パーティへの招待
車は相変わらず不安定な走行で国道を走る。
車線変更が危険すぎて、クラクションの嵐が吹き荒れる。
その都度田村君子は「ごめんなさい、ごめんなさい!ごめんなさあああい!」と叫んでいる。
石本は石のように固まり、阿部はペットボトルのコーラを飲もうにも飲めない。
良太は「バカ!あぶねえ!右だ!右!おおおおい!左だ!左!」と罵声を浴びせ、それが田村君子に返ってプレッシャーを与えている。
「こう見えても運転苦手なんですってばあ!」
「だからどう見えても苦手だろ!」
シャレにならないとはこのことをいうのだと三人は思わずにはいられなかった。
約二十分後、四人は命からがら例の駐車場についた。
田村君子が午前中トラブルになった辺りから慎重に探し始め、喫茶店、レストラン、服屋等もくまなくチェックし、それぞれのスタッフにも聞いて回った。
しかしいずれもそのようなものは落ちていないとの返答しか得られなかった。
夜七時過ぎ、まだ夏の終わりとはいえ、辺りはだいぶ暗かった。
結局例の駐車場に戻ってきてしまった。
もちろん何の手がかりもない。
田村君子は最後の砦として交番に出向いていた。
良太たちは例の駐車場でなすすべなく立ち尽くしている。
良太はタバコをふかし、阿部は二本目のコーラを飲み、石本は携帯をいじっている。
やがて田村君子が帰ってきた。
重たい足取りに、真下を向きながら近づいてくるその絶望的な様ですぐに交番にはなかったことがわかった。
「そうか、ダメだったか…」
「ううう…どうしてわかったんですか?…もう、ダメですね…。みなさんありがとうございました。今から主任に電話して正直に打ち明けようと思います。主任の怒り狂う様子が想像つきます。ワタクシなんかにマスターキーを貸したために主任にも厳しい制裁が及ぶことは間違いありません。そしてワタクシはクビです…。今までもさんざんミスをやらかしてきましたから、今度こそクビだと思います。ううう…マスターキーだけは絶対になくさないと思っていたのに…どうして…?どうして?あれほど厳重に車内の棚にしまっておいたのに…」
車内は隅々まで調べたが、何も出てこなかった。
「ところでよお、美奈子ちゃんってたしか車内から無理やりきみっちょの携帯とか免許証を取り出したんだよなあ。あれって怪しいなあってオイラずーっと思っていたんだよなあ」
阿倍の発言に石本も、
「ああ、僕もそう思っていた。こっそりその様子も影から見ていたが、元いじめっ子の美奈子なら嫌がらせのためにマスターキーを取り上げる可能性など充分にあるんじゃないかって二人で思ってたよ」
良太と田村君子はその驚くべき発言に目を丸くする。
「そ、それっていつ頃感づいたんだ?」
「いやあオイラ達最初からなんとなくそうじゃないかって…」
「それを先に言えええええええ!」
良太が二人の襟を鷲掴みにする。
田村君子は車を相変わらず路駐せずにアパート裏の空き地に止めた。
そのまま再び良太の部屋に入り、一同は頭をひねらせていた。
美奈子からマスターキーを取り戻すために急遽作戦会議をすることになったのだ。
もちろん美奈子が犯人だという完璧な証拠はないのだが、一同はこれに賭けるしかなかった。
しかも取り戻すのは今晩中じゃないといけない。
明日は月曜日、マスターキーがないと営業・配達社員は一切動くことができない。
しかし問題は山積みだった。
まずはどうやって美奈子を呼ぶか?
どうやって美奈子にマスターキーの話をするか?
九割型美奈子が犯人だと仮定してどうやって容疑を認めさせるか?
田村君子のクビがかかっている問題だった。
良太にしてみれば、田村君子は営業に向いてないのだからいっそクビになり別の仕事をするべきだと思ってはいたのだが、今回クビになると四度目となるのである。
四度もクビになるともはや社会人として立ち直れず、精神を病んでしまうのではないだろうかと思っていたのである。
田村君子の精神状態を崩壊させないためにも何としてでも失敗は許されなかった。
良太はいつの間にか必要以上に田村君子のために動いている自分に気づいてはいたもののあくまでも情けなさ過ぎて見るに見かねてという理由でそれ以上は考えなかった。
美奈子が寝てしまうとアウトだ。
今晩中に美奈子に会わないといけない、どうしても電話に出てもらわないといけない。
でも運が悪ければ今晩一切携帯に出ない可能性もある。
良太は美奈子に電話した。
しかし留守だった。こうなるともう相手が着信に気づいてこちらに電話してくれるのを待つしかない。
しかし美奈子が折り返し電話をかけてくれるのだろうか?
