プロローグ「世界に見放された少年」
レント・スペランツァは、ごく普通の少年だった。
父は仕事から帰ると、大きな手で優しく頭を撫でてくれた。
「レントは強い子になるぞ」
その言葉とともに浮かべる笑顔は、春の日差しのように温かく、レントはその笑顔が大好きだった。
母は毎日温かい料理を作り、眠る前には優しく抱きしめてくれる。
「おやすみ、レント」
その一言は、まるで毛布に包まれるような安心感を与えてくれた。
休日になれば家族三人で街を歩き、ときには公園で遊び、ときには食卓を囲んで他愛もない話をする。
笑い声が絶えない。
それがレントにとって、当たり前の日常だった。
レントは、自分は幸せ者だと思っていた。
だからこそ、五歳の鑑定の儀の日も、何一つ不安はなかった。
鑑定の儀とは、十歳で発現する才能を、五歳になった子どもが王国の鑑定士に見てもらう儀式である。
未来を知るための、大切な日。
そんな儀式へ、父と母は笑顔で送り出してくれた。
「どんな職業でも、お前は俺たちの自慢の息子だ」
「頑張っておいでね。レント」
二人のその言葉を、レントは疑うことなく信じていた。
――だが、その日を境に、世界は音を立てて崩れ始める。
鑑定士が告げた職業は、『死霊術師』。
その瞬間。
まるで時間が止まったかのように、会場が静まり返った。
「……あの子、死霊術師だって」
「まさか、本当に……」
「縁起でもない職業だ」
「この街に災いを呼ぶんじゃ……」
小さな囁きは波紋のように広がり、やがて鋭い視線となってレントへ突き刺さる。
父と母もまた、さっきまでの笑顔を失い、レントを見る目が変わっていた。
その瞳に映っていたのは、愛する息子ではなかった。
レントには、その理由が分からない。
何も悪いことなんてしていない。
ただ職業を告げられただけなのに。
家へ帰る道のりは、行きとは違って誰一人として口を開かなかった。
重苦しい沈黙だけが、三人の間を流れていた。
家に帰ると、父は震える声で口を開く。
「……すまない、レント」
その言葉に、レントはほっと胸を撫で下ろした。
(きっとお父さんなら。きっとお母さんなら)
(味方でいてくれる)
そう信じていた。
しかし、次の一言が、その小さな希望を粉々に砕いた。
「お前を、この家で育てることはできない」
「お、お父さん……?」
レントは意味が分からなかった。
母はレントと目を合わせることなく、小さく呟く。
「お願い……もう私たちの前に現れないで」
「どうして……?」
「死霊術師。レントの職業は、この国では忌み嫌われる存在なんだ。レントがいるだけで、この家まで悪い目で見られてしまう」
父は拳を強く握り締め、苦しそうな表情で言った。
「私たちには、お前を守る力がない……」
その言葉は、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
レントは必死に首を横に振る。
「僕、何もしてないよ……!」
幼い声は震え、涙で滲んでいた。
「……出て行ってくれ」
その一言が、レントからすべてを奪った。
家族の温もりも。
帰る場所も。
信じていた日常も。
まるで砂の城が波にさらわれるように、一瞬で消えていった。
昨日まで「自慢の息子」と呼んでくれた父と母は、もうそこにはいなかった。
家を追い出されたレントは、行く当てもなく街を歩いていた。
日は西へ傾き、夕焼けが街を赤く染める。
その色は、まるでレントの心に滲む寂しさを映しているようだった。
お腹は空いており、足も痛かった。
それでも帰る場所はない。
どれくらい歩いただろうか。
「……レント?」
聞き覚えのある声がした。
顔を上げると、そこには幼馴染のニコルが立っていた。
ニコルはレントより少し早く鑑定を受け、『剣聖』と認められたことで、王都からの使者と話をしていた。
