あの日(凛編)
「じゃあ、また明日」
「うん。また明日」
そう言って、颯太と別れた夕暮れの帰り道。
私の家はすぐそこにある。
と言っても、両親を亡くしてしまった私には、誰も待ってなんかいない家。
一人っきりじゃない明日が、そして颯太にまた会える明日が早くやって来ますように。
そんな思いで足が早まる。
決して、早く家に帰ったところで、明日が早くやって来る訳じゃない。そんな事は分かっていても。
住宅が並ぶ住宅地の道路はそれほど車は走ってはいなかったし、人通りも無かった。
私の家が近づいて来た時、背後から迫ってくる車の音があった。
歩道もない道。
一歩分路肩に寄った。
近づいていた車の音は、私の背後で静かになった。
停車したらしい。と思っただけで、振り返るなんてこともしなかった私の耳に、かなり近い距離からドアをスライドさせる音が届けられた。
なんだろう?
自分の近くの背後で車のドアが開く。
さすがの私も警戒心から、背後を振り返った。
そこには駆け寄ってきている二人の男があった。
とりあえず、逃げなきゃ。
男の一人は私のすぐそこまで来ていたので、かけて逃げ出そうとした私の腕はすぐに掴まれた。
「キャー。助けてぇ」
颯太、いえ誰かでもいい。私の助けが届いて!
ぐいっと腕を引っ張られた私は、バランスを崩し気味になったまま、男のところにまで引き寄せられた。
その男は私の口を大きな手で塞ぐと、もう一人の男と一緒になって車の中に押し込んだ。
ドアが閉じられた瞬間、私を乗せた車は急発進した。
車に乗せられてしまえば、助かる確率はぐんと下がる。
そんなことくらい、想像するにたやすい。
口には何かの布のようなものを詰め込まれて、声を出すこともできない。
両腕は男たちに押さえられ、自由に動かせられるのは両足。でも、狭い車の中では、何の役にも立たない。
流れる景色が、私の街から遠ざかっている事を示している。
私を襲う恐怖。
この男たちの目的は何? お金? 体?
これから私はどうなるの? 殺されるの?
颯太が私の助けを聞いて駆けつけ、車を確認していないだろうか?
それだけが、私が救われる唯一の可能性。
颯太。助けて。
そんな事を思いながら、無力な自分自身に涙する内、地下駐車場に車が入って行った。
それがどこだか分からない。
車のドアが開くと、私は車から引きずり降ろされた。
目の前には建物のドア。
あそこに連れて行かれるまでが、私にとってのチャンス。
大声で助けを呼ぶ。
「んんんー、んんんんー」
口の中に詰め込まれている布のようなものが邪魔で、声が出ない。
体をよじり、全ての力で男の手から逃れようとする。
でも、大人のがっしりとした男の人の力の前には、ささやかな抵抗でしかないらしい。
目の前の建物のドアが開くと、そこに引きずり込まれた。
建物の中にだって、誰かがいるはず。
どこかの部屋の中に押し込められたら、もう助かる術はない。
ここが最後のチャンス。
誰か人に気づいてもらえるように。
ドアの向こうはエレベータホール。
男たちが呼んだエレベータはすぐに来た。
チン!
そんな電子音と共に、エレベータのドアが開く。
誰か乗っていますように。期待を込めて、そのドアの向こうに目を向ける。
そこにはただの白い照明の光しか広がっていなかった。
絶望感に襲われ、力を失った私をエレベータの中に男たちが押し込んだ。
「安心しろ、何もしない」
一人の男が言った。
そんな言葉信じられる訳もない。
何もしないなら、こんな事をする訳がないのだから。
でも、その言葉がほんの少し私に冷静さを取り戻させた。
私を拉致った二人の男と、車を運転していた男。
三人ともスーツに身を包み、きちんとした身だしなみをしている。
一番若い男が30代くらいで、一番年配そうな男が50前くらい。
普通にしていれば、会社の上司と中堅と若手と言う風だ。
そんな人たちが、なんでこんな事を?
地下駐車場から乗ったエレベータはさらに地下に潜って行った。
きっと、もう私は助からない。
そう私は確信し、自分の無力さをかみしめながら、諦めるしかないと覚悟を決めた。
そして、それから私はずっと地下で暮らし続けた。




