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時越え 壱

 朝の勤めである読経を終え、凛とした空気の中、義観ぎかんは壮大な土地の境内を歩いていた。

 誰かが根本中堂(本堂)傍の桜の木の根元に寄りかかるように座っている。

 まゆを顰める義観。

 近づくにつれて、その根元にいる人物に意識がない事を見止める。

(おなごか? 珍しい衣を着ておるが異人ではなかろうな?)

 義観は膝をつき、覗き込むように人物を確認した。

(……異人ではないようだ、しかし……)

 異人でない事を確認した義観。だが、その人物を目の辺りにし義観は思わず息を呑んだ。


 年の頃は十代半ば位だろうか。

 手足は長く、透き通るように白い。

 豊かな漆黒の艶やかな髪は、きめ細かい肌の薄桃色の頬を縁取って緩やかに海面の波が揺れるかのように腰に流れている。柳の葉のようにしなやかな線を描く眉、伏せられた瞼の長い睫毛、桜色の清楚な口元、スッと整った鼻筋、細面の華奢な頤。

 木にもたれ意識を失う娘は、月の如く美しく、花の如く清艶せいえんとしていた。


 整った容姿に、説話せつわの天女が天上から舞い降りたのか?と思わず取り留めのない事を考えてしまう。

 しかし説話に聞く羽衣はごろもとは程遠い、見たことの無い娘の格好を今一度眺めると、よもや、このようなおかしな衣に身を包む天女もおらんだろうがの。などと現実に戻る。


――そこに倒れている人物。

 義観が言うに、おかしな衣に身を包む娘――それは、学校の制服を着た玲であった。


 ふと、義観が何気なく視線を落とすと、『あるもの』が目に留まる。

「ん? これは……!?」

 それは玲の長い髪に絡み付く、一輪の桜の花。

 義観は花をそっと手に取り、自分の目を疑うようにまじろがずにその花を確認する。

「……桜、だな……この季節に桜? 狂い咲きかのう? ……この娘は何処から来たのだ?」

 義観は不思議に思いながらも、季節外れの桜に出逢えて得したといった風に桜の花を優しく懐紙に包む。

 そして「さて、どうしたものか」と包んだ懐紙を懐にしまいながら玲を見る。

「顔色は少し悪いようだが、怪我はしとらんようだな。少し休めば大丈夫であろう」

 しかし、このまま放っておく訳にもいくまいな。と義観が独り思案していると、背後から声を掛けられる。


和尚(カショウどうされました?」

 後ろを振り向くと、竹箒を手にした弟子の明心みょうしんがまゆを顰め焦燥感をつのらせた顔をして駆け寄ってきた。


「あぁ、大事ない」


「この方はどうされたんですか?」

 いまだ、まゆを顰めたままの明心は倒れている人物に視線をよせながら言い募る。


「ここに倒れておったんだ。この姿を見るにどうやら、訳ありのようだな。

 掃除は、もうよい。明心、この娘を離れに運べ」

「はっはい……」

 事態の把握をしていない明心は戸惑いながらも、義観に言われるがままに返事を返す。

「私は勤めがまだ残っている。ひと段落したら、私も向かう」

 そう言うと、義観は意識のない玲を明心に託し早々と本堂へと歩いて行った。









**********




 瞼越しの明るい光に頭が覚醒してくる。

 玲は、その光に誘われるようにとろとろと瞼を開いた。

 長い睫毛に縁取られた黒目がちの大きな瞳に写ったものは、見慣れない木目の広い天井、自身の部屋でないことは分かる。

(ここはどこ? 私……そうだわ、学園の近くにみつけた寺社の桜を見てて、眩暈がして気を失ったんだ)

 途端に玲は、自分の状況を把握しようと寝床から体を起こし辺りを見回した。

 自分が横になっていた右側には障子があり、そこから光が全面に障子紙を透して降り注いでいる。

 障子の隙間から微かに冷たい風が室内へと流れ込んでくる。

 障子の向こうには外の風景が広がっているようだ。

(私、どの位寝ていたんだろう)

