3話 物置小屋じゃないの
「へ?」
突然のことに思わず抜けた声が出てしまう。
てっきりアーティが戻ってきてくれたのかと思ったのに、目の前には小さい男の子がいる。
「へ? じゃねえよへ? じゃ!! うるさいって言ってんの! 今何時だか分かってる!? そんな綺麗な格好して、お嬢様ってのは常識ってもんがねえんだな!! はっ!!」
何でだろう、何で私は今10歳くらいの男の子に怒鳴られているんだろう。
何だか涙も引っ込んじゃったわ。
「何よ! アンタだってうるさいわよ! 騒がないで! 人の気持ちも知らないで!!」
何なのよ、いきなり現れたと思ったらうるさいだのなんの、失礼にもほどがあるわ。
「ハァッ!? 騒がないではこっちのセリフだって言ってんの!! こっちからしたらあんたらの痴話喧嘩なんてどーでもいいっての!!」
「ちわっ!? だ、……誰があんな奴と! あんな人のことを馬鹿にしかしてこないやつ、こっちから願い下げだわ!!」
「だーーーーから、知らねえって言ってんだろ!! 迷惑だからとっとと────」
「二人とも五月蠅いわーーーい!!!!!!!!」
ビリビリっと空気が震えるような声で、私は思わず肩を竦める。男の子も同じようにしており、ロボットのようにカクカクした動きで声の方向を見ると、そこには恰幅の良いおばさま……鬼? がいた。
「ビリー!! あんたもこんな時間に出歩くんじゃないよ! まったくっ……」
鬼は肩をすくめた後、ビリーと呼ばれた男の子と私に向かって、
「二人とも、今すぐ家に入りなさい!!!!」
と、ここ一番の大声で怒られる。
怒られている割には家に入れですって。なにこれ、随分手荒い歓迎ね。
イマイチ了承しかねる心持だけど、正直言ってこんなところでひとりぽっちは嫌だわ。
「わーったよ! ほら、とりあえずあんたもウチに来いよ。ホットミルクくらい出すぜ」
男の子はそういうと、パジャマ姿のままてくてくと家に入っていく。
格好つけたつもりかしら…? 少し微笑ましい光景に思わず顔が綻ぶ。
折角だから泊めてもらいましょう。あんの馬鹿アーティはほっといて少し休みましょう。
「出すのは私なんだがね全く」
文句を言いながら私を受け入れてくれたおばさまと男の子。
……さぁ、リビングはどこかしら?
「ん? ここがリビングだよ、見て分からないかい?」
「ここは物置じゃないの? ほらだって、雑然としてるじゃない。あ、あれはお手洗いかしら?」
「お前キッチンも知らねえのかバッカだな!!!! 物置扱いしやがって、俺と母さんの大事な家だっつーーーーーの!!」
べー! と舌を出して私に憎たらしい顔を向けるビリー。
なによ、可愛くないわね。
「キッチンがこんなところにあるわけないでしょ? 一体何が出来るというのよ、料理長は? あなた達二人しかいないじゃないこんなところに閉じ込められているとしたら可哀想ね……今すぐ何処かちゃんとしたところに落ち着くべきよ」
親切心から言ったのだけれど、二人は目を丸くした後、ビリーは顔を真っ赤にして今にも飛びかかってきそうだわ。そこを嘆息を漏らしたおばさまが制止をかけて落ち着かせる。
「お嬢さん、私はマリーというんだ。こっちは息子のビリー、よかったらお嬢さんの名前とお話を少し聞かせてくれやしないかい?」
マリーと名乗ったおばさまは先ほどとは違い、穏やかな表情で笑いかけると、傍の木彫りの椅子? に腰かけた。ビリーもそれに続いて隣に座る。どうやら座れということかしら。
ちょこんと椅子に座り、家、と呼ばれた場所を見回してみる。
木造建築ってやつね。
暖炉があるけどあれ大丈夫なのかしら?