あの気のきかない美奈子が折り返すなど、可能性は極めて少ない。
しかし四十分後、電話がかかってきた。
「ねえねえー!今さあ、コッチで伊集院家のパーティやってんだよー!よかったらアンタときもこで来なーい?」
テンションの高いアホ女丸出しの声が聞こえてきた。
後ろからはクラシックミュージックが聴こえてくる。
「っていうのはねえ、実は今日のことなんだけどお、ちょっとやりすぎたかなあって思ってさあ。つー君もさあ、調子に乗りすぎたって言ってちょっと反省しているんだ。すっごい美味しいワインとステーキとかあるからさあ、来てよお」
「うん、わかったすぐ行く」
「あ、タクシーで来て、タクシー代全部つークンが奢るって言ってるから。えっ?友人二人もいいかって?いいわよ」
良太を含め一同はこの急展開にはさすがに驚いた。
東京エンペラーホテルは伊集院翼の父親が経営している世界的に有名なホテルだが、中に入ったらラフな格好をした良太達四人を警備員が取り囲んだ。
周囲を見ると男女共に海外の映画祭に出席する俳優女優みたいに着飾っている。
「い、いやその、翼くんのトモダチでして…」
美奈子に言われた通りのセリフをそのまま警備員に伝えると、警備員たちはすぐに目を丸くし、異常に腰が低くなった。
人間なんてこんなものである。
マリーアントワネットの寝室のような部屋に通され、そこの中央の丸いテーブルで待つことになった。
「いいのかよお、オイラ達も来ちゃって…」
「僕はダイエット中だからあえて会食パーティなど遠慮しておこうかって思ったんだが…まあ美奈子さんが良いというのであればいいのではないか?」
柱時計が夜の九時を知らせ、レトロな音色を鳴らす。
「ほ、本当にワタクシ達に謝罪の気持ちがあるのかしら…?」
田村君子が不安そうに呟く。
「わからない。正直俺も不思議でならないが、基本的に美奈子は何も考えていない頭空っぽの女だ。その場のノリで衝動的に招待したのかもしれない」
十分程して両開きの扉がノックもされずに開いた。
「お待たせえ!ごめんねえ、もう話が弾んじゃってさあ」
これから紅白にでもでるような豪華な赤いドレスで登場した美奈子は未だかつてないくらい綺麗だった。
さらに綺麗になった美奈子を見て、良太は不覚にも見とれてしまった。
まだこんな女に未練を感じているのかと思うと良太は情けなくなってその悔しさをどこかにぶつけたくなるが、どこにもぶつけれず歯ぎしりをするのみだった。
「君子、昼間はごめんねえ、ついつい昔の悪い癖が出ちゃってさあ…っていうかアンタマジで半端なく可愛くなったねえ!」
ニンマリと笑う美奈子に田村君子は顔をこわばらせずにはいられない。
それにしても美奈子のこの態度の変わりようは一体何だというのだろうか。
パーティは大物歌手のディナーショーのような会場で行われていた。
椅子は壁側にたくさんあり、テーブル付近にはあまり用意されていない。
立食パーティのようで、周囲の人間は名刺交換したり、深々と頭を下げたりしている。
みんな高級そうなスーツとドレスで着飾っている紳士淑女ばかりだった。
中には外国人も数人いた。
普通の庶民の格好をした良太たちは完全に浮いていた。
その会場に入ること自体にものすごく抵抗がある。
「遠慮しないでよお、なんでも飲み食いしていいのよ!」
美奈子はまるで自分が全てを用意したかのような言い方をする。
良太たちはなぜこの会場に自分たちがいるのか、さっぱりわからなくなった。
都合よくマスターキーを取り戻すチャンスを与えられたのだが、あまりに場違いなため、何から始めていいのかわからない。
心なしか良太他三人への、周囲からの目線はどこか見下していように感じる。
「伊集院翼さんのご学友かしら?」
「そんなことないでしょう、お坊ちゃんがあんな地味なのと関わるはずがないわ」
「きっとお友達になってあげているのよ」
「お坊ちゃんはボランティア精神が旺盛ですからねえ」
ところどころからこのようなヒソヒソ話すら聴こえてくる。
良太は美奈子に話しかけようとするが、次々と中年の男達に媚を売ってはくるくると移動する美奈子に話しかけるタイミングがどうしても取れない。
