11話 脱走
「父上、夜風は身体に障ります」
「あぁ……アグラヴェインか……何、この興奮しきった熱を冷ますには地獄に流れる川でも事足りぬわい」
アグラヴェインの父でもあるアイテール王国の国王マロリーは、寝着に身を纏い寝室から窓を開けて月を眺めていた。アグラヴェインもまた、堅苦しい鎧を脱いで今すぐにでも休める格好をしていた。今日と明日を境にこの国が、いや世界が大きく変わるかもしれない。そんな時代の転換期とも呼べる瞬間をしかと見届けるためには今日はもう休んでもらわなければいけない、そう思い王の寝室を訪れたのであった。
「失われし伝承の存在……果たしてまだ力があるとお思いですか?」
パタリ、と窓を閉める。反射して映るアグラヴェインの顔はどこか自信なさげだった。
「馬鹿を言うでない! 王国騎士団団長、そして何より私の息子であるお前が何を億病風に吹かれている!」
弱弱しいアグラヴェインの発言にマロリーは激しく怒りを露にする。一国の王、そして父としての激昂だ、普通なら竦み上がるものだが、そこはこの親にしてこの子ありか『父親に怒られた』事実にだけ落ち込んでいる。
そんなマロリーはすぐに怒りを抑え自嘲的な笑みを浮かべるのだった。
「総てはアーカーシャの書物のままに、だ。安心せい」
「……失礼致しました父上。明日を楽しみにしております、今日はもうお休みくださいませ」
深々とお辞儀をすると、部屋を後にした。その背を見送りながらマロリーは、ぼそりと呟く。
「杞憂なのだよ、何もかも……ふ、ふっはははっははは!」
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「んっ…………なっ………」
な、何……? なんか顔をもきゅもきゅされている気がするわ。しかも割と雑に。人が折角寝ていたのに、やめ、や、やめな……
「やっっめなさいよっ!! 私の顔はパウンドケーキじゃないのよ!!??」
ガバッと飛び上がるように目が覚めた私。あれ? 誰もいない……? いや兵士はそこで寝て……
「へ? ん? 手足も自由……? 牢屋も開いてるわ……そうか、もうその時が来たのね。案外早かったじゃない! たっくもう、あいてて……こんな所で寝てたから身体中痛いわ……」
さてと、何処へ行ったらいいのかさっぱり分からないけれど、とにかくここを出れば外だって見えるでしょう。
「おっかしいわねぇ? 一本道だったはずだけど……? なんで私、まだ城にいるの?」
牢屋から脱出した私は、一旦ビリーとマリーおばさんのお家に帰ろうとしたのだけれど、牢屋から続く階段を登った先はなんと城の中でした。
「外が、もうこんなに暗い……」
夜は苦手だわ、心まで暗くなってしまうもの。浮かぶ月だけが、今は私の味方でいてくれる。
……だめだめ、弱気になっている場合じゃない! 早く外に出ないとまた牢屋に連れていかれるかもだわ。
流石は王城、とだけあって広いわね。全くもって今がどこら辺なのか分からないわ。本当にこっちでいいのかしら……階段を下りたらまた牢屋とかやめてよね?
「はぁ……………でも夜で助かったわ、兵士達もみんな寝てい……………………ご、御機嫌よう~」
「……………………」
「…………っ……?」
「巫女だぁっーーーーーーー!?!?!? 脱走ーーーー!! 巫女が脱走したぞーーーーー!?」
うわぁああぁああん! そう簡単には行かせてくれないわよねーー!! 私なーーーーんにもしてなーーーーーーーーーーいのにーーーー!!!!
と、とにかく今は逃げるのよーーー! どこ行ったらいいのか分からないけどーーー!
