|涼夏中茶話《りょかちゅうさわ》
サラサラ…木々の葉が風に揺れて優しくそよぐ。その音に惹かれるように、1人の男性が道の端にある1件の茶屋に入っていく。
「あら…いらっしゃい。何をご所望?」
「では、緑茶をお願いします。」
「少々お待ちを。」
茶屋の室内はひっそりとしており、涼しい空気が漂っていた。男性の他には誰もいない。
「はい…。お客さん、これだけでは味気ないから、私の話を聞いて頂けませんか…?」
「話…?」
「ええ…。」
ある小国がありました。小国の民は皆、隣国を憎んでおりました。何故かって?小国は長い間隣国に支配されておりましたから。
自由もなく、権利もなく、土地を荒らされ見るかげもない。物のように働かされながら民は生きておりました。
ある時、より巨大な大国の干渉により小国とその民は独立と自由、権利を与えられたのです。
けれどその体と心に刻み付けられた憎しみはしこりとなって残り、親から子供へ気配で伝わり消えることはなかったのです。
隣国が争いで負ければ喜び、対抗心をもやし、いつしか隣国より巨大になり、隣国が謝罪しても、持てるものを投げうって助けを嘆願しても微笑んで眺めておりました。
―憎んでいたあの国が、民が自分達より弱く脆くなり堕ちていくのを見るほど楽しいことはない。―
小国のある男性はそう言いました。それは当然よく分かるって?ふふふ…。けれど突然、隣国は大国の兵器によって全てなくなりました。そう、あの干渉してきた大国の兵器です。
隣国の民、家、川、山、土地ごと綺麗に取り除いたのです。国すら存在しない茶色の地面が広がっておりました。
小国の民はそれを見ました、手に取り確かめ、隅から隅まで調べました。民の全てが同じ行動を起こしました。
その民はその後どうしたか?笑って隣国の土地だった所を自国とし、大国となって幸福となったんじゃないかって?
…彼等はしばらく何もしませんでした。日常に戻ったように見えて、動き、表情、全てが緩慢で…覇気がないように見えました。子供達が日常に戻っても、大人達がふと悶々と致します。
―憎んでも憎み足りない隣国がなくなったのに虚無感は何だ、清々した筈が喪失感は何だ…。―
憎み続けたものがなくなった結果、小国の民は餓えに似た感情をずっと持ち続けることになりました。皆が皆、そうだったわけではないですが。
「お客さんはどう思われます?憎んでいたものが突然なくなったら…。あら、すみません。長話で緑茶も終わっていますね。どうもありがとうございました。」
「ごちそう様でした。」
男性は茶屋を出た。出てから外がとても暑いことに気が付いた。だから木々の葉音に惹かれるように入ったのだ。それにしても中は涼しかった、氷で作られたかのように。
しばらく茶屋を眺めた後、男性は歩き出した。先程の話を考えながら。
「…あの人はどちら側だったんでしょう。時折迷い込む心、一体どちらへいかれるのやら。良いと言われる彼方へか、此方に残るもまた一興…。」
茶屋の女主人は呟き奥へ戻っていった。
心にしこりある者が 迷い込んだは涼夏の中
茶屋に立ち寄り頂けば 茶話をお供に飲物どうぞ
行く行かぬは貴方の勝手 お代は無用いるのは想い…
癖のある声が響き、木々の葉がまたサラサラ…と鳴った。