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あ・わ・て・ん・ぼ・さ・ん

 次の日、爆心地を取り囲むコロニーを出た。

 本心を言えば、目指すのは髪形を変えた凛がいた第2コロニー。


 だが、鷲尾がいる以上、そこには行けない。それに、ひなたを反教会勢力のコロニーに連れて行くと言うミッションもあるので、目指すのはひなたのコロニー。


 知恵をつけ始めたあの生き物の待ち伏せを避けるため、片側二車線で見晴らしのよい道路を歩んでいく。と言っても、そこら中に散らばる乗り捨てられた車の陰に潜んでいる可能性があるので、注意が必要だ。

 ひなたの話を思い出した俺は近くにあったドアが閉じられたままの車の中をのぞいてみた。

 運転席から助手席に横たわるようにして倒れた遺体の腰の部分には、シートベルトがしたままだ。よく見ると、肩から腰に掛けてのベルトは外してはいるが、それはボタンで外した訳じゃなく、ただすり抜けただけだ。腰のベルトから体を抜くことは、狭い車内ではできなかったのだろう。そして、結局、こいつはシートベルトの外し方も知らず、ドアを開ける事もできずに、この中で死を向かえたらしい。

 俺が日常を守りたいように、こいつも日常を守りたかったはず。

 だと言うのに、突然襲った災厄。

 本当にこれは俺の父親がやった事なのか?

 だとしたら、俺は自分の父親を許すことができるのだろうか?

 そんな事を思うと、あかねソードの柄を握る右手に力が勝手に入った。


「いたわよ」


 ひなたの声が聞こえた。鷲尾の前で、ひなたの村雨を使わせるわけにはいかない。

 かわいそうだが、こいつらの退治は俺たちがやる。

 そう昨日、ひなたに話したはずだったが、心が鈍る。

 今まではただの俺たちを襲ってくる敵、この世界を乱すもの。

 そんなくらいにしか考えていなかったが、この者たちにも、それぞれの人生があって、突然それを奪われた被害者。

 そう思うと、敵ではなく、謎の生き物でもなく、人と思えてくる。

 さすがに、人として、人は殺められない。


「こいつらは俺がこの右手で」


 ここは戦わずに、やり過ごす。

 そのつもりでそう大声を上げた俺に、あかねが怒鳴り声を上げた。


「ばか!」


 あかねの言葉の意味。

 なぜ戦わない! と言っているんだ。

 俺の気持ちも知らないで!

 そんな思いで、あかねに目を向けると、あかねが叫んだ。


「みんな、下を向いて、目をつぶって!」


 はい?


「お兄ちゃんも!」


 慌ててつぶった瞼の向こうに、まばゆい光が煌いた。

 瞼をつぶっていても、この明るさだ。

 開けていたら、とんでもない事になる。


「今のうちに行くよ!」


 あかねはそう言うと、駆け出していた。

 ひなたたちが、それに続く。

 下を見ていなかった俺は、ちょっと視界がホワイトアウト気味だが、後を追うことくらいはできる。

 しばらくしたところで、あかねが走るのを止めた。


「これからは戦わないって事なんだよね?」


 振り返って俺に言った。


「そうなんだが、なんで俺を止めた」

「お兄ちゃん、その合言葉、ひなたちゃんや鷲尾さんに服部さんも知らないんだよ」

「あ、そうだったかも」

「かもじゃないよ」


 そこまで言って、ちょっと意地悪そうな笑顔で、俺のところまであかねがやって来て、俺の顔の前で、右手の人差し指を突き出した。

 もう一方の左手で管作るんじゃないよな?

 もう、あの下ネタは俺の心に傷を植え付けている。

 あかねは突き出した人差し指で、俺のおでこをこつんと叩きながら言った。


「この・あ・わ・て・ん・ぼ・さ・ん」


 かわいすぎる。ぞくぞくしてしまう。って、妹にぞくぞくって変だから。


「助けてぇ」


 そんな俺とあかねの世界を邪魔する声。

 今までなら、大久保だったが、今回は女の人の悲鳴だ。


 悲鳴が聞こえた方向に目を向けると、20代半ばっぽい女の人が若い二人の男に追いかけられていた。遠目で見えないが、俺の想像ではあの男たちの顔は、ぐへぐへといやらしい笑みを浮かべているに違いない。

 あかねに言いたい。

 男のいやらしい目とは、あんな奴らがしている目だと。


 俺はポケットからあかねソードを取り出すと、スイッチを入れて起動した。

 あかね色の光は正義の光。

 そんな事を思い浮かべながら、男たちに向かって駆け出した。


 あかねソードを構えた俺に気づいた男たちが慌てて背を向けて、逃げ出し始めた。

 女の人を諦めて逃げ出したからと言って、そう簡単に見逃してやる訳にはいかない。足を緩める事なく、追っていく。

 男たちを追う俺がまだ怯えた顔を残す女の人の横を通り過ぎた次の瞬間、俺は背後からの力で体の自由を奪われた。

 なんだ?