「どうしたの!?一人なの?」
レントは何も答えられない。
答えようとしても、喉の奥が詰まり、言葉にならなかった。
そんなレントを見たニコルは、何かを察したようにレントの手をぎゅっと握る。
「パパ!ママ!」
ニコルは家の中へ向かって大きな声を上げた。
すぐに両親が外へ出てくる。
レントの姿を見るなり、二人は驚いた表情を浮かべた。
「レント君……その格好は……」
服は汚れ、目は赤く腫れている。
誰が見ても普通ではなかった。
ニコルは必死に訴える。
「お願い、パパ!レントを助けて!」
ニコルの父はレントの前まで歩み寄ると、静かに膝をついた。
「……何があったかは、今は聞かない」
そう言って、優しくレントの頭に手を乗せる。
「今日はうちに来なさい」
その一言を聞いた瞬間。
張り詰めていた糸が切れたように、レントの瞳から大粒の涙が溢れた。
必死に堪えていた涙は、もう止まらない。
「ごめ……なさい……」
「謝らなくていい」
母親はレントを優しく抱き寄せる。
「今日からは、ここがあなたの家よ」
その温もりは、失ったはずの家族を思い出させるほど温かかった。
レントは声を上げて泣いた。
その日だけは、自分はもう一度、家族を見つけられた気がした。
◇◇◇
ニコルの家で暮らし始めてから、数日が経った。
最初は遠慮ばかりしていたレントだったが、ニコルの家族は本当の家族のように接してくれた。
「レント! ご飯できたよ!」
「今日はお父さんが釣った魚だぞ!」
「いっぱい食べて、大きくなるのよ」
食卓には笑顔が溢れていた。
久しぶりに聞く笑い声。
久しぶりに感じる温もり。
少しずつ、凍り付いていた心が春の日差しを浴びる雪のように溶けていく。
いつしかレントも、自然と笑えるようになっていた。
ニコルと鬼ごっこをして遊び、庭で木剣を振り回しては笑い合う。
夜になれば四人で食卓を囲み、今日あった出来事を話し合う。
そんな何気ない毎日が、レントにとっては何よりも幸せだった。
ここなら、もう一度やり直せる。
そう思っていた。
数カ月後。
「レント!」
朝早くから、ニコルが元気よく家へ駆け込んでくる。
「今日は森に遊びに行こう!」
「森?」
「うん! 秘密の場所を見つけたんだ!」
目を輝かせるニコルにつられ、レントも小さく笑う。
「行く!」
二人は手を繋ぎながら森へ向かった。
森の中は木漏れ日が差し込み、鳥たちのさえずりが響いている。
木の実を拾い、小川で魚を追いかけ、ときには転んで泥だらけになりながら笑い合った。
時間はあっという間に過ぎていく。
「また来ようね!」
「うん!」
レントは満面の笑みで頷いた。
――その笑顔が、最後になるとも知らずに。
帰ろうとした、その時だった。
ドォンッ――。
地面が小さく揺れる。
まるで大地が悲鳴を上げたかのような衝撃が足元から伝わってきた。
続けて、遠くから何かが崩れ落ちる音が響く。
「……何の音?」
二人は顔を見合わせた。
ニコルは街の方へ目を向けると、その表情が一瞬で強張る。
「レント、ここで待ってて!」
「えっ!?」
「すぐ戻るから!」
そう言い残し、ニコルは街へ向かって走り出した。
「ニコル!」
レントも追いかけようとした。
だが、小さな体では到底追いつけない。
木々の隙間へ消えたニコルの背中は、あっという間に見えなくなった。
待っていても、ニコルは戻ってこない。
一時間。
二時間。
日が傾き始めても、その姿は見えなかった。
胸の奥を、得体の知れない不安がじわじわと締め付けていく。
「……ニコル」
もう待っていられなかった。
レントは来た道を、一人で走り始めた。
しかし。
目の前に広がっていたのは、見覚えのある街ではなかった。
家々は崩れ落ち、至る所から黒煙が立ち昇っている。
