地獄のドライブ
田村君子がやってきたのは翌日の午後三時であった。
珍しくすぐに扉を開けてやると、田村君子は想定外だったとばかりに驚いて後ずさりする、そこにさらに一発かます。
「その服ダサくね?」
いきなりの侮辱に田村君子は顔を真っ赤にし、
「なっ、なっ、なんですって!」
「あんたの会社、制服は自由なんだろ?」
「な、なんでそれを?」
「たまたま知っただけさ、それよりさ。なんでそんな深緑色の地味で暗いイメージのど田舎のOLみたいな格好しているわけ?」
「こ、この服が一番落ち着くからです」
田村君子の瞳の動きが右往左往する。
動揺している様が容易にわかる。
「でもさあ、そんなどっかの国の女性刑務官みたいな格好でヨーグルトの営業に来られても、なんの説得力もないし、商品の魅力すら感じないぜ、なんか税金を徴収しに来たようなイメージもあるしさ」
「じゃ、じゃあどうしろというんですか!」
「フツーの服あるだろ?そこから一番お気に入りなのを来て営業すればいいじゃないか」
すると田村君子は赤い顔で俯いて、震えながら言う。
「じ、自信がないんです。自分のファッションに…」
「普段どんなのを着てるの?」
「な、なんて言えばいいんでしょうか…Tシャツに長めのスカート…あ、そうだ、パッドにひとつだけ写っているのが…」
田村君子はカバンの中からアイパッドを出す。
いちいち慌てる様子がパッドを落としそうで危なっかしい。
パッドをぎこちなく操作して、田村君子は「これこれ」と言いながら画像を見せる。
恐らく家族と撮ったであろう写真で、初老の男女の真ん中に本人がいる。
田村君子は外国のアニメらしきイラストが描かれているくたびれたシワシワのTシャツに色あせた水色の長スカート、学校指定にありがちな体育用のシューズみたいな格好で苦笑いしている姿で写っていた。
正直に言わずにはとても耐えられないくらいにダサい。
「だっさあああああ…」
「ひ、人のこと言える格好ですか!」
半泣き状態の顔で抗議してくる田村君子だったが、たしかに良太が彼女の前に現れる時の格好は日曜の午前中のお父さんの格好のようにルーズであった。
現在も上下ともに灰色のジャージである。
「まあ、たしかに俺も人のことは言えないよ、でもさあ、営業ってまず見た目から入るだろう?」
「そ、それは確かにそうですけど…」
「あんたの場合セールストークもヤバイけど、まず第一印象がヤバすぎる」
田村君子は歯ぎしりをするような仕草をして悔しそうに言う。
「だ、だってワタクシ、と、友達もいないし、一緒に買い物に付き合ってくれるようなそういう人もいないし…」
「要するに彼氏もいないってか?」
「勝手にきめつけないでください!」
「いるのか?」
「昔はいたんです。………ネットの中に…」
「……………会ったことあるのか?」
「もちろんないです」
「……そういうの彼氏とは言わないぜ…ってかあんた残念すぎるな」
「そうなんです。残念すぎるんです…」
二十秒ほど沈黙が流れた。
(俺も人のこといえないが、この女、本当に残念すぎるな)
溜息をつき、頭をボリボリかいた良太がつぶやく。
「俺が一緒に買いに行ってやろうか?」
「はい?」
目を丸くする田村君子。
「俺こう見えても女の服選ぶの得意なんだ、行きつけの服屋があったから」
田村君子が怪訝そうな表情を浮かべた。
「あ、貴方にそういう趣味があったんですか?」
「俺が着るんじゃねえよ!も、元カノの行きつけの店があるんだよ」
田村君子は呆然と良太を眺めている。
「その行きつけの店の店員とは俺もよく喋るようになったから。個々人に似合うコーディネートをしてくれるはずだ。自分が何を着れば似合うのかについて悩んでいる人って結構いるからな。そこの店員さんに相談すればもうファッションについてはなんの悩みもなくなるぜ」
口をぽかんと開けていた田村君子が呟いた。
「あ、あの…本当に服買うの付き合ってくださるんですか?」
「ああ、あんたがあんまりにも残念すぎるからな」
「部屋の中の写真に写っていた彼女さんに変な誤解されませんか?」
