ふりだしに戻る
良太他二人は肩透かしを食らったような気持ちになった。
この場に及んでまでヨーグルトかよ!
さすがに伊集院も美奈子も口をぽかんと開けている。
田村君子は再び言い放つ。
「新発売、激レアヨーグルトを買いなさい!でもね、そのためには会社の大型冷蔵庫のマスターキーがいるの!美奈子、返しなさい!」
「はい?」
美奈子は目を丸くする。
田村君子は美奈子を鋭く睨み、バシッと指さした。
田村君子がとてつもなくカッコイイ。
酒を飲むだけでこんなにも変われるなんてうらやましいと良太は思った。
指をさされた美奈子は額に汗をかいている。
「貴女がワタクシの車から会社の大型冷蔵庫のマスターキーを盗ったことぐらいわかっているのよ!さあ潔く出しなさい!そうでないと激レアヨーグルトを貴女たちに販売できないじゃないの!」
美奈子は半笑いしながら言った。
「ちょ、ちょっと待ってよ、アンタさっきから何言ってるの?知らないわよマスターキーなんて…」
「とぼけないで!」
「本当に知らないったら!だいたいアタシがそんなもの盗む理由がないじゃない」
「ウソ!ワタクシへの嫌がらせのために盗ったんでしょう!」
「どこにそんな証拠が!」
「ここにいる阿部君と石本君が見たのよ!貴女がワタクシの会社の車から…」
「き、きみっちょ…あの…」
阿部が遠慮しがちに横から顔を出す。
「何よ?」
「お、オイラと石本はその、盗んでいる現場を直接見たんじゃなくて、あくまでも可能性の問題を言っただけであって…」
「はい?」
石本が腕を組みながらクールに発言する。
「あの時僕たちがなんて言ったかもう一度思い出して欲しい。」
「オイラはただ『美奈子ちゃんってたしか車内から無理やりきみっちょの携帯とか免許証を取り出したんだよなあ。あれって怪しいなあってオイラずーっと思っていたんだよなあ』って言っただけで…」
阿部に続いて石本が言う。
「僕はただ『ああ、僕もそう思っていた。こっそりその様子も影から見ていたが、元いじめっ子の美奈子なら嫌がらせのためにマスターキーを取り上げる可能性など充分にあるんじゃないかって二人で思ってたよ』って言っただけで…」
良太は驚愕して言う。
「おい、待てよ、お前ら。お前らの言葉を信じたからこそ俺たちは今、このパーティに来て、そんで俺は屈辱的な手紙を読まされて…」
阿部がオロオロしながら言った。
「い、いや、だからそれは『可能性』の問題であって…」
「そうそう、僕も『可能性』の問題として言ったんだ」
田村君子は震えながら再度美奈子に聞く。
「み、美奈子さん…マスターキー、本当に持ってないの?」
「だからあ、なんでアタシがそんなわけのわからないものを盗らないといけないのよ、そもそもそんなモノ自体車の中で見かけなかったと思うけど…」
振り出しに戻ったのか?
ここまで来て一からやり直しなのか?
良太は体中の力が抜けるような気持ちになった。
田村君子も恐らく同じような気持ちになっているだろうと思って彼女の表情を見てみると、なぜか口を大きく開いたまま愕然としている。
「どうした?」
「服屋で着替えたとき、いつもの深緑色の制服を脱いだよね…」
「そりゃそうだ」
「今来ている白いワンピースのまま営業に行ったんだけど、制服はそのままクリーニングに出しちゃってね…その…」
「はい…」
「……」
「その、制服の…」
「…どうした?続けろ?」
「最初はマスターキーを車の中のダッシュボードの中に入れていたんだけど、最近車上荒らしが多いって言うから、たしか…たしか…恐らく…その…たしか…念の為に制服のポケットの中に入れて…」
良太の握りこぶしがワナワナと震えだす。
「その…制服の…ポケットの中に…」
「もういい!クリーニング屋はどこだ!このバカ女!」
「うわああああああああんん!ごめんなさああああああい!」
阿部と石本は溜息をつき、伊集院と美奈子は何が起こったのかわからずに瞬きをするだけだった。
伊集院が田村君子をジッと見つめていた。
その不思議な様子に最初に気づいたのは美奈子だった。
「つークン?どうしたの?」
伊集院はよく見ると少し震えている。
目には涙がたまっているようにも見えた。
伊集院は震える声で言った。
「田村さん…」
「はっ、はい?」
田村君子が先ほどの迫力とは打って変わりびくついた声を出す。
「田村さん…僕の負けですね…謝ります…」
「えっ?」