 腕時計を見ると規則正しく動く針は、夜の七時を少し過ぎた時刻を指している。日付表示の日付は変わらない。

 学園を出たのが三時半ごろ、その後寄り道をし、あの寺社に立ち寄った時には日が沈み始めていた……大体二時間位寝ていた計算だ。

 おかしい。ではなぜ、外が明るいのだろうか。

 今は夜のはずなのに……時計が狂っているのだろうか。

 自分の寝ていた布団のすぐ傍にはバック等の玲の私物が置いてある。

「そうだ、携帯にも時計ついてるじゃない」

 玲は、はっ、としたようにバックを手繰り寄せる。

 バックから携帯電話を取り出して時刻を確かめる。

 しかし、携帯の時刻も夜の七時すぎを表示し日付も変わらない。しかも、携帯は圏外を表示していた。

 状況が飲み込めなくて、呆然としていると微かに花の香りが鼻腔をくすぐる。

 導かれるように香りの方へと視線を向けると、

 部屋の片隅に床の間があり、花器には尾花・萩・葛・桔梗・藤袴・撫子・女郎花と品よく趣のある立花。

 玲は、中等部入学時から二年程、今は亡き祖母の言いつけで華道を習っていたため四季の花の知識には多少は精通していた。

 その賜物か、自分の状況が更におかしい事に気付く――。

 活けられている花々がどれも秋の七草と呼ばれているものなのだ。

 早いものは夏前から咲き出すがそれでもおかしい。

 今は春、こんな早い時期に秋の七草が揃えられようか。

 ふと、先ほど目覚めたときの違和感を思い出し天井を見る。

「えっ? ない……!?」

 天井にあるはずの照明がない。

 近代文明のこの時代に照明のない部屋があるのかと驚きを隠せない。

 なにがどうなっているのか。自分はどうかしてしまったのだろうか?

 玲の頭の片隅で本能が発する危険信号シグナルが鳴り響く。

 日時と自分の状況の相違、秋の七草、照明のない部屋、繋がらない携帯、この空間が異質なものに感じられ、まるで自分の存在が間違いのような、知らない遠い別世界のように感じる。

 漠然と何かが自分の身に起きていると、捉えようのない不安に駆られていると、スッと障子が開いた。

「お目覚めになられましたか?」

 玲は、元々大きい目をさらに大きく、こぼれんばかりに見開く。

 障子を開き入ってきたのは、玲よりやや年上っぽい誠実そうな坊主頭の作務衣を着た青年だった。


 その彼は柔らかく微笑みながら、

「驚かせてしまいましたね。あなたは、寺の境内に倒れてらしたんですよ。私はここの寺の修行僧、明心と申します」

 この異質に感じる空間に、まるで違和感の無い作務衣姿の彼に驚いた玲だったが、

(そっか、ここはお寺なのね、だから作務衣を)

 寺であるが故の、作務衣姿の青年には合点がいった。

 しかし、目覚めてからずっと感じている異様な感覚までは拭えない。

 お礼と此処は何処であるのか、それと違和感の残るこの状況について尋ねなくてはと、玲は寝床から抜け出し、正座をして居住まいを正す。

「助けていただいたようで……ご迷惑をお掛けしまして申し訳ありません」

 お世話になりました。とお辞儀をする。

「いいえ。私の師が倒れた貴方をみつけたのですよ」

「そうでしたか。……あのそれで失礼ですが、こちらは何処なのでしょう? 私、どの位ここに……」

「ここは、東叡山寛永寺です。こちらにお連れしたのが卯の刻頃でしたから、お休みになっていたのは一刻ほどでしょうか」


(えっ、どういう事? 寛永寺の境内に倒れてたって……どうして? 

 それに東叡山寛永寺って上野じゃないの? 私が倒れたのは、通う学園の近くにある小さな寺社よ。

 どうして上野に? それに、卯の刻って、一刻って、江戸時代とか昔の、十二刻制の時刻ってやつよね?

 いまどき時間を表すのに十二刻制で言う人なんていないわよっ?!

 この人、素でこんな事言ってるの? 時代劇オタクか何か? もう何がなんだか訳がわかんないよ!)


 自分の状況について尋ねたはいいが、ますます理解し難い状況へと陥っていく玲。


(……早く家に帰りたい。そうだ! 携帯、圏外で使えないんだった。電話、お借りしよう。)

 携帯はなぜか使用不可能。今すぐ迎えの車を呼ぶためには電話が必要である。

 いつもは家になんて帰りたくないと思っているのに、今日ばかりは一刻も早く家に帰りたいと心の底から思ってしまう。

 玲は、内心の焦りと当惑を振る払うように笑顔を作り言葉を発した。

「あの、申し訳ないんですけど、お電話お借りできますか?」

「……オデンワ?」

 明心が困惑した表情で、玲の言葉をおうむ返しした。

「……はい、電話。お電話お借りしたいんです。お願いできますか?」

「あの……すいません。オデンワとは何の事でしょう?」

 明心は、本当に何の事を言っているのか分からない。といった風に、困ったような申し訳なさそうな表情を浮かべて肩をすくめる。

 玲の背中に冷やりとした汗が流れた。

 話せば話すほど、異様な感覚が増す。

(……そんな困ったような顔して何を言ってるの? ……電話がわからないなんて……冗談でしょう?)

