1話 家が無くなったわ
家が無くなったわ。
海外を遊びまわっていた父親が、それはもう流石のお嬢様である私さえ目を丸くするような借金を作りに作ってしまい、屋敷を差し押さえということになってしまったのだ。
お気に入りのアクセサリーも、普段気に入っていた真っ赤なドレスも、天蓋付きのベッドまでも、私は全てを失った。
「もぉぉおおおおおおっ!! 足痛いー! 歩きたくなーい! 紅茶も飲んでないのよ!? あれがなきゃ一日が始まらないじゃなーい!!」
「全く……貴方と言う人は相変わらず馬鹿でかい声で馬鹿馬鹿しいことを言っていますね」
「ちょ、馬鹿は余計よ馬鹿は!! 第一ご主人様に対して一体どういう口のきき方してんのよアンタは!!」
「馬鹿に対して馬鹿と言うのは、決して意地悪からではありません。馬鹿だと気付かせてあげる親切心ですよ? それに一つ訂正があります」
「な、なによ……?」
まるでこの私を子供扱いでもするように、切れ長の目を細めて、手袋をつけた指を一つ立てると、
「貴方は主人ではなく、元主人です。つまり私が貴方の言うことを聞くも、反抗するも、私の勝手と言うことです」
意地悪く、心底楽しそうに微笑みを浮かべた。
な、……な、ななななんなのよこの男はぁぁああああああああ!!!!!!
私の名前はアリサ・ドロシー・ブラッドフィールド。お母さん譲りの、苺のような紅い髪に、ルビーのような深紅の瞳を受け継いだ、お母さん似です。
だけどお母さんは私が物心つく前に亡くなっちゃって……って暗い話はやめよっか。
お父さんとはほとんど会ったことが無くて、顔もうろ覚えなんだけど、どこかからお金をとってきてはうちに送ってきてくれる、基本的には良い人。というくらいの認識しかなかった。
だからだろうか、私はその認識の甘さに今心底苛立っているわ。
多大な借金を作って、お母さんが大事にしていた、お母さんが詰まったあの家を手放すことになるなんて……。
私はその怒りをぶつけてやるために、父親を探す旅に出たのだった。
ってそうそう。
さっきから厭味言ってくるこの男の名前は、アーサー・ディバイン・キングスレー。
容姿端麗頭脳明晰。何をやらせても完璧にこなす変態執事。
お嬢様時代の私の付き人で、ことあるごとにアーティーにはお世話になってたわ。正直アーティーがいないと困るのは事実なんだけど……こいつ本当に私の執事? って言いたくなるくらい口が悪いの!
はぁ……まぁこれでも少しくらいはいいところがあるっていうかさ、そこまで悪く言えないってのが事実で──
「何をうさぎが草団子を食べたような顔をしているんですか」
「なっ……どういう顔よそれ」
父親を捜すため、まずは情報収集ということを目的に、一番近い街へと向かうため、舗装されていた道を歩いていたその途中。
顎に手を掛け、明らかに見下すように含みのある笑いを浮かべると、アーティーは愉快そうにスタスタと歩き出す。
「ひどくみっともない顔ってことですよ。リサ」
っ!?!? やっぱ前言撤回!! こいつやなやつ!! アーティーの癖に! 私の執事の癖に!!
「! リサ、下がって」
むきーっと軽く地団太を踏んでいた私の前に、アーティーの大きな背が立ちはだかる。腕を大きく広げて、まるで私を守る様に。
「な、何どうしたのよアーティー!」
その背中を押しながら私は、隙間からちらと覗く。
「え、……?」
息が詰まった。何? これは一体何なの? 言葉が出無い。目の前の現実に目を疑う。
アーティーの前に立ちはだかる、異形の者を見て。
「ちょ、なにあれ! ば、化物……? ねぇアーティー! 何してるの、逃げるわよっ……!」
「だぁっー! うるさいですねリサ! いいから大人しく俺の後ろに隠れていてください」
アーティーの、燕尾服の裾を掴んでこの場から逃げようとする。しかし、私の非力な力ではびくともせず、更にアーティーはそれを振りほどいて異形の者へと歩を進める。
昼間なのにその周りの空間が暗く感じるほどの闇に包まれた異形。長く鋭い爪は、少しでも当たれば肉を裂かれそうなほど凶悪。折り畳まれた二本の足は、それだけで俊敏だということを相手に知らしめている。
アーティーはそんな異形を前にして、億することすらしない。寧ろ、余裕綽々と言った感じだった。
さしものアーティーでさえ、あんな化物相手では敵わないわ。
そう思った私の予想を裏切り、アーティーが右手を水平に上げると、その周りに幾何学模様の紋章が浮かび上がる。
その紋章が微かに発光したかと思ったその瞬間──アーティーの手から鋭く尖った、人の腕ほどの大きさの氷の塊が現われる。
え? 何、何それ。どうなってんの? 手、手から氷が? え?