火が木に燃え移ってこんなぼろっちい家すぐに燃え尽きてなくなってしまうわ。
「さっきはいきなり怒って悪かったわね、お嬢さんもあんまケンケンしてるとすぐにこーーんな皺くちゃになっちゃうよ」
快活に笑うおばさま。そう言いながらまるで泥でできたようなカップに、ホットミルクを注ぐ。
ランプの淡い光に照らされた室内とミルクのぬくもりと匂いで、心なしか穏やかな気持ちになる。
「はい、これでも飲んで暖まりな」
入れ物はともかく、とてもおいしそう。
カップに両手を添えて指から暖を取る。
ふぅっと幾つか息を吐いて少し冷まし、ミルクを口へと注──
「お前な! こういうときは『ありがとう』だろ! なんで何も言わねーんだよばーーーーか!!!!」
「こらビリー! アンタは口のきき方に気を付けなさい!!」
ぺしっと叩かれるビリー。痛そうに頭をさすっているけど、私のことを睨んでいるわ。
ありがとう……? 久しくそんな言葉使っていない気がするけど……
「それって、どういうときに使うのかしら?」
「「はっ?」」
口をそろえて目をきょとんとする親子。そういうとこはよく似ているわね。
って、そんな呆けなくてもいいじゃない! 私だって本気で言ってるんだから!
「ぷっはははは! そうか、お嬢さんは本当にお嬢さんなんだね。『ありがとう』って言葉は、誰かにやさしくされたり、自分が嬉しいと思ったことを相手にされたときに言う言葉だよ」
「誰かに優しくされたり、自分がうれしいと思ったことを相手にされたとき……誰かに優しくされるのも、私がうれしいと思うこともするのは当然だわ、だって昔から私はそうされて育ってきたもの」
「けっ! これだから金持ちは嫌いなんだよ!! 立場に甘えて自分より下の人間の事なんかロクに考えちゃいねえ!!」
ビリーはしかめっ面で腕を頭の後ろに回し悪態をついている。なによ、まるで私が悪いみたいな言い方、気に入らないわねえ。
するとマリーは、慈しみをその双眸に宿し、一度ホットミルクを口に注ぐ。
私もそれに倣い沈黙を忘れるようにそれを飲む。
「熱っ!?」
舌を火傷したわ! あっつい!! アーティなら私の舌の温度に適したのを出してくれるというのに!
「あら大丈夫かい? 焦らずゆっくり飲むんだよ」
「ぷぷ、だっせー!」
なっ! さっきから生意気ねこの子! あ、こつんと鬼に殴られてる。ざまーみろですわ。
そこで改めて熱を持った液体を息でふぅーふぅーと冷ます。でもすぐに湯気が上がり、まだその熱さを確かに示している。
冷めないなー早く冷めないかなー。
「ふぅ~……フゥゥーーー……」
「ふふっ」
そこでマリーおばさんの笑いが漏れる。
何? 何かおかしかったかしら?
「いや、何。こんな汚い村にそんな綺麗な格好でいるから、どんな子かと思えば、なぁにそういうとこは年相応なんだねぇ」
庶民の割に、いい笑顔するじゃない。寧ろ、裏を含んでない心からの笑顔だわ。
そんなもの、アーティ以外から向けられたことあまりなかったなぁ……てか初めて?
一度息を吐くと、マリーは私のことをじっと見つめ、まるで我が子のように優しい声音で話しかけてきた。
「お嬢さんのお名前はなんていうんだい? いつまでもお嬢さんじゃ話づらいからねぇ」
確かに、二人の名前を知っているのに私の名前を知らないというのは不公平ね。うんうんこれは私が悪いわ。
「私の名前は、アリサ・ドロシー・ブラッドフィールドよ」
「ドロシー……っ?」
マリーは私の名前を聞くや、先ほどとは違う、顔を蒼くして目を丸くしている。
なによ、私の名前がそんなにおかしいかしら?
「大丈夫? 顔色悪いわよ」
「あ、あぁ……はは、すまんねぇ、珍しい名前だからちょっと驚いちまった! やっぱりアリサちゃんはここら辺の人じゃないんだねぇ。一体どこの子なんだい?」
珍しい……とは思ったことないけどそんな驚かれるような名前なのかしら?
