記憶を操作する装置
崩壊した首都。と言っても、多くの建物はそのまま残存しているし、そこに暮らす真っ当な人たちもいる。そんな人たちは、知性も理性も持たない人の形をした生き物たちから自分たちの身を守るため、街の区画を利用し、建造物と破壊した建物の残骸などで築いたバリケードの内側で暮らしていて、この世界ではそれらをコロニーと呼んでいるらしい。
そして、数多あるコロニーの内、爆心地に近いコロニーは全て「教会」と言う謎の勢力が支配下においていて、この崩壊した世界の外縁に向けて勢力をさらに拡大中らしい。
俺の父親と凛が映っていた場所こそ、その爆心地。
教会の勢力下にある爆心地に向かう途中の俺たちが立ち寄っているこのコロニーにも教会の勢力が伸びて来ていて、なんでも大勢の観衆を集め、ここに派遣されてきた教会の司祭が改宗を勧めているらしい。この世界で爆心地を目指す以上、教会と言うものを知っておく必要があると考えた俺たちは、その司祭が人々を集めている場所にやって来ていた。
そこは元々は公共のホールだったんじゃないかと思える場所で、少し高いステージの中央には50代半ばと見える小太りの男が立っていて、天井からの照明が男の脂ぎった顔を光らせている。
この崩壊した世界。「教会あるところに灯りあり」と言われていて、使えないはずの電気が教会だけは使う事ができるのだ。
ステージにはもう一人、若い男が立っていて、「教会なんて怪しげなものは信じられるから!」的に反抗的な態度を取っていて、ステージ前に集まった大勢が二人のやり取りを見守っていたが、司祭と男のやり取りももう終わりが近い雰囲気だ。
「どうかね、君。
今でも、我が神を信じないのかね?」
自信ありげに司祭が言う。
「僕が間違っていました。
僕も教会に入れて下さい」
若者が深々と頭を下げると、ステージを取り囲む者たちから拍手と喚声が上がった。
どうやら、これで一人改宗と言うお芝居らしい。俺的に「お芝居」と言う言葉がぴったりだと感じてしまうのは、教会の司祭クラスなんだから、論破的なものでも演じてくれるものかと思っていたのだが、二人のやり取りはそんな雰囲気も無く、どうしてあの若者が教会を信じる事になったのか、俺的には論理的につながらないものだったのだ。
とすれば、答えは一つ。
こいつはサクラなのだ。サクラを100人集めれば100人が人々の目の前で改宗され、群集心理でそのまま観衆をその気にさせると言うようなものに違いない。
全くせこい手を使ううさん臭さMaxな組織だ、と思いながら、ポケットから教会札と言うこの世界だけで使用できる紙幣を取り出した。
教会勢力が強いコロニーで使用できるのは日本銀行券じゃなく、この教会発行の教会札だ。
描かれているひげを蓄えた老人の肖像画。きっと、それが教会が言う「神」なんだろう。
描かれているひげのち密さ、透かし、ホログラム印刷、どれも高度な印刷技術だ。首都にあった印刷局の設備を使っているだけでなく、教会信者の中に、そこで働いていてそれらの装置を扱える者たちがいるのだろう。
これを刷りに刷れば、何人でもサクラを雇える。ある意味、この紙切れが教会拡大を支えているのかも知れない。
「さあ、さあ、まだ我が神の教えを信じない者が他にもおられますかな?」
司祭が得意げな口調で、そう言いながら、辺りを見渡している。
「なんで、こんな臭い芝居にひっかかるかなぁ」
俺がそう言い終えた時、あかねが俺の服の裾を引っ張ったので、視線を向けると、あかねはステージの上に立っている改宗したばかりの若い男のはるか頭上を指さしていた。
「あれは」
あかねが指さした場所には、パラボラアンテナをイメージさせる形状の物体がステージの天井から、照明に混じりつりさげられていた。
普通の人にはそれが何なのかは分からないだろう。分からない人には、それは照明でなくとも、このステージの装置の一つくらいにしか感じないだろうが、俺にもあかねにもその正体に心当たりがあった。
俺の父親は研究者だった。その開発テーマは、iPS細胞と3Dプリンタを使った生きた人間のコピーだと聞いている。
コピーの際、記憶も移すため、人間の脳細胞ネットワークの結合細部までを読み出し、別の脳細胞に同じネットワークを形成させる技術も開発していた。そこで使われるシステムの一つがそのアンテナである。
「これはいかさまでもないって事か」
俺の言葉にあかねが頷いた。
「どう言う事だ?
あの天井にある物がどうかしたのか?」
俺たちの雰囲気を察した大久保がたずねてきた。
「人の記憶を操作する装置だ。
あれを使えば人の考えも操作できる」
「つまり、君のお父さんがこの教会に関わっていると言う事か?」
さすがは俺の父親の友人らしく、俺の父親の研究についての知識は持っていたようだ。
「それは分からないけど、どうも技術はそうじゃないかな」
俺的には父親がこんに怪しげな組織に関わっているなんて、信じたくはない。
「お兄ちゃん、私、行ってくるよ」
横にいるあかねが突然言った。その声は明るく、迷いもない。何か知っている場所に気軽く行くかのような感じだ。
「どこに?」
「あそこ」
あかねはステージを指さした。
「待て、それって、お前自身で試してくるって事か?」
「うん」
「なんで、そんな事するんだよ。あれがそうだとしても、お前が試す必要ないだろ」
「私にはあの装置は通じないし」
あかねは迷いもなく言い切った。
「なんで?」
俺の問いかけに、あかねはきょとんとした。自分でも、理由が分かっていない事に気づいた感じだ。
「なんでだろう?
でも、大丈夫」
「んな訳ないだろ。
それに、そんな事する意味ないだろ」
「だって、あの人、私たちが目指す爆心地を支配下に置いている教会幹部だよ。
あの人にお父さんたちの事、聞けばいいじゃない」
「だったら、後で聞きに行けばいいじゃないか!」
「えぇぇぇー?
普通に聞いても教えてくれるかなぁ?
それどころか、会ってくれることも無いんじゃないかなぁ。
だ・か・ら。ねっ」
あかねがにこりと微笑んだ。それは明るいほほえみじゃない。奥に企みを潜めた笑み。
そう感じ取った俺には、あかねの言葉の意味が分かった。
あかねにあの装置が通じないとしたらだが、改宗に応じないあかねの登場は、あの司祭に恥をかかすことになる。そこで、あかねは神の力にかかったふりをしてやってもいいから、言う事を聞けと脅すと言う事だろう。
「それは脅すって事なんじゃないのか?」
「うん。そう。
利用できそうなものはなんでも使っちゃわないとね」
にこりとした笑みで、そう言った。かわいい笑顔の裏に隠した恐ろしい策。悪女ワルだ。俺の妹は悪女になってしまった。
でも、こんな悪女になら、手玉にとられてもいい。
いや、待て。
妹が悪女になるのは止めたい。
俺の思考がようやく正常に戻った時はすでに手遅れだった。
あかねはステージの手前まで行って、司祭に向かって叫んでいた。
「私はそんないかさま信じないんだから。
あなたが言う神なんて、いないんだから」