「なあ、良太…なんかすっげえ浮いてて帰りたいんだけどよお…そもそもなんで美奈子ちゃんオイラたちまで参加するのを許したんだ?ますますわからなくなってきたぜ」
「俺もわからん、でも今はマスターキーの話を上手にすることだけに専念しないと」
石本はダイエット中などと言っておきながら無我夢中で飲み食いしている。
いつの間にか田村君子がいない。
良太は美奈子をひとまず置いて、田村君子を探すことにした。
田村君子は会場の隅のソファーに座っている。
そして中年オヤジにお酌していたのである。
「何やってんだあの女…」
田村君子は苦笑いしているので、恐らくお酌させられているのだろう。
中年オヤジは田村君子にもワインを勧める。
田村君子は遠慮するが、強引に勧めてきて、田村君子はとうとうワインを受け取ってしまった。
中年オヤジの部下らしき人からワインが注がれ、田村君子は困惑している様子だった。
良太は田村君子のところに行こうとしたが、いきなり見知らぬ女の子が話しかけてきた。
「ねえ!貴方、見ない顔ね。どうしたの、こんなラフな格好して、今日は翼君の誕生パーティなのにいい度胸してるわね。あっもしかして、例の土下座クン?」
その女の子はゴスロリにも見える黒いドレスに身を包み、初対面とは思えないほど顔を寄せてくる。
背が低く、一見中学一年生くらいに見える。
一重瞼の割に大きな猫のような目をしたその少女はパーマがかった長い茶髪を揺らしながらニヤニヤと良太を見つめている。
しかし、「土下座クン」っていうのは一体なんなのか?
「な、ど、土下座クンって…?」
「あ!コレ言わないんだった忘れて忘れて!」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ、それって何?」
「あ、まずは自己紹介ね、ワタシは翼君の親戚の翔子、高校一年生になったばかり。貴方の名前は?」
「え、か、川上良太だけど…あ、俺は大学一年…」
「へ~え、まあいいや、メルアド交換しよっ」
「は?」
「なんかいろいろ使えそう…あ!違う違う、お、お友達になっておこうかなって」
「あんた今使えそうって…」
「もー細かいことはいいから!」
良太は怪訝そうな顔をしつつも渋々メアドの交換をする。
「川上良太君ね。たまに翔子に連絡ちょうだいね~」
そう言うと翔子は良太にグラスを渡したかと思うと、ビール瓶を持ち、「飲んで飲んで」と言ってドボドボとビールを注いだ。
ヘタクソなお酌で泡だらけのビールは瞬く間に床の絨毯を汚す。
「あーあ、下手くそだね~、せっかく翔子が注いでやったのに…」
下手くそはお前だろと思いつつ、苦笑いしてごまかす良太。
翔子も微笑むが、どこか見下したような微笑みに感じだ。
「翔子にも注いでよ」
未成年のいきなりの発言に良太は、
「君、未成年だろ、しかもこんなトコで飲んだら伊集院家の評判悪くなるんじゃないのか?」
「心配ないわよ、みんな腫れ物に触るかのようにどうせ誰も注意なんてしてこないから。注いでくれないのならもういいわ」
そう言うといきなりビール瓶をラッパ飲みし始めたので良太は慌てて取り上げた。
「飲むなって!未成年だろ!」
真剣な良太の表情に、翔子は予想外に驚いた表情を見せた。
その顔は初めて先生に怒られた幼稚園児のような表情にも見えた。
「な、なによ、翔子なんてもう大人なんだから!」
そう言うと翔子は頬を膨らまして良太の前から去っていった。
「何なんだよあのクソガキ…」
このパーティは全くもって居心地が良くなかった。
阿部や石本はその居心地の悪さを忘れるように暴飲暴食している。
田舎者の試食コーナー荒らしみたいで、見ていて痛々しい。
良太が田村君子を見ると、苦笑いをしながらもグラス内のワインの色が白ワインに変わっていた。
どうやら脇にいるオヤジにだいぶ飲まされていて、しかもホステス替わりにされているらしい。
良太は田村君子に近寄るそのオヤジが必要以上に汚らしいモノに見えて非常に不愉快な印象を受けていた。
よく見ると田村君子は想像以上に酒を飲むペースが早い。
今注がれたばかりの白ワインもほとんど一気飲みに近いくらいの速さでなくなり、今度はまた赤ワインを注がれていた。
止めにかからないとアイツ潰れてしまって明日仕事どころじゃなくなるんじゃないか?