私は走った、全力で。走るって感覚が久々すぎて本当に走れているのか分からないけれど、今はそんなことよりあの冷たい牢屋に繋がれたくない、その思いで必死だった。
後ろから兵士が追ってくる。巫女? そう言えばビリーが森で話してくれた、魔を鎮める力を持つ平和と災厄の象徴……だっけ? でも御伽噺だって言ってたじゃない! 私が、その、御伽噺の巫女? 何を馬鹿なことを、お母様だってお父様(余計に腹たってきた)だって普通の人よ? もーう何が起きてるのよーー!
只ひたすら逃げる事だけを頭に置いて走っていたもんで、気付けば行き止まりじゃないの。
待って待ってどうしようどうしよう。
丁度曲がり角なので今兵士の姿は見えない。けど足音がすぐそこまで迫っているのは分かる。やだやだ捕まりたくない! あぁあもう! こうなったらどうにでもなれ!!
行き止まりだけどひとつ、重苦しそうな扉があったのでそこを開けて中に入りましょう。
ガチャガチャ。
嘘でしょ!? 鍵、鍵かかってる!?
「な、んでよ、お願いお願い開きなさいよ~!!」
その間にも足音は近づいてくる。も、もうダメ……!
半ば諦めながら扉に手を掛けたその時、パリーンとガラスが割れるような感覚と共に、扉がスっと開いた。着けているピアスが一瞬だけチクリとしたけど今はそんなこと気にしている場合じゃない、早く隠れなきゃ。
暗っ! な、何よここ?
部屋には窓も無く、点在するランプだけが頼りだ。心做しかじめじめしている気がするわ。
と、そこで私は何か硬いものを踏んでしまった。
「ひぃっ!? ごめんなさいごめんなさい!?……って、本……?」
そろりと顔を近づけるとハードカバーが、ここだけじゃない至る所に散乱していた。
書庫かしら? よく見たら棚いっぱいに本がぎっしり並べられている。生物学に薬学、難しそうな本ばかりだわ。
あら……? これって……?
一冊の本を手に取り表紙を眺める。
『宇宙創世に必要な魔法学論文集vol.4』
そう書いてあった。
待って待って…………魔法学……? 魔法? 科学じゃなくて? いや魔物がいるような世界だから魔法があって当たり前?…………いやいやいや、魔法学って……生物学に薬学に並ぶほどメジャーなの? 私昨日まで魔法の存在すら知らなかったのに? vol.4って結構出てるじゃない! いや確かに昨日アーティーはその魔法ってのを使って、魔物をやっつけた。自分で何を言っているのか分からないけど目の前で起きたあれは夢みたいで嘘みたいだけど現実の事だ。ってことは、本当にこれは魔法学なんだわ、私の知らないところで、世界は魔法についての知識や研究が日常なんだわ。アーティーは何で教えてくれなかったのよ。全てに対して腹が立ってきたわ。でも待って、ここなら隠れるには都合が良さそうだわ。幸い部屋も暗いし……って、何でこの私が隠れなきゃいけないのよ……
「……の……てけ…………」
「…………え?」
思わず背筋が伸びる。何か、今なにか聞こえたわ……人がいるのね……? だとしたらここも安全じゃない、逃げないと……でも何処──
「僕の城から出てけッッ!!!!」
「ひぃいいい!? ごめんなさいごめんなさい食べないでお願いよーーー!!」
暗闇から汚い獣のようなものが突如目の前に現れた。思わず尻餅をつく。せめてもの抵抗と手をバタバタさせるがガシッと掴まれてしまった。やーーーめーーーてーーーー!