それにどこの子と言われても、私は今家がないし。
「えーっと、この街から六時間歩いた先のお屋敷に住んでました」
「まさか、ここまで歩いてきたのかい!?」
「えぇ! ホンット! おかげでくったくたよこっちは!! 紅茶も飲めない! 馬車にも乗れない! おまけに宿には泊めてもらえないし散々!! それもこれも全てあの父親のせいよ全く!!!!」
ああ!! 話してたら思い出してイライラしてきたわ!!
「……そんなに綺麗なお嬢さんでも、苦労はしているんだねえ」
「俺には金持ちの贅沢なわがままにしか聞こえないけどな」
まーたこのガキは、そんなに私に構ってほしいか!
「まぁアリサちゃん、男なんてのは馬鹿ばっかだからねえ、ウチも飲んだくれのしょーもない旦那でさぁ、あんまこの子の前ではいいたくないけど、それはそれは酷いもんだったさ。だから、そんな奴のもとにいちゃ、私も、この子も未来はない! と思って今のこの街に越してきたのさ。まぁ代わりに私が働かなくちゃいけないから大変と言えば大変だけど、あの頃に比べたら随分ゆっくりできてるよ」
その顔からは過去を憂う物悲しさと、一種の晴れ晴れしい気持ちとが混在した複雑な顔をしていた。
「だから俺は、もうちょっと大きくなったらすぐ働いて、母さんに楽してもらいてえんだ!」
さっきまでの憎たらしい顔とは違い、年相応な可愛らしい笑顔を浮かべるビリー。
「まぁ! ったくこの子は……こういうことろがあるからかわいいんだよねぇ」
と言ってマリーおばさんはビリーの頭をわしわしと掻き始める。
「なっ! やめ、やめろって!! わしわしするなぁああああああ!!」
「ぷっ──ふっふ」
二人はそろって動きを止めると、私の顔を見てニタァっと顔を歪める。
「な、なによっ……なにかおかしかったかしら?」
「いいや、やっと笑ったなと思って。うん、やっぱり女の子はムスッとした顔より笑ってる方が可愛いねぇ」
え、私今笑ってた? 全然自覚ない。というかそういう風に言われるとなんだか照れるわ。
私は恥ずかしさを抑えるために両頬を掌で覆う。
「まぁ俺の笑顔の次くらいには可愛いかな!」
「よくわかんないけど、アンタが正直じゃないってことは分かったわ」
「はは! ビリーあんた言われてるよ!!」
「なっ! う、うるせえなたく!!」
ビリーは恥ずかしそうに顔を真っ赤にしてそっぽを向く。照れ隠しか腕を組んで目をギュムと瞑っている。
なんだかこんな風に誰かと話すのも滅多にないから、どうしたらいいかちょっとわからなくなるわ。
「アリサちゃん、とりあえず今日はウチに泊まっていきな。こんなぼろっちい家だけど、ゆっくり休んでいきなさい」
マリーさんはそういうと、まるで私を本当の娘かのように微笑みかけてくれた。
「そういうことなら、黙って泊ってあげようじゃないの」
「ふっ、素直じゃないのはどっかの誰かさんも一緒だな」
ぐっ……! ほんとうにこいつは!!
「そうと決まったら、まずはお風呂だね。女の子は身嗜みが一番ってね。ほらビリー! 風呂沸かしなさいな!」
「な、なんで俺が!?」
とかいいつつも嬉しそうに駆けていったビリー。
ふふ、こーーんなに可愛くて綺麗な気品溢れるお嬢様を前にして舞い上がっているのね!
反抗的な態度をとっていようと所詮は子供、まだまだ初心なんだから!
