恋の始まり
良太がアパートに辿り着くと、約束通り田村君子がいた。
例の白いワンピースでメガネも外し、麦わら帽子をかぶっているその姿からは営業マンというオーラを一切感じない。
ワンピースと短めの黒髪を風が揺らしている。
「待たせたな」
田村君子が微笑んだかと思うと、瞳を潤ませて言った。
「良太さん…ワタクシ…会社を飛び出してきちゃったからもうクビだね…」
「お前はもう十分頑張ったよ。それにまだ若い、無理やり続ける必要もない。向き不向きもあるんだろうし」
「ワタクシやはり営業は…」
「俺は向かないと思う」
「バッサリですね。じゃあ何が合うんでしょうか?」
「それはまだよくわからない。でも俺だったらお前のあれこれを理解してやれる気がする」
すると田村君子の瞳から涙がボロボロとこぼれ落ちた。
「良太さん…出会って間もないのにいっぱい迷惑ばかりかけて…」
「いいよ、これからもずっとお前の迷惑に付き合ってやる」
「えっ…?」
田村君子は良太の顔を見つめたかと思うと瞳から大粒の涙をこぼし始めた。
「なんで泣くんだよ」
良太はポケットからハンカチを取り出して、田村君子に手渡した。
田村君子はそれを受け取ると鼻をかんだ。
「涙の方にしてくれよ!」
良太は苦笑いした。
「ごめんなさい」
田村君子がハンカチを返そうとしてきたので
「ばっちいな、そんなのお前にやるよ」
「いえ、ばっちいのでお返しします」
そう言い、自分のポケットからハンカチを取り出して涙を拭く田村君子。
「相変わらずだなお前は」
良太は思わず田村君子の頭に手を置いていた。
「…ナデナデしてくれるんですか?」
「い、いや、まあその…なんて言うんだろう…?」
「はっきりしないですね…。じゃあなんで手を置いたんですか?」
「えっと……その…なんでだろ?」
すると田村君子は良太の胸に自分の顔をうずめた。
良太は驚いたが、そのまま自然に田村君子を抱きしめた。
田村君子の体が一瞬ビクンと痙攣したかのように感じた。
驚かせてしまったのだろうか?
すると田村君子も良太の背中に手を回した。
田村君子は良太の胸に顔を埋めてしゃくり上げて泣きはじめた。
そしてしばらくしてからつぶやいた。
「良太さんに会いたかった、会いたかった…」
良太は心臓がバクバクしていた。
初めて美奈子に抱きつかれた時と同じくらいに心臓が高鳴っていた。
いやそれ以上に高鳴っているようにも感じた。
考えてみると田村君子はそもそも自分とは何の接点もない女であった。
それだけではなく犯罪に近いレベルの病的押し売り女であり、また危険すぎるくらいの超不器用女である。
常に落ち着きがなく、十秒とじっとしていられない多動女である。
最初は同情のようなものから始まった付き合いが、今や急激に恋愛という形で本格化しようとしている。
恋愛は始まりは良くても終わりは大概は悲劇であるという経験はつい最近したばかりであり、恋愛など二度とするものかと思っていた良太だが、一度抱きしめてしまった目の前の田村君子を安易に忘れ去る自信はこの時点で殆どなかった。
こうなったらこの流れに身を任せるしかなかった。
一度付いた恋の炎はそう簡単に消えない。
良太は言った。
「俺も同じだ。とにかく俺のそばにいろ!お前のことを見ていると危なっかしくて放っとけないから!」
「……はいっ!」
良太と田村君子はお互いに強く抱きしめ合った。
通行人が何人かいたようだがそんなのはどうでもよかった。
若いが故の衝動的な感情の高ぶりが今の二人のすべてなのかもしれないがそんなのはどうでもよかった。
良太は田村君子の不器用だけれど絶対に諦めずに一生懸命な姿に人間として惹かれた。
そして、安易にギターをやめて堕落した自分を変えるきっかけになったのである。
さらに良太は、見ていられない程不器用な田村君子に対し、守ってやらないといけないという思いが強く芽生えた。
そしてイメチェンした白いワンピースの田村君子に対し単純に男として可愛いという思いが芽生え、気づいたら恋に落ちていたのである。
この恋はいつか終わるかも知れない。
あるいはこの恋はいつまでも続くかも知れない。
先のことは誰にもわからない。
でもどんな時でもたとえ不器用でも一生懸命生きようと良太は思った。
たとえ結果がダメでも、一生懸命な姿というのは必ず誰かが見ているものだから。
(完)
最後まで読んでくれた人には感謝してもしきれません!
この物語はフィクションですが、テーマは発達障害・ADHD(注意欠陥多動障害)の女性と一般男性の恋愛を描いたもので、モデルとなった女性がいます。不器用な人でも幸せになれる世の中を願い書かせていただきました。感謝感謝!!