燃え盛る炎は獣のように建物へ食らいつき、人々の悲鳴が街中に響き渡っていた。
「……うそでしょ?」
足が止まる。
呼吸をすることさえ忘れてしまう。
さっきまで帰るはずだった場所は、見る影もなく壊れていた。
ニコルの家も。
温かく迎えてくれた家族も。
もう、跡形もなかった。
その時だった。
「……いたぞ!」
聞き覚えのない男の声が響く。
「ガキがまだ一人残っているぞ!」
レントは反射的に振り返る。
武器を持った何者かが、自分へ向かって走ってきていた。
その目には、一切の躊躇がなかった。
獲物を見つけた獣のような鋭い視線。
恐怖で頭が真っ白になる。
珍しくレントは考えるより先に体が動いた。
レントは森の奥へ向かって必死に走る。
木の根に躓き、何度も転ぶ。
膝が擦りむけ、涙で前が滲む。
それでも立ち上がる。
止まれば、終わる。
その一心だけで、レントは暗い森の奥へと走り続けた。
もう振り返ることは、できなかった。
数日後。
飢えと疲労で意識を失っていたレントは、とある村人に発見された。
「おい!こんなところに子どもが倒れているぞ!」
駆け寄った村人は、痩せ細ったレントを見て目を見開く。
「まだ幼いじゃないか……」
事情を聞こうにも、レントは目を覚まさない。
村人たちは顔を見合わせ、小さく頷いた。
「村へ連れて帰ろう」
その一言で、レントは三度目の居場所を手に入れた。
◇◇◇
目を覚ますと、見知らぬ天井が広がっていた。
「気が付いたかい?」
優しそうな老婆が、安心したように微笑む。
「ここは……?」
「この村さ。森で倒れていたところを見つけたんだよ」
レントはゆっくりと体を起こした。
窓の外では子どもたちが元気よく走り回り、畑では大人たちが楽しそうに働いている。
その光景は、どこか懐かしかった。
「……ありがとう」
小さく呟くと、老婆は優しく頭を撫でる。
「礼なんていいんだよ。困った時は助け合うものだからね」
その言葉が、冷え切っていたレントの胸に静かに染み込んでいく。
それから数カ月。
レントは村人たちと共に暮らし、畑仕事を手伝い、ときには同年代の子どもたちと遊ぶようになっていた。
最初は怯えたように周囲を見ていたレントも、少しずつ笑顔を取り戻していく。
失ったものは戻らない。
それでも、新しい日々は少しずつ心の傷を癒してくれた。
――もう、大丈夫かもしれない。
そう思い始めていた。
しかし。
運命は、そんな小さな願いすら許してはくれなかった。
ある日の夜。
村に鐘の音が鳴り響く。
カンッ、カンッ、カンッ――。
静かな夜を切り裂くような音だった。
「盗賊だ!」
「総員、武器を持て!」
村中が一瞬で騒然となる。
レントも家を飛び出した。
目の前には、炎に包まれていく村があった。
聞こえてくるのは悲鳴。
泣き叫ぶ子どもの声。
必死に家族を呼ぶ声。
そして、命が消えていく音。
まただ。
また失う。
「逃げろ!」
誰かに背中を押され、レントは走り出す。
振り返れば、昨日まで笑い合っていた人たちが次々と倒れていく。
伸ばしかけた手は、誰にも届かなかった。
レントは歯を食いしばる。
涙で前が見えなくなる。
それでも走るしかなかった。
生きるために。
ただ、生きるためだけに。
その夜。
レントは知った。
自分には、何一つ守れる力がないことを。
家族も、友達も、居場所も。
何もかもが、砂が指の隙間から零れ落ちるように消えていく。
世界は、あまりにも残酷だった。
それでも。
この時のレントは、まだ知らない。
死を忌み嫌われたその力が、やがて自分を生かし、多くの命を救うことになるとは。
これは、世界に見放された一人の少年が、何度絶望に叩き落とされても立ち上がり、死と共に未来を切り拓いていく物語。
――『デスリサイクル』。
すべては、ここから始まる。