「だからあいつが元カノだよ、今俺には彼女なんていないよ」
すると田村君子は急に頬のあたりを赤く染め、上目遣いで呟いた。
「そ、そ、それって、なんかデ、デートみたいじゃないですか!」
「心配するな、俺の仲間二人も連れて行くから。何の誤解も受けることはない」
すると田村君子は瞳を右往左往させる。
「そ、そうなんですかっ…まあ、そうですよね、はい…」
何とも言えず後味の悪い表情になり、田村君子はその日はそれ以上しつこく営業はしてこなかった。
田村君子の服を選びに行ったのは三日後の日曜日のことであった。
午前十時、良太の部屋の呼び鈴がなった。
「おっ、例の女がきたぜえ」
阿部が好奇心丸出しの東北訛りで言った。いちいち声がでかい。
「可愛かったら僕がゲットな」
石本が続いてぼやく。
「はいはい」
呆れた声で良太が呟き、扉を開ける。
そこにいたのはいつもの地味なOL姿の田村君子であった。
しかも今日もさわやかヨーグルトのカバンを持っている。
どこまでヨーグルト馬鹿なんだ…良太は開いた口がふさがらない。
「おいおい、フツーの格好でいいって言ったのに…」
田村君子は硬い表情でぎこちなく呟く。
「ほ、本当は今日仕事休みなんですが…やっぱりワタクシの売上げがあまりに悪すぎるので職場の大型冷蔵庫のマスターキーを急遽昨日主任から預かり、今日も可能な限り営業に回ろうと思いまして…ああ、大丈夫です、今日は川上良太さんへの営業活動はしませんから、ご安心ください」
「…すごく安心したよ。じゃあ服選びの後にまた営業回りするのか。お前本当に熱心だな」
「売れないから熱心にならざるを得ないのです」
「そうだけどさ、なんかすげえよな、その執念が」
すると後ろから二人のむさくるしい男共がやってきた。
「初めまして!オイラ、阿部っす、阿部光助っす!良太とは飲み仲間っす!」
「僕は石本大吾、同じく良太とはお茶飲み仲間なんだけどさ」
頼んでもいないのに自己紹介し始めた。
「た、田村君子です」
そういうと田村君子は野生のサルから離れるような仕草で後ずさる。
「君子ちゃんかあ、へえー、昭和っぽい名前だねえ、じゃああんたのこと『きみっちょ』って呼ぶことにするよ!」
初対面で頼んでもいないのにダサいあだ名をつける何とも馴れ馴れしい阿部。
「じゃあ、きみっちょ、さっそく僕らと服選びに行こうぜ」
石本が馴れ馴れしく便乗する。
しかも石本は女の前なのでこれでもそれなりに細かい動作に格好つけているのである。
「あほばっかりだな…」
良太が苦笑いする。
田村君子の会社の社用車で行くことになった。
良太たちはてっきりアパートの外に路上駐車してあるのかと思いきや、その車はアパートの裏側の誰も使っていないような空き地に止めてあった。
「わざわざこんなところに停めてたのか…」
「アパートの向かいの道路は駐車禁止ですので…」
「真面目な奴だなあ」
車は「さわやかヨーグルト」の車である。
その白い軽自動車の後部座席には阿部と石本が乗った。
車の中は後部座席も助手席も大量の荷物があった。
ダンボールやらクーラーボックスやらその他いろいろだ。
それを無理やり後ろの荷台に乗せ、三人分の席を確保する。
後部座席には阿部と石本、助手席には良太が乗る。
「み、みなさん、シートベルトを締めてください、もちろん後ろのお二人も」
「いいよ、めんどくさい」
良太はあくびをしながら言った。
「締めてください!警察に見つかったらワタクシが責任を負うことになるだけじゃなく、万が一事故が起こった場合、これは社用車ですので、株式会社天然フーズ・やすらぎヨーグルト部門、第四営業部に多大なる迷惑が…」
「わーったわーった、締めりゃいんだろ!」
エンジンをかけると心なしか田村君子の手が少し震えているように感じる。
グイッとギアをバックに入れると急激にアクセルを踏んだのか、車が一気にバックした。
「うおっ!」
一同驚きの声を上げたかと思うと、今度は急ブレーキがかかった。
そしてハンドルがぎこちなく回され、時々手を滑らせたりしたために非常に不安定な動きで公道にと出た。