良太が田村君子のところへ向かおうとしたその時、いきなり背後から美奈子の声がした。
「ねえ」
「んあ?」
良太が振り返ると美奈子がニヤニヤしながら一枚の封筒を渡した。
「もうすぐつー君の『副社長就任の挨拶』あるんだけど」
「副社長?あいつが?」
「スゴイでしょう!そんでね、いまりょうクンに渡したその封筒を急で悪いんだけれど、今すぐ読んで欲しいの。十分くらい前に田村君子にも同じ封筒を渡したわ。了解してくれた、まあ歯ぎしりをしながらだったけどね、ハハッ」
その場で良太は封筒の中の便箋を読んで、顔をしかめずにはいられなかった。
「ご無沙汰だね、今日は伊集院翼の誕生日パーティおよび伊集院翼副社長就任感謝パーティに来てもらい、感謝するよ。まあ本来なら二百万という大金を代わりに支払ってあげた僕こそ感謝されるべき存在なんだが。そこで本題に入ろう。僕はヤクザから君たちを救った英雄として『経営者としての人間性および勇敢さ』をアピールしたいので、あの時の話を少しだけアレンジを加えてエピソードとして語るつもりだ。頼むから反論したり、不快な顔をしたりしないでだまって聞いていて欲しいのだ。もしちょっとでも騒いだり、僕の演説に泥を塗るようなことをしたら、あの時の二百万負担についての話は取り消させてもらう、つまりヤクザたちには『やはりあいつらからもらってくれ』ということにする。わかったね」
なんだこれは…。
自分たちがここに呼ばれたのは演説のネタにするために過ぎなかったのか。
それから三分もしないで伊集院翼の演説が始まった。
ステージの中央にホストのような出で立ちで現れた伊集院翼、彼の姿は盛大な拍手でもって迎えられた。
伊集院は四方八方に手を振りながら満面の笑みである。
拍手が鳴り終わると伊集院は全く緊張していない様子で、語り始めた。
「みなさん、今宵は僕の東京エンペラーホテルの副社長就任および、誕生日パーティにお越しいただき深く感謝いたします。僕自身はまだ大学院生ですので、副社長就任の話が来た時に、最初はお断りさせていただきました。僕が父の偉業のサポートなどまだまだ恐れ多く、また長年労苦を積み重ねられてきた先輩たちの上に立つなどとんでもなくおこがましいことだと思っていたからです…」
伊集院はまるで一種のプレゼンテーションをするかのように身振り手振りを加えて熱っぽく語っていた。
その様は非常に洗練されていて、カリスマ性のある政治家のような妙な説得力があった。彼の演説が五分ほど続いた時、ふいに出てきた話題の内容に良太は我が耳を疑うことに
なった。
「そんなある日、僕はあるデパートの駐車場で恐怖におののくカップルの姿を発見しました。それが今日も私服でこのパーティに出席している良太君と君子さんです。あ、そうそうそこにいる彼と後…あそこにいる彼女です。今日は彼らのお友達も一緒だね」
いきなりの名指しに良太達一同は目を丸くする。
「君子さんは暴力団の車に自分の車をぶつけてしまい、どうしていいのかわからずに良太君と喧嘩していたのです。そこに暴力団が二人やってきました。彼らに良太君と君子さんはひたすら謝っていました。暴力団は良太君に土下座をして謝れと言い出しました。良太君は渋々土下座をして謝りましたが、暴力団は現金二百万で許してやると言ってきたのです。彼は一般の大学生です。そんな大金あるわけがありません。僕はその時ちょうど、美奈子さんと一緒にいましたが、美奈子さんは関わらない方がいいと言ってくれました。でも気づいたときには僕の体が動いていたのです。僕は無我夢中で彼と一緒に暴力団に土下座をしていました。そして僕が代わりに二百万を出すので彼を許してやって欲しいと言いました。暴力団はそれを了解し、なんとか事なきを得たのです。彼とはそれ以来友達同士なのですが、このことを父に話した時、父からはお叱りの言葉をいただきました。