「お屋敷みたいな豪奢な風呂ではないけど勘弁してねぇ」
マリーおばさんはそう言うと肩を竦めながらほうれい線を深く刻んだ。
私は言われるがまま浴場へついて行った。
あーーー何だかんだこんなに歩いたり見ず知らずの街を訪れたりってのも全然ないからすっごい疲れたわ。
こんなところでもお湯に浸かれるだけマシってものね。
「ふふ、あったあった〜これでも昔はアリサちゃんみたいに細かったんだから。うちは一人息子だしもう用は無いと思ってたんだけど、いやぁ人生何があるかわからないねぇ」
お、おぉ…なんだかよくわからないけど初めて気持ちの良さそうな笑顔を見たわ。
…………………。
「ん? どうしたんだい浮かない顔して。あぁ〜大丈夫、寝巻きだからゆったり着れると思うよ」
「え? そ、そう…よくってよ」
なにかしら心がざわざわするわ…。
言葉に言い表せない感情を抱いていた私の前に、マリーおばさんは寝巻きを広げて見せてくれた。
これは…何の布かしら、まるでテーブルクロス…?
黄土色で無地の寝巻き。マリーおばさんもビリーも、いやこの町の人達皆身につけているものは全て簡素であった。強いて言うなら耳飾りがカラフルで綺麗だと言うことくらいで、それ以外は必要最低限の衣服といった感じだ。貧乏、この町は貧乏なんだわ。
とは言え私もドレスのまま寝るわけにもいかないのでここは受け入れるしかないわね、私って大人ね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
馬の方がもっと広いところで水浴びしてるんじゃないかしら。
脱衣所くらいの広さのところでお風呂に入ったのは初めてだわ…すごいわね、庶民がまさか毎日こんなところに箱詰めされているだなんて知らなかったわ。
とは言えあったかいお風呂に入れたことは良かったわ。戸惑いと驚きの連続だったけどここまでの疲労がすーっととれた様な気がするわ。
「あ〜らまぁまぁまぁ〜!! やっぱ良いとこのお嬢さんねぇ可愛いわ〜まるで娘ができたみたい!」
まるで我ごとの様に嬉しそうなマリーおばさん。
ふふんそうでしょそうでしょう。なんたってお母様譲りの綺麗な顔なんだから!
ふぁさっと紅い髪を靡かせてやったわ。鼻の奥に柑橘系のシャンプーの匂いが届く。
今にも抜け落ちそうなくらいギィギィと音を立てる木板の階段を恐る恐る登ると、左手に一つ、突き当たりにもう一つボロっちい扉が見えた。
恐らくビリーの部屋とさっき言ってた余ってる部屋なんでしょうね。
というか余ってたってことはものすごく汚いんじゃ…? 流石に私も分かったわ、この家には執事はいないということに。庶民、話には聞いていたけど大変そうね。
マリーおばさんは嬉しそうに私の顔を見ながら奥の扉を開ける。
そしてなにやらもぞもぞしているような音が聞こえると、ボッという音と共に部屋に灯りが灯された。
ランタンの心許ない灯りに照らされた部屋は、汚くて狭いという点は変わらないものの存外物も少なく常に手入れはされているようであった。
マリーおばさんは一階で寝ているようだし、ビリーはもう一つの部屋。お父さんとは別れているって言ってたし…物置にしては物が少ないし、何か事情があるのかしら。
「ところでベッドはどれかしら? 背もたれのないソファぐらいしか見えないのだけれど」
「お、お嬢様といえどベッドはベッドじゃないのかい…? あれか、天蓋ってやつがついてるのか」
マリーおばさんは得心がいった顔でうんうんと唸っている。
え、ベッド…そうかこれがベッド…ずいぶん固そうね。
「なんだか心苦しくなってきたよ、申し訳ないねぇ。とりあえず今日は我慢してもらっても良いかい? 詳しい話はまた明日ってことで」
そう言うと包み込むような温かい笑顔で私の肩を叩くと、部屋から出て行ってしまった。
うーーん…考えていてもしょうがないわね! 寝ましょう! 寝て見せましょう! 懐のデカさを見せてやるんだから!!
ベッド? に入った私は、自分が思っていたよりも疲れていたのか、意識が落ちたのがいつの事か分からない程ぐっすりと眠ったのであった。