 

 何から何まで全てが異様に感じ、不安がかきたてられ、自分が知らない世界に紛れ込んでしまったような感覚が一層色濃くなる。

 

(や、やめてよ……そんな訳ない……でも、おかしいよ此処……。

 夜の筈なのに外は明るいし、生け花は秋の七草、上野なのに携帯は圏外、この明心さんって人は、電話を知らないって言うし、昔の言葉で話すし……。

 も、もしかして……わたし……タイムスリップかなんかした? 時代劇みたいな世界とか?

 ……ははっ! まっまさかね。いくらなんでもそれはないよ! 

 ……じょ冗談じゃないわ、そんなの。…………そうか! わかった!! もしかしてエイプリルフールでしょ!?)


 と、都合よくこの奇妙な事態の理由をみつけて、一瞬かすめたおかしな考えを否定しようとしてみる。

 おりよく今日は四月一日のエイプリルフール、これは兄たちの仕組んだスケールの大きい茶番劇だと。

(わざわざ私の知らない人にまで手伝わせて、また手の込んだ事をしたものだわ。

 設定は大昔の日本にタイムスリップ? 歴史好きの兄さん達らしいわ……でも……)

 玲は、本当は分かっている。

 このこじつけは自分の希望なだけであって、非現実的な絵空事であると。

 現実的に考えると、兄たちがこんな事をするなんて不可能なのである。

 兄二人とも、もちろん父親も、エイプリルフールなんて忘れている事だろうし、自分に構っている暇などないのだ。

 二人いる兄の内、上の兄は父親と仕事で海外に行っており日本にはいない、下の兄は大学を卒業し今は祖父の病院で研修医として忙しい日々を毎日過ごしている。

 それに、いくらなんでもお寺を使っての悪ふざけなどと常識外れなことはしない。

 明心のその人柄も、嘘や冗談を言っているようには全く見えなく、否応無しに現実を突きつけられる。

 ありもしない希望は直ぐに打ち砕かれた。


 玲が俯きいきなり黙り込んだためか明心は心配そうに玲をうかがう。

「大丈夫ですか? 今、白湯と朝餉に粥をお持ちしますから、もう少し休んでいらした方が……」

「えっ!? あ……大丈夫ですのでお構いなく。それより、あの……」

 それでも理解しがたい状況を受け入れたくない玲は、一縷の望みに託すように真剣なまなざしを明心に向け、問う。

「あの……おかしな事お聞きしますが、今の年号は平成○×年の春ですよね?」

 その質問に明心はわずかに怪訝そうな顔をした。

 しかし、玲の表情が余りにも真剣だったためか、困惑しながらも明心は答えた。

「倒れられて、少し記憶が混乱しているのかもしれませんね。――今の年号は安政六年、季節は秋です」

 決定的ともいえる駄目押しの返事を聞いて、玲の顔から血の気が引く。

(あんせいって、安政の大地震とか安政の大獄とかのあの安政!? 江戸時代じゃない!

 …………私……本当に時を越えて来てしまったの!?)

 明心が、大丈夫ですか?と、心配そうに声を掛けているのも気付かないほどに、玲は気が遠くなるような混濁とした渦の中にいた。












ご覧いただき、ありがとうございます。


誤解の無き様申し添えておきますが、今回作中に登場しました、『明心』は実在する人物ではありません。

胡竹が創り上げたオリジナルの人物になります。


玲もそうですが……、設定ゼロから作り上げたオリジナル人物を、魅力的な人物に書き上げるという作業は難しいですね……。

読んで頂く皆さんに気に入って頂ける様に書きたいのですが……そのテクが乏しいのと文才が無いのとで巧く表現する事ができていません。


お目汚しかもしれませんが、温かい目でお付き合い頂けましたら幸いです。

物書き初心者で、恥ずかしいばかりの作品ですが、日々精進して参りますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。


*卯の刻……早朝六時〜七時

*一刻……約二時間

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