しかし、同時に父は言われました。『お前はバカ正直だ。正直者はバカを見るタイプだ。しかし人間としては正しい』。東京エンペラーホテルは今でこそ高嶺の花のような高級ホテルと言われています。しかしその根源には『人情』そして『愛』があるはずです。僕はこの度の経験を通して、人に愛の手を差し伸べる勇気を知りました。だから彼には感謝をしているのです。この経験があったからこそ僕は今こそ東京エンペラーホテルの副社長に就任し、このホテルが単に紳士淑女の集まりというだけでなく『人情』『思いやり』『愛情』の三拍子そろったホテルにしたいという強い決断をしようと思い立ったのです」
すると会場内には割れんばかりの拍手喝采が起きた。
その拍手を聴きながら良太は口と目を開いたまま、唖然としているばかりであった。
なんなんだこれは?
土下座を強要したのはあのチンピラどもじゃなくて伊集院、お前だろ!
それどころかその後も執拗に二百万円をネタにいろいろと人のことをいたぶって、最後には言われた通りにブーツにく口づけした俺の腹を思いっきり蹴ったじゃないか!
しかしそれを今ここで叫んだりして取り乱したら、あの二百万円は田村君子が払わないといけなくなる。
周囲の人間たちの目つきはものすごく可哀想な、ドブネズミでも見るかのような目になり、そこには一般庶民に対する貴族の上から目線と哀れみでいっぱいになっていた。
良太はあの時の屈辱が脳裏からふつふつと湧き出て、そしてその怨念がいつの間にか渦巻き状に反芻され、カラーで鮮明に高笑いしている伊集院が幻聴のように耳を支配し始めるのを感じていた。
しかし、反論するわけにもいかない。
良太に言論の自由などなかった。
すると阿部と石本がやってきた。
「超大嘘つきじゃねええかあ、あのムカつく男め!」
「僕たちは隠れて一部始終を見ていたんだ。いわば証人でもある、なんか言ってやろうぜ」
しかし良太は二人に例の伊集院からの手紙を見せて、大人しくするようにお願いした。
田村君子を見てみると、ものすごい形相で歯ぎしりをしているようだった。
するとそこに美奈子がやってきてまた封筒を差し出した。
封筒を受け取り、中身を見ると、その内容にさらなる驚愕をするハメになった。
そこには伊集院翼に対する感謝に満ち溢れた内容の文章が延々と書かれていた。
それはあたかもどこかの独裁国家の王を称えるような文章であり、伊集院翼を完全に神格化、偶像化するような内容であった。
「りょうクン、これもつークンからのお願いよ。ステージに呼ばれたらこの文章を読み上げてよ。ちゃんと心をこめて笑顔で読むのよ。もし辞退したり、不貞腐れながら読んだりしたら例の二百万円はアンタたちに払ってもらうからってつークンが言ってたからよろしくねっ!」
美奈子は満面の笑みで良太の頬にキスをした。
「ごめんねえ、このキスはアタシからのご褒美っ」
そう言い残し美奈子は去っていった。
はらわたが煮えくり返りそうだった。
すると田村君子が駆け寄っていた。
「ねえ!何を渡されたの!」
「…これを読めって…」
田村君子はその文を読んでいるうちに赤い顔がますます赤くなっていった。
「冗談でしょ!だいたいあの事件はみんなワタクシが悪いのに、良太さんがこんな文章を読む意味なんて何もないじゃない。どうしてあの伊集院っていう男はここまで良太さんに屈辱を与えたがるの?良太さん、まさか読まないでしょ!」
酔っているせいか田村君子が異常に殺気立っている。
しかし、これを読まないと二百万を払えと言われている。
「俺だって読みたくないよ、でも現実的に俺たちに二百万が払えるのか?」
「払えないけど、こんなこと許されるわけがないじゃない!」
「そうだけど、いいよ、読んでやるよ!」
「どうして?」