目の前に自転車を走らせるおじいさんがいた。
「おい、だ、大丈夫か!気をつけろよ」
良太は声をかけずにはいられない。
「きみっちょって運転荒いんだね~」
阿部が半笑いで呟いた。
「きみっちょは…その…助手席の方が似合っていると思うなあ…」
石本はクールに言いつつもその声は震えている。
三人の男たちは田村君子の車に便乗したことを早くも後悔している。
「はあ、はあ…わ、ワタクシこう見えても、運転苦手なんですよ~」
「どう見えても運転苦手に見えるよ…ところで、じいさん轢くなよ」
「あ、あんまりプレッシャーかけないでくださいよ!轢くなって言われるとますます轢きそうになるじゃないですか!」
「じゃあ轢いてくれ」
「あーもう静かにしてください!」
ブオン!という音とともに一気に車はスピードを上げた。
おじいさんは無事だったものの確実に自転車がよろめいていたのがわかる。
その後田村君子は三十キロ制限の道を六十キロで走ったり、逆に六十キロ以上のスピードを出していいような国道で、怖いからといって四十キロ以下にスピードを落としたりと、とにかく不安定な動きを見せた。
そしてブレーキは毎回ほぼ急ブレーキのため、良太他二人は小学生以来の車酔いを経験する羽目になった。
良太の指示に従って国道を不安定に走り続ける車はやがて市街の最も複雑な交差点に差し掛かる。
「ここをまっすぐ行ったらすぐ左に曲がって、二つ目の信号を右だぞ」
「いっぺんに言わないでください!混乱するじゃないですか!」
「わかったよ、じゃあひとつひとつ落ち着いていうからな」
車はまっすぐ抜けた後すぐに左に曲がる。
「はい、それから右な」
「急に言わないでください!」
「どっちにしろ混乱しているじゃねえか!」
「ああ、そうですね!どうせワタクシは頭が悪いですよ!」
緊張のせいか田村君子は極端に精神がイライラして、興奮状態だ。
「別にそこまでふてくされなくてもいいじゃんきみっちょ!」
阿部が後ろから声をかける。
「あああ、も~う!とにかく話しかけないでください!」
一同は溜息をつく。
「…………」
「川上良太さん!次はどこに曲がるの?」
「お前、話しかけるなっていったじゃん!」
良太はプッと笑う。
「い、意地悪なんですね良太さんって!」
「おいおい、良太さんって……!いつの間に下の名前で呼ぶような仲になったんだよ、君たち!」
石本が低い声で冷やかしてくる。
「べっ別にそういう、仲になんかなってないですうう!」
田村君子は顔を赤くして唾を飛ばしながら否定する。
三人の男たちにとって田村君子は実にからかいがいのある人間となっていた。
この女はすぐに慌てたり、ムキになったりとリアクションが極端なので、こりゃあいじめっ子たちにとってはいじめがいがあるだろうなと良太は思っていた。
しかしムキになって赤面している目の前に進入禁止のマークが出てきた。
「おい馬鹿!止まれ止まれ!」
すでに進入禁止の道路内に入ってから急ブレーキがかかる。
「良太さ、いや、川上さん、どうしよう…」
田村君子は泣きそうな顔になる。
「しょうがねえな、とりあえずバックしろ、ゆっくりだぞ!」
バックにギアを入れ、アクセルを踏むがやはり発進は乱暴だった。
四人の体が大きく揺れてバックした。
その時、石本が急に叫んだ。
「おい!後ろから警察が来ているぞ!」
バックミラーを見るとたしかに警察車両がこちらに向かっている。
サイレンはならしていないが、今バックしたら進入禁止で罰金を取られるかもしれない。
「きみっちょ!警察だよお!バックするな!前に突き進めえ!」
阿部がいつも以上の東北訛りで叫んだ。
「ええ~!どっちなのよ~!バックしろだの前へ進めだの!」
「いいから進め進め!」
田村君子はアクセル全開し、進入禁止内の細い道を一気に加速した。
恐らく六十キロは出ていた。
ようやく目的の服屋がある大型デパートの前に着く。
後は駐車場に入れるだけだ。
しかしよりによって駐車場は車と車の間が異常なほど狭い。
つまり非常に止めにくい。