あり得ない現実を目の当たりにして、混乱する私を置いてけぼりに、アーティーの手から放たれた氷は化物の右腕へと突き刺さる。
化物はそれを気にする素振りを見せず、折り畳まれた足を深く落としこむと、バネのようにそれを弾いて一気にアーティーへと迫り来る。
「アーティー!!」
体は恐怖に震えて動けないが、声は絞り出すようだがなんとか出た。
化物の手が伸びる。鋭く伸びた爪が、今アーティーの命を刈り取ろうと首元へ押しあてられそうになる。
嫌だ。嫌だ。アーティーが死んじゃう。ダメ……ダメ!
「フッ…………雑魚如きに殺られる俺じゃないですよ」
アーティーは口の端を吊り上げると、伸ばしていた手を下げる。するとその平を空へ向けて、二本指を立ててクイッと折り曲げた。
直後、地面から、またあの紋章が浮かびあがったかと思うと、そこから氷の柱が勢いよく生え出てきて、化物のお腹を突き刺した。
アーティーの喉元へと伸ばされた鋭い爪は、その数センチほどの距離で動きを止めている。
そうしてもがき苦しむように鳴き声をあげながら悶えると、光の粒子を撒き散らしながら跡形も無く化物は消えた。
アーティーはめんどくさそうに溜息を一つつき、手袋を嵌めた手をパンパンと払う。
すると地面から生えた氷は砕け、キラキラと光を反射させながら地面へと破片が落ちる。
「どうしましたリサ? まさかこの俺があんな化物に殺される、とか思ってたんじゃないでしょうね?」
「なっ……! い、いやでも……あれは……だってっ……」
本当に死んじゃうかと思った。
その言葉を吐き出すことができず、顔を俯かせて、長いドレススカートをギュッと掴む。
怖かった。そもそもあの化物は何? どこから氷を取りだしたの? なんでそんなに冷静なの?
聞きたいことはいっぱいあった。でも怖くて聞けない。今はただアーティーが無事だってことだけでいい。
だから、私はお礼を言おうと顔を上げようとしたところで──
「んっ……!?」
私の頭を、でかくて大きな手が抑えつけてきた。
「な、なに!? 何すんのよアーティー! こ、……こら! この手をど・け・な・さ・いぃ~!」
その手はぐりぐりと掻きまわすように動く。髪の毛はぼさぼさになるし、乱雑なその扱いに、首が変な音を立ててる気がする。
両手でその手をどけようとするも、力が強くてとても解けない。それから暫く、ぐわんぐわんとアーティーの好きなように掻きまわされた私は、疲れて両手をアーティーの腕から離す。
と思ったらアーティーは私の頭から手を離してきたのだ。むかつく~! こいつ絶対わざとやってるでしょ!
抗議する気力も無くなったその時、アーティーは満足気な顔で微笑みを浮かべる。
「ほらリサ。危ないから俺の傍から離れないでください」
そう言うや否や、真ん中で分けた長い前髪を揺らしながらアーティーは街道へと歩み進めて行く。
「なっ──ちょ、ちょっと待ってアーティー! ま、待ちなさい!!」
私は高いヒールをカツカツと鳴らしながら、アーティーの後を必死に追う。
理解が追い付かない。説明が欲しい。意味が分からないことが立て続けに起きている。
──だけど、私は一つだけ理解したことがある。
この旅は、自分が思ったよりも一筋縄ではいかない、と。




