4話 いつもと違う朝
──光の中を、紅い髪が艶めきながら揺れている──
──誰……? すごく綺麗だわ──
──それはやがてこちらへ向くと真綿を撫でる様にそっと手が伸び顔に触れる──
──暖かい……すごく心が落ち着くわ……まるであのバカ執事みたいな安し──
──アリサ、私──愛いアリサ……お願─、どう─無事────
──何、何て言っているの? 顔もよく見えないわ──
──仲間──めるのです──きっ─貴女の力にな──恐──世界─訪れ─前──救──です──
──言葉は途切れたレコードの様に聞き取れない──
──待って! 貴方は、貴方は誰なの! 私に、何を伝えた──
目を開けるとそこは知らない天井だった。
「んっ……何処かしらここ……アーティー? 今何時ー?」
固い身体を起こして目を擦る。周りを見回してみるけど返事が無い。
何処よこの汚い物置小屋は。なんで私こんな所で寝ているのよ。
「アーティー? モーニングティーはー?」
窓から差し込む光に映る小さなうねうね。何こ…ケホッ! ま、まさかこれ埃!?
これが埃だというの、こんなにも空中に浮いて…急に背筋が冷たくなる。こんなにばっちい所に何で私は
「よう! 起きたか…って、何だよその頭! ぷっ…おっかしーでやんの! あっははははっ!!」
穏やかな朝に似つかないとても騒々しくて頭が痛くなる様な声を響かせてくれたちびっこを睨む。
あーそうだ…今完全に思い出した…私お父様を探しに旅に出てそれで…宿に泊まれず民家にお邪魔したんだっけ。
「そしてアーティーもいない…」
私が物心ついた時からアーティは執事として私のお世話をしていた。
何をするにもアーティーが傍に居た。食事のマナー、ダンスに勉学、社会的マナーその全てをね。
正直いってアーティーのいない朝を迎えたのは初めてだったのでまるでイケナイ事をしているような不思議な感覚だわ。
でも別にいいの、思い出したら腹立ってきたわ! なーによ、アーティーがいなくたって私一人で起きれますよーだ!!
「ところで、ビリー…でしたっけ? 可愛い可愛いお嬢様の寝起きを見といて何笑ってるのよ」
全く不躾な子ね。昨日からほんと失礼しちゃう!
「い、いやだってさー…おま、頭…ふふ…駄目だ…! おかしすぎる…」
そう言うやお腹を抱えて笑い出すビリー。
本当に何よ! 私の頭がどうしたって──
木製のベッドのすぐ脇に、化粧台に似たものが置いてある。そこに映った私の姿を見て、思わず開いた口が塞がらない。
「な、何よコレーーーーーー!!!!!」
言葉では言い表せない形状をしている。
普段の私は綺麗にウェーブの掛かったルビーの様な紅い髪の毛で胸の高さくらいまである長さのそれはそれは綺麗だと自負していたのだけれど……
これは、とてもじゃないけど映せないわ。想像で補ってちょうだい。
「あ、あんた何かしたでしょ!? 何よこの髪どうなってんの!?」
「俺が聞きてーよ! ははっ! なんかするわけねーだろ、ひっどい寝癖だな!!」
あー腹いてーとか言ってまだ笑ってるビリー。
な、何…あんたの仕業じゃなければどうやって説明するのよ…寝癖…? 寝癖なの? てか寝癖って何?
それこそ私が寝ぼけた頭をゆっくりと覚ましている間にアーティがせこせこと動いていたのは覚えていたけど……まさかこの化け物みたいな頭をサラッと直していたというのかしら……だとしたらそれこそ魔法じゃない! 一体…どうやって……あぁ…私にはこれをいつもの頭に戻すなんてとてもじゃないけどできないわぁ~~~~!!!
「私もあまり綺麗な方ではないけど、これはまた随分ひどい寝癖だねえ…アリサちゃん昨日ちゃんと髪を乾かさなかったね?」
やれやれといった感じで腰を上げたマリーおばさんは、鏡台からやけにすっかすかのブラシを手に取った。
「安物でごめんねぇでもこれでも結構変わるからさ、まぁ座りなさいって」
私は言われるがままぽすんと座る。まずアーティ以外の人に髪の毛を触られるということがあまりなかったもので、ドキドキしている。心臓がなんだか早く動いている気がするわ。
とことことマリーおばさんが何処かから戻ってくると、私の傍に腰を下ろした。
鏡台にコップを置くと、そこにブラシを入れた。ちゃぷんという音と共に引き上げられると私の髪の毛へそれを宛がった。
それから優しくさっさっと小気味良くブラシが通されていく。
お、おっほぉ……なかなかいいわねこれ……いや、ブラシ自体はしょっちゅうされているけどやっぱやる人が変わると違うわね…
あまりの気持ち良さにまた眠気がぶり返してきて、うとうとしてきた。
「にしても、そんなすかすかのブラシでも綺麗になるんだなんてびっくりだわ」
「すかすかでもこれ一本一本に油がしみ込んでるからねぇ水を含んだ状態で髪の毛に通すとあらびっくり! このとおり激しい癖毛もサラサラさ」
そう言うとマリーおばさんは終わったよと言わんばかりに私の肩をぽんと叩き優しい笑顔を覗かせた。
鏡を見るとそこには、いつもとはちょっとだけ雰囲気が違う私がいた。
「わっ…わわ……すごいわこれ、可愛い…」
私の頭に真っ赤な2輪の薔薇が咲いていた。
いや、その薔薇は私の髪の毛で出来ていた。
すごいわねこれ…思わず両手でぽんぽんしてしまう。
「どうだい可愛いだろう! いやーやっぱ綺麗な髪の毛はアレンジのしがいがあるねぇ」
何とも愉快に笑うマリーおばさん。なんだかこっちまで楽しくなってくるわ。
「そういうおばさんも私には及ばないけど綺麗だわ!」
「まっ…!…生意気だねこのぉ~!」
わしわしと脇を擽られる。あぁ…今まで私の周りにこういうタイプの大人がいなかったから新鮮だわ。
胸の辺りがぽわぽわしている。自分でも分からないこの現象、でも何処か居心地の良さを感じている可笑しさに思わず笑ってしまう。
「さ、本当は落ち着いて話を聞きたいところだけど、ビリーとアリサちゃんには、王都まで行って買い物をしてきて貰いたい!」
「買い物ってなんで私が? そんなもの召使いにでも頼めばいいじゃない?」
「っ! あのなぁ!! お前いい加減分かれよ! そんな余裕この街の何処にもねえんだよ! お嬢さんとは生活の何もかもが違うの!!」
あ、そっか。この街は貧乏だったんだわ。
今までそれが当たり前すぎて、何なら買い物の仕方すら分からないわ。
「まぁ何とかなるわ! 頼んだわよビリー!」
「結局俺頼みかよぉ!! これから先そんなんじゃ生きてけねえぞ」
心做し呆れられているような気がしたがあまり気にしない。大丈夫、だって私には━━━━
「頼んだわよ!!!!ビリー!!!!」
「なんでこの状況でドヤ顔出来るんだ!?」