「あのなあ、俺はお前のために読んでやるんだぜ、どうせこんな奴らとは二度と会うことはない。俺が恥をかいてそれで二百万円を払わなくて済むんなら…」
「これは脅迫よ!イジメよ!良太さんはイジメをなめている!恐らく伊集院は二百万をネタに今後もワタクシたちを事あるごとに脅迫し、いじめるに決まっている!」
「オイラもそう思うぜ!」
急に阿部が割り込んできた。
「俺の予想ではこういうことだ。伊集院はお前らの住所も電話番号も知っている。事あるごとに電話し、いろいろ無茶で屈辱的な要求をしてくるだろう、そしてできなければ二百万円を支払えと言ってくるに違いない。そして最後には君たちが疲れ果てて結局自腹で二百万を支払うと言い出すことでこの遊びを終わろうとしているんだ。つまり、最初から伊集院はあの二百万をオメエたちが支払うまでいたぶろうとしているってことさ」
「ワタクシもそう思います!石本さんはどう思いますか?」
石本がカクテルを飲み干した後、咳払いをして言った。
「僕もそう思う。だけど金持ちには勝てない。従うしかないと思う」
田村君子が顔がなくなりそうな程口を開けて騒ぎ立てる。
「じょ、冗談でしょ!こんなこと許されるわけが…」
良太が言った。
「田村さん」
「ハイッ?」
急に真顔で初めて名前を呼ばれて田村君子はキョトンとする。
「せっかく可愛くイメチェンしたのに、こんなところでアンタを地獄に落とすわけにはいかない。『アンタを助けたい』そう思ったからこそ俺は一緒に服選びもしたし、屈辱にも耐えて伊集院に土下座もした。ここまでやってきたんだ。とりあえず今日は奴らに従うよ。そしてもし今後もこういうことが続くようならまた対策を考える」
「良太さん…」
「良太、オメエ…言っていることはカッコイイけどこれから実行に移すことはとてつもなくカッコ悪いぜ」
「うるせえ!まあ、俺の屈辱的な防衛をしかと見ておけ!」
伊集院の長い演説が終わったかと思ったら、司会の女性がアナウンスした。
「それではこれより、暴力団に脅されているところを伊集院翼新副社長に助けられた川上良太さんより、感謝の挨拶があります。川上良太さん、ステージまでどうぞお越し下さい」
盛大な拍手に迎えられて、良太はステージの上に立った。
ステージの上に上がると伊集院がニヤニヤ笑っている。
「どうした?深々と礼をしろよ、元カレ君」
良太は伊集院を睨みつつも、深々と頭を下げる。
マイクの前まで行くと良太は紙を広げ、文章を読み上げた。
「拝啓 愛に満ちた伊集院翼様、
この度は僕と田村が暴力団に脅されているところを救って下さり本当に感謝しています。あの時僕はツレの田村と一緒に買物に行き、駐車場で田村が誤って暴力団の車に自分の車をぶつけてしまいました。そして暴力団に二百万円で勘弁してやるから払えと言われていたのです。僕は恐ろしさのあまり失禁してしまい、その後も土下座をしまくりましたが、暴力団は一向に許してくれませんでした……」
良太の手が震えだす。
「どうした?早く読めよ」
伊集院がニヤニヤしながら小声で呟く。
「ぼ、僕は失禁し、涙と鼻水を垂らしながら、暴力団にその後も何度も土下座をしていました。そこへ伊集院さんがやってきたのです。伊集院さんは暴力団に、弱いものいじめはやめるよう言いました。暴力団は伊集院さんの胸元を掴んできました。すると伊集院さんは支払い能力のない貧乏大学生の僕をかばい、土下座までしてくれて、こう言ったのです。『二百万は僕が払う、彼らを救ってくれ』と。自らの連絡先伝えられた暴力団は納得をし、その場を去りました。命の恩人ですよ。すごく勇気があります。自分に自信を持ち、弱者を助け、暴力をも避ける、まさに愛の人…」
その時、
「ちがあああああああああああう!」
田村君子が会場が割れんばかりの大声で叫んだのである。