あの時(ひなた編1)/その始まり
いつも通りの下校時の地下鉄の列車の中。
ちょっと普段と違うのは、テスト期間と言う事もあって、地下鉄に乗っている時間がまだ早いと言う事と、そんな高校生が多いからか、聞こえてくる高校生たちの私語は少ないって感じ。
私も友達のさくらちゃんと一緒にいると言うのに、おしゃべりすることもなく、座席に座って、教科書に目を落とし続けていた。
私が降りる駅の三つ手前の駅を列車が出発し、トンネルの中に入って少しした頃だった。照明が消えて、列車が減速し始めた。急ブレーキと言う感じではなく、自然な減速。照明はすぐに非常灯が点灯した。
「なに?」的な言葉が乗客たちから聞こえる中、私は教科書を閉じて、辺りを見渡した。
車掌さんからの第一報はすぐだった。
「電源系故障と思われるシステムダウンにより、現在、当列車は緊急停車しました。
詳しい情報が入り次第、お伝えいたします」
「電源系の故障。つまり、停電なのかな?」
隣に座るさくらちゃんが言った。
「そうなのかも。早く復旧するといいね」
私はそう答えた。私たち二人を含め乗客たちの中に起こり始めていた不安と動揺は、何が起きたのかが分かった事で、すぐに払拭された。
しかし、そこからが長かった。
電源は復旧しないし、車掌さんからの続く情報もない。
そこに、ネットがつながらない事が、さらにみんなをいらだたせ始めた。
「一体、どうなっているんだ?」
「いつ動き出すんだ?」
少しずつたまっていく不満と怒り。その裏にある人々の不安。最後尾の車両では、きっと車掌さんに詰め寄っている人が出始めているに違いない。そんな事を思い始めたころ、次の車内放送が始まった。
「当電源故障に関し、列車運行を管理しているセンターと連絡を取り、状況を確認しようとしておりますが、広範囲にわたる電源システム障害が発生していると思われ、外部との連絡が全く取れておりません。
したがいまして、復旧に対する見込みを確認することもできておりません」
「いつまでここにいないといけないんだろ?」
さくらちゃんが不安そうに独り言のように言った。それから、ほんの少しの時間が流れた頃、車掌さんの決断により、私たちは列車を降りて、その先の駅まで歩くことになった。
非常照明が灯る薄暗いトンネルの中を歩く人たちは、心細さと足元への注意に全力を傾けているからか、固く口を閉じたままだった。
私とさくらちゃんも手をつないで一人じゃないと言う事を確かめながら、人の流れの中を無言で歩いて行った。
しばらくして、視界の先にトンネルの中よりかは明るい空間が見え始めてきた。
プラットフォーム、駅だ。
駅の上にいる人影がぼんやりと見て取れる。
平日の昼間とあって、それほど多くの人ではない。と言うか、停電で地下鉄が動かない以上、他の交通手段を使いに、ここを離れた人もいることだろう。
駅のプラットフォームの上も、非常灯の照明だけで薄暗い。
私たちが乗っていた列車の人たちが、プラットフォームに上がった事で、プラットフォームの上の人の数は多くなっていった。
「歩いて来たのか?」
「何が起きたんだ?」
最初からプラットフォームにいた人と、列車から歩いてやって来た人との間で情報交換が始まった。
もちろん、そんな事より、ここから出る事を最優先する人たちもいる訳で、そんな人たちは一目散に地上に出るため、階段を上り始めた。そんな人たちに向けて発せられた言葉は意外なものだった。
「地上は危険らしい」
「外には出るなって事だ」
階段の上からも、地下鉄の職員と思われる声が響いた。
「お客様、地上の出入り口は封鎖しております」
その言葉の意味。
この停電はただの停電ではないと言う事を示していた。
それを感じ取った人々の間に広がる不安。
「何があったのかなぁ?」
不安そうなさくらちゃんの声。
でも、それに答える材料は無い。
私にできる事は、大丈夫と言う意味を込めて、つないでいる手をぎゅっと握りしめる事だけ。
そこに別の列車からトンネルの中を歩いてやって来た乗客たちも加わり、地上に向かう圧力は強まった。一部の者たちが地上との間を遮っていたシャッターを無理やり押し開いて、外に出て行ったらしいと言う話が流れ始めた。
危険。そう聞かされていた地上。
でも、シャッターを開いた人たちがそこに向かって行ったと言う事は、それほど危険ではないのではないのか?
そう思った人たちが後に続いた。
「ひなたちゃん。私たちも行く?」
非常灯だけが灯る薄暗い地下鉄のプラットフォーム。ここにいれば安全と言う事も言い切れない。
何が起きているのかも知らないままでは、何もできやしない。
「うん」
私たちは外に出る事を決意した。
地下鉄の駅の地上へと続く階段から見上げる外の世界。
いつも通りのビルと青い空、そして流れる白い雲。
そこから見える外の世界は全くいつも通りだった。
「ここからだと、なんか変わったところってないよね」
階段を上っていく人たちの背の向こうに見える世界を見ながら、さくらちゃんが言った。
「うん。そうだね」
ただ、階段を上り切った人たちの多くは一度立ち止まり、戸惑い気味にも見える。
「これはいったい?」
「同時多発テロなのか?」
大勢が階段を上る喧騒の中、そんな声が聞こえてきているようにも思える。
その答えはすぐに分かった。
青い空と流れる白い雲はいつも通りだった。
だけど、街は違っていた。
無傷の建物が多い中、いくつかの建物は破壊されていた。半壊、全壊、色々である。
同時にと言うところから言って、同時テロ。と言うのはしっくりときそうだけど、なぜにこんな普通の街で普通の建物を? と言うところがテロに似つかわしくない。
ソフトテロにしても、もっと人が集まる場所を狙うはず。
戸惑いながらも、さくらちゃんと手をつないだまま通りまで出た。
道路には交通事故を起こした車が何台も止まっている。
あちこちでは喧嘩のようなものも起きている。
「これって、何が起きているの?」
つないでいるさくらちゃんの手が小さく震えいているのを感じた。
「テロとかともちょっと違うような」
それが私の率直な感想。でも、答えが出ない。
答えを得るためのヒントを得ようと、辺りを見渡してみる。
事故った車の中に残っている人がいる。それも、ほとんどの車の中に人がいる。
事故った車の中から外に出てくるのが普通な気がするけど、多くの人が車の中で、何かもがいている? 暴れている? 感じの車が多い。そして、事故っていない車の中では、驚きの表情で、どうしていいのか戸惑っている感じの人もいる。
一方、歩道や道路のあちこちで喧嘩が起きていて、それも生半可なものじゃなく、流血沙汰になっている。そこまでの喧嘩がどうして、こんなにあちこちで起きているのか分からないし、警察がやって来ている雰囲気でもない。
ともかく何が起きているのかのヒントを得ようと、車内でもがいている人がいる車に近づいていった。
ドアを開けて、助けて、話を聞こう。そんなつもりでドアに近づいた時、怒鳴り声が聞こえた。
「車に近づくな。
ドアを開けるんじゃない!」
その声に振り返ると、見知らぬ中年の男の人が私のところに走って来ていた。