 背中に伝わる人の温もりと、ふたつの柔らかな膨らみによる圧力。

 俺の胸に巻き付く腕。

 伝わってくる甘い香り。

 女の人が背後から、俺に抱き着き、男たちを追おうとしていた俺を止めていた。


 わな?


 そんな事を思った俺の耳に、囁き声が届いた。


「追わなくていいから」

「なんで?」


 その答えより先に、俺の胸の中に女の人の手が入って来た。背後から男が女に抱き着いて、着ている服の胸のあたりから手を滑り込ませて、胸を触りまくる。俺もしてみたいが、まだやった事はない。あの楽しい世界の逆バージョンなのか?

 この人は痴女なのか?

 としたら、いずれその手は降りて来て、俺の……。

 戸惑う俺の耳元で、女の人が再び囁いた。


「颯太君、一人で読んで」


 その言葉を残すと、俺から離れた。

 何を? と言うのは、すぐに分かった。

 俺の胸に滑り込ませた手。その手は俺の胸を触るでもなく、何かを俺のシャツの中に置いていった。今それはおなかの辺りでズボンのために、落ちずに止まっているのを感じる。


 少し離れた場所で、俺を見つめる女の人に顔を向けた。最初の印象通り、20代半ばと言った大人の女性で、ショートの黒髪、細面にまん丸い瞳。


「助けてくれてありがとうございました」


 そう言って、頭を下げた。

 まるっきり、助けてもらった女の人のお礼に見えるが、それって芝居だよね?


「私、矢野美佳って言います」


 俺の疑念など無視するかのように、矢野と言う人はみんなにそう名乗った。


「あのう。さっき、抱き着いてたよね?」

「そうそう!」


 不機嫌そうな声で言ったのはほっぺを膨らませたあかねで、同意したのはこれまた不機嫌そうな顔の服部だった。


「えっ?」


 あかねの不機嫌さに気圧されて戸惑い気味の矢野に向けて、あかねが言葉を続けた。


「引っ付かないでよね!

 この泥棒猫!」

「えっ?」

「えっ?」


 あかねの言葉に、矢野と俺の口から同じ言葉が出た。

 そのセリフは妹のセリフじゃないんじゃね?

 矢野は視線をあかねと服部の間に行ったり来たりさせて戸惑っている。


「泥棒猫!」


 もう一度あかねがダメ押しに言うと、矢野の視線はあかねにロックオンした。


「あなた、妹さんだよね?」


 あっけ気味な顔つきで、矢野が言った。


「あれぇ? 私たちの事知ってたんだぁ」


 するどい突っ込みだ。俺が手にしていたあかねソードから、俺がレーザー兄妹の兄だって分かるのは当然かも知れないが、ここには同じ年頃のひなた、鷲尾に服部だっている。

 俺の妹がこのあかねだと見抜くのは、最初からあかねの事を知っていたと言わざるを得ない。まあ、矢野は俺の事を知って、近づいて来たのだから、あかねの事も知っていたはずなんだが。


「え? そ、そ、そりゃあ、あなたたち有名だもん」


 とりあえず、これもうまい切り返しだ。教会の手配書も回っていた訳だし、あかねの顔を知っていてもおかしくはない。いや、そんな事に感心している前に、こいつは何者で、何の目的で俺に近づいて来たのか?

 そのヒントは俺のおなかの中にある。それを離れた場所で取り出そうとした時、あかねが俺の左腕に抱き着いて来た。


「お兄ちゃんは誰にも渡さないんだからね!」


 あかねは矢野を睨み付けたかと思うと、俺に視線を移して、にこりと微笑んだ。

 かわいい! 

 左腕に伝わってくるムニュッ! 感と相まって、ぞくぞくしてしまう。って、妹にそれは変だから。

 矢野はと言うと、あかねの妹らしからぬ態度に、ちょっと固まってしまっている。


「ちょっと、あなたねぇ、妹らしくしたらどうよ!」


 そう言ったのは服部だ。いつものツンツン振りよりも、もっと怒っている風でもある。きっと、妹らしからぬ態度が気に入らないらしい。俺的には全然OKなんだが。いや、それ以上にうれしいのだが。


「あかねちゃん。

 颯太くんで遊ぶの止めてあげたら」


 一瞬、その言葉に大久保の顔が浮かんだが、それを言ったのはひなただった。


「はぁい」


 あかねはあっさりと俺の腕を解放してくれた。俺とあかねのちょっとうれしいひと時を邪魔するのは、大久保からひなたに変わったようだ。


「なぁんだ、冗談だったんだね。

 やっぱり」


 矢野はホッとしたような顔つきで言ったが、服部はまだ怒った風な顔つきで言った。


「冗談だって、許さないんだから!」


 なんで、そこで服部が許すとか言うんだ?

 いや、それ以上に冗談だったの? 俺で遊んでいたの?

 そんな視線をあかねに向けた。

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