「僕は先ほど君に人生で初めて、これでもかというくらいボロクソに罵られました。僕は、この通り、金持ちのボンボンです。僕はどんなことをしても許される存在でした。子供の頃から僕の周辺の大人たちは金目当てで僕に近づき、僕に気に入られようと必死でした。僕に気に入られると社長、すなわち父の側近になりやすかったからです。父は僕を可愛がっていたので、僕がなついた大人は出世し、側近になっていきました。でもそれは僕が『社長の息子』だから近づいてきただけに過ぎませんでした。田村さん、君の言うとおり、だあれも僕そのものを認めてはくれません、わかってはくれません、その通りです。君の言うとおり、だから僕はとてつもなく人生が虚しいのです…」
「つークン…どうしたのよ…?」
今までの邪悪なオーラが無く、そこにいたのは金や権力という鎧を脱ぎ捨てた後の弱々しい青年の姿であった。
「田村さん、みんな君の言うとおりです。僕から伊集院家という地位と名誉と財産を奪ったら後はなんにも残りません。僕には許嫁の翔子、そして恋人の美奈子がいますが、二人共本心では僕のことを愛してくれていません」
伊集院が許嫁の存在を明かしたことで一同は驚いた。
良太は翔子という言葉で、さっきのゴスロリの馴れ馴れしい女の子を思い出した。
許嫁という言葉に一番驚いていたのはやはり美奈子であった。
「ちょ、ちょっと、つークン、許嫁なんて冗談でしょ!どういうことよ!」
「許嫁の翔子は僕の親戚で、今は高校一年生だよ。結婚するまではまだまだ時間があるからその猶予期間に気に入った男に手当たり次第に声をかけている尻軽女さ。ステージの上から見てたけど、今日は良太君に話しかけていたね。今宵のお気に入りは良太君だったらしいね。言っておくが翔子のことは別に僕も愛してなどいない。僕が彼女と結婚すると伊集院家にとっていろいろ経営上も都合がいいらしい。でも僕だって自由に恋愛くらいしたい。そんな時に天真爛漫で自由奔放な美奈子に出会った。でも付き合ってすぐにわかった。この人も僕そのものが好きなんじゃなくて僕の家の財産が好きなだけであって、僕自身はどうでもいいんだなって。あるときは僕はブランド品のバッグみたいなものであり、またあるときは高級な外車、またあるときは世界中を旅できるビザカードにすぎない。そう感じたら虚しくて虚しくて。でも僕は美奈子のことが好きだった。そんな矢先に田村さんと良太君が怖いお兄さんに車の件で因縁をつけられているのをみた。しかも良太君が美奈子の元カレだと知って、無性にいじめたくなった。美奈子には僕が少なくとも元カレよりもどれだけすぐれているのかを見せてやりたかった。だから良太君に美奈子と田村さんの前で屈辱を味わわせてやった。でも結果としてそれは僕に、自分自身がどれだけ人間として醜く、陰険で、卑劣で、畜生な存在かということを思い知らせる結果となった。あの後僕は自己嫌悪に陥った。でも不思議とまた無性に元カレ君をいじめたくなって、いてもたってもいられなくなって…それで今日のこの会場に呼んだんだ。田村さん他友人の前で屈辱的な目に合わせてやろうという欲が止められなくなったんだ…あるがままの姿でかつては美奈子の心を夢中にさせた良太くんをいじめてやろうと思ったんだ」
伊集院は田村君子に返答するかのように長い告白をし、悲しそうに笑った。
「なんで俺をそんなに…?」
「君は別に金持ちでもなければ、特別な才能の持ち主でもないごく普通の男なんだろう?にも関わらず、まあ別れたとはいえ、一時だけでも美奈子は君そのものを受け入れて付き合っていたはずだ。財産を持っているからとかそういうのじゃなくて、一時とは言え、『あるがままの姿』で愛された君が羨ましくて、癪に障ったんだ。それに美奈子からはよく君の話を聞いていたんだ。駐車場で初めて会う前からね。僕はよく不満を言われてきたよ。りょうクンだったらアタシの買い物に嫌がらずに最後までつきあってくれるのに…とか、りょうクンだったらアタシの好きなアイドルのライブなら自分が嫌でもつきあってくれるのに…とかね」
美奈子が気まずそうに良太から顔を背ける。
「田村さん、約束通り二百万は僕が払います。そしてもうこのネタで嫌がらせをしたりはしません」
「ほ、本当ですかっ?」
「約束する。僕の心の内面を暴いたのは君が初めてだ。君は僕にとって特別な人だ」
弱々しい伊集院の表情がなんだか再びヴィジュアル系になってきたように良太には感じた。
「良太君、君は素敵な彼女を持ったね」