「誰だお前はっっ!!!! 部屋には、士官クラスでも4、5人かけてやっと解けるかどうかっていう隔壁魔法を施しているんだぞ!! 何処から入った!!」
「い、痛いっ……!」
力が強い。腕を跡が残りそうなほど強く握られ、今にも頭からがぶりと食べられそうな勢いで詰められている。やだ怖い、何、離してよ……っ
「何処から入ったと聞い…………」
突如ピタリと動きを止めると、掴まれていた腕が離されじーっとこちらの顔を覗かれている。
獣、では無い。髪の毛はボサボサだが人間だ。
よく見るととても綺麗な顔をしている。深翠の髪の毛から覗く、長い睫毛に少しタレ目なのが、酷い剣幕で怒っていたその顔には似合わなく可愛らしい。ご飯はあまり食べていないのか全体的に細く、儚げだ。
と、そこでいきなり頭をガッと掴まれる。振りほどこうにもすごい力なのと、大きく開かれた瞳から逃れられなかった。
「お前……なんだもっとちゃんと見せろ」
顔が更に近づくと、男の体から電気が迸り部屋全体を包みパッと明るくなる。全容が明らか……とは本が多すぎて言えないくらいこの部屋には本が溢れかえっている。棚にも納まっていなくて床に散らかり放題だ。
「緋い髪に緋い瞳……? 僕達とはまた違う……肌も白くて綺麗だからユーメラニンが足りないのは明白……ただそれだけならばここまで深くて綺麗な色にはならないはず……染色だとしたら虹彩の理由が付かない……収縮を確認出来たから義眼でもないようだし偽装魔法……には見えない、か……それに自ら危険な道を選ぶ理由も分からない……」
1人で何かを確かめるように私の顔や髪を触ってはブツブツと呟いている。
こ、この────
「レディの顔を、ベタベタ触るなぁっ!!」
自棄になって拳を突き出したら男の顔面にクリーンヒット。避ける事もせずもろに食らった男はそのまま後ろに倒れる。顔を押さえて細い足をバタバタさせて呻いていた。
な、何よ見た目通り弱っちいわね。今の内に逃げさせて貰うわ!
とは言え部屋を出ればまた兵士に見つかってしまう。ここに居るよりかいいけど……あら? 本棚の後ろに隙間……?
壁に背を付けていると思われた本棚の後ろには、僅かだが隙間が見えた。なるほど、王城と言えば何かあった時の為に抜け道や隠し部屋が用意されているものよね。きっとこれはそれだわ!
そうと決まれば!…………気合いでどかすわよ。
私1人入れる隙間が出来ればいいのよ、きっと見た目通りの重さはないだろうし…………ほらね。
重いことに変わりはなかったが本棚そのままの重量だったら私一人ではとても動かせなかった。ということはやはりこの先には…………階段だわ、ビンゴってね。
先は暗くてあまり見えないけれど壁伝いに降りて行けば問題ないはず。私は1度呼吸を置いてから階段を1歩1歩慎重に降りていった。
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「はっ……はっ……っん……はやく、はやく知らせなきゃ……」
日も完全に落ちきり、月の明かりだけが頼りの森の中をビリーは走っていた。
道自体は何度も通ったから慣れているものの、いつもはこんな遅くまで王都に居たことはないので風景がまるで違っていた。ましてや月の明かりとは言うがこの森は木も高く葉も大きいので暗闇といっても相違ないレベルだ。その中でも記憶を頼りに感覚と、そして勘で走っていた。危険ではあるが何より巫女と間違われて捕まったアリサの方がよっぽど危険であると悟ったビリーは、自分ではまともに相手してくれないという一種の非力さを噛み締めながら母親の元へ急いでいた。
「!?っ……ぁっ!!」
木の根に足を取られた。受け身も取れず顔面から地面を滑った。顔は勿論、手も足も擦り傷で血が出ている。
「いったぁい……っぅ……うぅぅうう……」
ビリーもまだ11歳の子供である。いくら大人びているとはいえ寂しい時は泣くのだ。
「や、やだ……痛い……助けてよ……母さん……」
ビリーが身体を抱きかかえて泣いてるその時、ただでさえ暗い森の中が更に暗くなった。パキパキッと枝や枯葉が踏まれる音が響く。グルルルルと人ではない何かの息づかいが静寂に木霊する。ビリーは震えながらゆっくりと顔を上げる。するとそこには──
「う、うわぁああぁぁぁああぁぁあああっ!!??」
子供など簡単に噛みちぎれる大きな、鋭い牙が今ビリーに剥かれていた。