢としての所作などかなぐり捨てて、身体強化の魔術を使って馬車から飛び降り、馬車の通れない裏路地を通って反対側の大通りにでて、そのまま騎士団の詰め所まで全力疾走です。
詰め所では、いきなりドレスを着た令嬢が涙目で走りこんできたのです、騎士様たちもかなり驚いておられました。事情を説明すると、あちこちから同情する視線が向けられています。
その後は、二人の騎士様が男爵邸まで送ってくださいました。
これで、印象だけならもう婚約破棄してもいいくらいなのですが、後一押し確実な何かがほしいところです。
翌日、侯爵家の始める事業に参画するよう命令する使いの者が来ました。
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-{侯爵家}-
おのれ、俺の完璧な計画を台無しにしおって。
侯爵家の騎士を辻馬車の御者に偽装させてあいつを歓楽街に連れて行く予定だった。
まさか馬車から飛び降りて逃げるとは思わなかった。
令嬢にあるまじき行為だ、やはりあいつとは早々に婚約破棄せねばならぬ。
次の計画は完璧である。今度こそ婚約破棄だ!
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あの不良物件を押し付けられてからもう五年です。そろそろ解放されたいですわね。
そんなことを考えていると、春が近づいて新緑が芽生えてきた学園の並木道を馬鹿子息が伯爵令嬢と従者を伴ってこちらにやってきました。
見た目に騙された学園のご令嬢たちの熱い視線が注がれています。
本当に黙って立っているだけなら綺麗ですのに。
「おい、おまえのカバンからこんな物が出てきた。それは、俺がミリーナに贈った物だ、どうしておまえが持っている。」
そう言って取り出したのは、宝石と銀細工の付いたネックレスです。
フッフッ、今が最終決戦の時ですのね。最高神様見ていてくださいませ。私、きっとやり遂げて見せますわ。
「おまえのような奴を侯爵家に迎えることはできん。ここで、婚約の破棄を宣言する!」
私は喜びを隠しこの機会を逃さないように慎重に言葉をつむぎます。
「わたくしとの婚約を解消するのですね。」
「おまえとは婚約解消だ何度も言わせるな!」
よし言質は取った。
「そのネックレスをわたくしが盗んだとおっしゃるのですか?」
「これがカバンから出てきたのは、教室にいた他の生徒たちも見ている。言い逃れはできんぞ!」
「ありがとう存じますわ!」
私は満面の笑みを浮かべてお礼を述べる。
私の言葉に馬鹿子息と馬鹿令嬢が奇異の目を向けてくる。
五年間待ちに待った言葉をやっと下さったのです。お礼を言うのは当然ではありませんか。
「そのネックレスですけれども、私の物ですわよ。」
「言い逃れをするのか、これは確かに俺が彼女に贈った物だ、見間違うわけがない。」
「いえ、それはわたくしの家が結婚後のお部屋を整えるために持参財産として侯爵家にお渡しした物ですわよ。その証拠に銀細工の後ろにはカリーニ男爵家の紋章が刻まれているはずですわ。」
紋章を確認して二人は唖然としている。
私は続けてとどめの言葉を告げる。
「これだけの方の前で婚約破棄を宣言なさったのですから、もう取り消すこともできません。今まで侯爵家にお渡しした、わたくしの財産は速やかに返還してくださいませ。」
「何を言っている返す理由など無い!」
「あら、侯爵様がサインした契約書にもその旨きちんと記載されておりますのに何をおっしゃっているのですか。・・クリアス様もご存知ですわよね。」
私は馬鹿子息の従者であるクリアス様にお声をかける。
「カリーニ男爵令嬢の仰るとおりです。確かに私が男爵家と交渉した際に交わした契約書には結婚が前提条件になっておりました。ですので、婚約が解消された今、鉱山の採掘権から侯爵家領内の施設や街道の使用権などもお返しする必要がございます。」
「まて、なぜ領地の街道の使用権が関係する馬鹿なことを言うな。」
突然の身内の反乱に動揺しておられるようですわ。
「施設や橋の改修や街道整備にかかわる費用を全額負担していただく代わりにその権利をカリーニ男爵令嬢に譲渡する契約が交わされております。」
「そんな馬鹿なことがあってたまるか。」
本当に親子そろって馬鹿ですね。
「本当ですわ。整備のための費用をこちらが全額負担すると申し上げましたら、すぐさまサインしていただけましたのよ。」
「くそ!そんな契約は無効だ!」
あ、伯爵令嬢がこっそりと戦線離脱していきます。馬鹿子息と違って完全な馬鹿ではなかったようです。
「もうあきらめて下さいませ。あなたがこれまでしてきた事の証言もちゃんと抑えてあるのです。」
「くそ、くそ・・はははははびゃーふーひゃーふあー!」
馬鹿様は意味不明な言葉を叫びながら走り去っていきました。
壊れた・・
「セリナ様、終わりましたね。」
「あら、貴方様が侯爵家当主になられるまで気を抜いてはいけませわ。クリアス・エルブラント様」
この馬鹿様の従兄弟を、侯爵家の当主にして男爵令嬢と婚約させるまでが今回の計画なのです。
「セリナ様、お手をどうぞ。」
私たちは次の戦場である侯爵邸に向かいます。
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リーン、ゴーン
あれから三年の歳月が過ぎ、教会の鐘の音が響き渡る中、エルブラント侯爵となったクリアス様と男爵令嬢の結婚式が行われた。
壇上に立つ二人の男女はお互いを見つめあう。
私は最高の笑顔に対して微笑み涙する。
ああ、ここまで頑張ってよかった。
そして二人は口付けを交わし永遠を誓ったのです。
泣いている私に旦那様はそっとハンカチを差し出す。
「セリナ」
「よかった、本当によかったですわ。妹を思い人と結婚させてあげられて。」
~~~~~~
「ちょ、ちょっと待ってセリナ、わたくし貴女と貴女の旦那様の馴れ初めのお話をお願いしたはずよね?」
「奥方様、お話も終盤で盛り上がってきたところでしたのに、何がご不満なのですか?」
「だってねセリナ、今までの話の流れだと当然、貴女とクリアス様が結婚すると思うじゃない。なのに、貴女の妹様と結婚しているし。そもそも、貴女の旦那様ってお話のどこで出てきたのかしら。」
「旦那様でしたら、お話の中盤で置き去りにされて困っていた、わたくしに辻馬車を呼んでくれた騎士ですよ。あの時は一人でいるのが少し怖くて、馬車が来るまで一緒にいて優しくされただけで、コロッといってしまったのです。わたくしも若かったのです。」
奥方様は不満げな顔をなさっています。
「奥方様、そろそろお休みの時間でございます。」
私は奥方様を寝かしつけると、お部屋から退室します。
「セリナ、仕事は終わりか。」
部屋を出ると私の旦那様が待っていました。
「あら、あなたも今日のお仕事は終わりですか。」
「ああ」
旦那様は短くそう答えて私に手を差し出す。
本当にこの人は変わりませんね・・
私は旦那様の手を取り歩き出す。
これは、本当にしあわせな男爵令嬢のお話・・・