「いや、だから、彼女じゃないって!」
「本当に違うのかい?じゃあ僕が君子さんをデートに誘うって言っても文句はないね?」
その場にいる全員が驚く。
「ちょ、ちょっとつークン!何言ってるのよ!」
「そうだよ!お前、美奈子と付き合っているだろうが!」
美奈子に続いて良太が突っこっむ。
「じょ、じょ、冗談やめてくださいいい!」
田村君子が両手を胸に当ててあからさまに嫌悪感を示す。
「美奈子、君は本当に僕を愛しているのかね?たとえ僕の財産が全部なくなったとしても?」
伊集院の問いに美奈子はギクリと驚いた顔をする。
「え…そ、それは…」
「そもそも僕のどこが好きなんだい?」
「………」
「美奈子、一時間以内にちゃんとした具体的な答えをくれないと僕は田村さんをデートに誘うからね」
「そ、そんなあ…」
すると阿部が突然参戦した。
「伊集院とやら!ちょっとまてえ!きみっちょにだって選ぶ権利はある!オイラもきみっちょをデイトに誘うって言ったら、オメエはどうする気なんだい?」
いきなりの発言に田村君子と良太が驚きを隠せない。
「お、おい!阿部!お前どういうつもりだ!」
「言っただろ?オイラ、きみっちょをデイトに誘うつもりだって」
すると石本が言った。
「さあきみっちょ、伊集院、良太、阿部…君なら誰とデートする?」
何を仕切ってやがるんだ!
良太は田村君子の顔を見たところ、彼女はこれまで見せたことのない程のニヤついた気持ち悪い笑顔で言った。
「か、考えさせてくださいね、えへへ…」
伊集院と美奈子はホテルの外まで送ってくれた。
ホテルの門の階段を降りると下に歩道がある。
田村君子はまだニヤニヤしていた。
酔っているせいで足元がおぼつかない。
「ワ、ワタクシ、こんなにモテた経験初めてですの…お、男の人たちがワタクシのために争い始めるなんて…うふふ」
勝手にしてくれと良太は呆れていたが、どこか腑に落ちなかった。
門の前に高級そうな黒いベンツのようなタクシーが来た。
一般庶民が乗ったら財布が一気に空になりそうな豪華さだった。
「気をつけて帰りたまえ。僕の専属のタクシーだから代金はいらない。また会おうじゃないか」
急に伊集院という人間の好感度がアップした状態のまま良太たちは手を振った。
美奈子はムスっとした顔で頬を膨らませている。
車に乗り込む際、伊集院の後ろの階段から突然翔子が現れた。
「川上良太く~ん!翔子に連絡ちょうだいね~今度翔子の荷物持ち…じゃなかった、ショッピングに付き合ってね~」
馬鹿でかい声で手をブンブン振りながら満面の笑みを浮かべている。
バカ女っぽさがどこか美奈子に似ていた。
将来の旦那の前でなんてことを言うんだ。
良太は軽く手を振ってやった。
タクシーはクリーニング屋に向かっていた。
前の座席に田村君子、後部座席には良太、阿部、石本が乗っている。
「たぶん、個人経営だから呼び鈴を押せば出てきてくれると思うんだけど…」
田村君子が後ろを振り向きながら言った。
「でもさあ、俺、ある意味ではお前のことうらやましいよ」
「え?」
良太のつぶやきに田村君子はキョトンとする。
「お前確かにとてつもなく不器用で、とてつもなく無駄な動きが多くて、とてつもなくあわてんぼうでとてつもなく馬鹿だけど、でもとてつもなく一生懸命じゃんか」
「…それって褒めているんですか、けなしているんですか?」
「褒めているんだよ。俺たちを見てみろよ、親のスネをかじって大学に入れさせてもらって、にも関わらずろくに勉強もしないでエロDVDばかりみて意味もなく街を彷徨って、意味もないドライブをして、くだらない会話、同じ会話を繰り返して、時間だけを無駄にして…」
「オメエそこまでいうなよお!」
「君の濡れ衣に過ぎないな、僕は基本的に古い外国映画しか見ないしな」
阿部と石本が反論する。
「…確かに。確かにワタクシは自分で言うのもなんですけど、かなり努力をしていると思っています。でも、だからなんだと言うんですか?世の中は努力したところで実らなければ全くもって相手にしてくれないじゃないですか。いくらワタクシが頑張っても売れなければそれは全くの時間の無駄で、誰にとっても何一つメリットのないことだし…」
「そんなことねえよ!」
良太は真剣な顔で田村君子の瞳を見つめながら言う。