田村君子は慎重に車をバックさせる。
よりによって隣に駐車しているのは白の超高級車だ。
恐らく軽く一千万円はするのではと思われる。
「おいおい、絶対にぶつけるなよ!」
「だーかーらー、ワタクシプレッシャーに弱いんですってば!」
「じゃあちょっくらオイラが外から誘導してやるよ」
阿部はそういい車外に出る。
「オーライ、オーライ!」
だが正直阿部の誘導はあまり意味がなかった。
阿部はいつでもそうだが、こういったカッコつけるような真似をしたがるくせに実際には何ら役に立たないことをしがちである。
現に今も高級車にぶつけそうになっても何事もなかったかのように「オーライ、オーライ」と言っている。
恐らくオーライの意味も分かっていないはずである。
阿部の意味のない誘導で何度も高級車に触れそうになる社用車。
「ねえ!貴方ちゃんと誘導してくださいよ!これ社用車なんですよ!」
「オーライーオーライー」
聞いてない、普段女性の役に立ったことなどないから自己陶酔の世界に入っている。
そこに思わぬ出来事が起こった。
既にだいぶ車に酔っていた石本が呟いた。
「ヤバイ、吐きそう…」
この言葉に田村君子は異常な程パニックになり、
「やめてえええええ!車の中でだけは絶対に吐かないでええ!食品会社の車なのよおお!吐くくらいなら今すぐ降りてえええ」
しかし時すでに遅し…。
後部座席の床に地球に存在するどの色にも該当しないようなゲロをぶちまける石本。
「ぎゃああああああああああああああああああ!」
殺人事件でも起こったかのように叫ぶ田村君子。
想定外の出来事のあまり思わずアクセルを強く踏む。
勢いよくバックした社用車は高級ベンツの右側のドアの五センチほど近くで止まる。
「馬鹿!やべえよ!お前ちょっと落ち着けよ!」
「い、石本さんでしたっけ?わ、わたくしの言われるとおり清掃の方をお願いいたします」
石本と阿部は田村君子に言われるがままに、まずはゲロの大部分を雑巾で拭き取る。
その後、後部座席の消毒液を水の入ったバケツで薄め、念入りにタオルで何度も何度も拭かされていた。
しかもその間当然車はその場に立ち往生したままなので周囲から何度もクラクションを鳴らされる。
その度に田村君子は外に出ては謝っていた。
二十分程してようやくゲロ騒動が落ち着き、再度駐車場でバックを始めた。
白の高級車の隣以外には縦列駐車の場所が空いていたのだが、田村君子は縦列は大の苦手とのことで拒否したのである。
今度は良太が降りて車を誘導した。
良太は駐車場の警備員のバイトを一週間だけしたことがあったので多少は慣れていた。
良太は最初から自分が誘導すればよかったのだと思ったが、その考えはすぐに消え去ることとなった。
田村君子が良太の誘導のことをまるで理解できないのである。
彼女は後ろを向きながら誘導をされると一瞬どちらが左でどちらが右かがわからなくなるのであった。
真正面を向いて誘導されるのは問題ないのだが、後ろを見ながらだとなぜか混乱するようで何度も何度もハンドルを切り替える。
しまいにはレバーがバック、ドライブいずれに入っているかもわからなくなり、アクセルとブレーキまでもわからなくなるらしい。
これで免許を取得できたのは奇跡としか思えない。
「馬鹿!やべええよ!ぶつかるじゃんか!」
「もおおお!ワタクシはプレッシャーに弱いんですうううう!」
「下手くそにも程があるぞ!いい加減に俺がわってやろうか?」
「社用車を勝手に第三者に運転させるわけにはいきません!」
融通の効かない女だ。
「よおし、そのまま一度前に出ろ!」
ところがここで事件が起こった。
田村君子がレバーをバックにしたまま思いっきりアクセルを踏んだのである。
社用車は一気にバックした。
いきなりバックで突進してくる社用車に轢かれそうになったのは良太であった。
良太はとっさに身をかわした。
無事良太は怪我なく交わすことができた。
しかし、目の前の光景に誰もが息を飲んだ。
バン!という音がして、社用車はどうみても一千万円はする高級車の右側のドアにもろにぶち当たったのである。