「少なくとも俺はお前のそんな一生懸命な姿を見続けて、かなり影響を受けたよ。最初は押し売りかストーカーにしか見えなかった。気持ち悪い女だとも思ったさ。でも、しつこく営業されているうちにお前の執念は伝わってきた。俺だったら恐らくすぐに諦めてしまうだろうことなのに、お前はどんなに泥まみれになっても諦めないオーラを放っていた」
「良太さん…」
「確かに社会は結果が全てだろうさ、でも少なくともお前の努力している姿、不器用ながらも一生懸命にやっている姿は、誰かを変える力を持っている気がするんだ。現に俺自身がすごく今影響を受けている」
タクシーは赤信号で左ウインカーを出している。
カチカチカチという規則音が車内に響く。
「お前の努力は絶対に無駄ではない、俺が証人だ」
田村君子の瞳が潤んでくる。
唇が震え、ひと雫の涙がこぼれ落ちた。
「俺、もう一回ギターやってみようかな…」
するとみるみるうちに田村君子が満面の笑みになった。
自分のことのように喜んでいるかのようだった。
「オメエたち、なんか自分たちの世界だけに入ってねえか?こりゃあ、オイラがデイトに誘うのは難しいかもしれねえな」
「お続きは二人きりでどうぞ、あそこじゃねえの、クリーニング屋って」
タクシーは下町の一軒家にありそうな地味なクリーニング屋にとまった。
駐車場がなく、店の入口の前に無理やりワゴン車が縦列駐車されている。
ワゴン車にはクリーニング店の名前と、黄色いハムスターみたいな、何かのアニメをパクったようなイラストが描かれている。
自動ドアには『本日の営業は終了いたしました』という札がぶら下げられている。
現在夜の十一時ちょうどだった。
店舗兼自宅には一切明かりがついていない。
寝ているらしいが、マスターキーを取り戻すため、怒られるのを覚悟で田村君子が呼び鈴を押す。
しばらくしても音沙汰が無いため、再度呼び鈴を押す。
するとかすれた声で呼び鈴のマイクから「はい」という男の声が聞こえた。
「あ、あの…ワ、ワタクシ、株式会社天然フーズ・やすらぎヨーグルト部門、第四営業部、営業準社員、田村君子…」
「はあ?あんた今何時だと思ってんだ!バカ野郎!今度イタズラしたら警察に通報するぞ!」
そう言うと呼び鈴がガチャッという音と共に無音になった。
「へ?…ウソッ!ウソッ!やだやだやだ!」
「お前!バカだろ!自己紹介が長げえんだよ!」
田村君子は焦って呼び鈴を連打する。
「バカ!そんなに連打したらますます出てこなくなるだろ!」
「ここまで来たのに!このまま帰るなんて絶対に嫌だ!ごめんくださあああい!」
しかし五分ほど呼び鈴を鳴らすも店主は一切出てこなかった。
すると田村君子は素手でバンバンと自動ドアを叩き始めた。
「きみっちょ、怖いんだけど…」
「もうちょっとおしとやかにいこうぜ…」
その場にいる三人が呆れるものの、田村君子は扉を叩き続ける。
「お願いですから、出てきてくださあああい!」
すると店の明かりがついた。
「やったあ!」
田村君子が思わず叫ぶ。
店主は手動で自動ドアを開けた。
六十代くらいのパンチパーマの店主は怪訝そうな顔で四人を睨んだ。
「何なんだね、君たちは…」
和室に通された四人は座布団の上に正座して座り、店主の出した緑茶をすすっていた。
和室の隅には仏壇がある。
他は何もなかった。
やがて店主が和室に入ってきた。
「コレのことかね?」
田村君子が瞳を潤ませて震える声で、
「それ!それのことです!ありがとうございますうううう!」
細長いマスターキーを宝物のように受け取る田村君子に三人は自然に微笑んでいた。
「あんたも大変だね、この辺じゃあんた有名人だからね」
「えっ?」
意外な言葉に田村君子は目を丸くする。
「『涙のセールスレディ』って噂されているよ、しつこくてしょうがないけど時々かわいそうになるってね。少なくともさわやかヨーグルトって名前自体はこの辺じゃ知らない人がいないくらいになっているかもね」
田村君子が口を開けたまま何も言えなくなっている。
「あんた、売り上げの成績は悪いかもしれないけど、少なくとも良かれ悪かれ『激レアヨーグルト』の名前はこの近辺に十分宣伝したんじゃないかなあ?それがどういう形になるかわからないけど、努力した分はすぐに効果が現れなくても、しばらくたってからじわじわと現れる場合があると思うよ。まあ会社は目に見える結果をすぐに求めるせっかちなところだがね」
そういい微笑む店主に対し、褒められることが殆どない田村君子は謙遜しながらお茶をすすり、「あちっ!」と言って思わず口を引っ込める。