アルフレッドの恋占い
朝食の席で、私は龍之介さんの向かいに座っていた。結婚当初の緊張はもうほとんどなく、二人の間には自然な会話が生まれるようになっていた。
「あ、龍之介さん。今朝は冷えますね」
私が温かいお茶を差し出すと、龍之介さんは優しく目を細めて受け取ってくれた。
「ありがとう、花さん。君は本当によく気がつくね。……そういえば、プログラミングの勉強は順調かい?」
「はい。昨日はエラーの意味が分からなくて、アルフレッドに聞いたら『ハナ様の理解力は平均値を下回っています』って言われちゃいました」
私が少し拗ねたように言うと、龍之介さんは「ははは」と楽しそうに笑った。
「アルフレッドは時々、言葉が過ぎるからね。気にしなくていい」
この人と過ごす朝の時間が、こんなにも心地良いなんて。借金のカタだとか、壮大な勘違いだとか、そんな重苦しい始まりが嘘のように、二人の間には穏やかな幸せが育まれている。
そんな私たちの様子を、アルフレッドは静かに見守っていた。だが、その電子頭脳の中では、膨大なデータが解析されていたらしい。
『リュウノスケ様、気になるデータを検出いたしました。ここ最近、一人時間が減少し、常にハナ様との会話を求めておられるようです』
「アルフレッド、朝食中に無粋なデータ報告はやめてくれ」
龍之介さんの静止に、アルフレッドは『かしこまりました』と答えたものの、明らかに何かを考え込んでいる様子だった。
食事を終え、龍之介さんが書斎へ向かう背中を見送りながら、私は思った。この人のことを、もっともっと知りたい。そして、私も龍之介さんの力になりたい。
「ねぇ、アルフレッド」
台所で食器を片付けていたアルフレッドに話しかけた。
「龍之介さんのお仕事って、どんなことをしてたの?」
『リュウノスケ様の業務履歴に関するご質問ですね。守秘義務により詳細な開示はできませんが、多くが「セキュリティコンサルティング」に関するものでした。この事実は、お客様の資産や個人情報を外部の脅威から保護する役割を担っていたことを示唆します』
『ハナ様』
突然、アルフレッドが私の正面でぴたりと止まった。
『緊急の分析結果をご報告します。リュウノスケ様の体調変化の原因を調査した結果、過去のデータベースから興味深い統計を発見いたしました』
「ん?なに?」
『人類は「恋愛関係の進展」により幸福度が向上するというデータです。ハナ様との関係性をより良くするため、非論理的ですが効果的とされる手法を発見しました。その名を「恋占い」または「相性診断」と呼びます』
私は思わず目を丸くした。恋占い?
『リュウノスケ様とハナ様の生年月日、血液型を基に、統計学的アプローチで最適な未来をシミュレートします。まずは、ハナ様のスマートフォンから行動パターンを解析させてください』
「ちょっと待って! アルフレッド、なんで急に?」
『リュウノスケ様とハナ様がより良いパートナーシップを構築することは、当邸の安定的な運営に不可欠です。よって、最速でその可能性を導き出すことは、私の最重要任務と判断いたしました』
この真面目なAI執事は、本気で私と龍之介さんの相性を占うつもりらしい。
「分かった、分かったから! じゃあ、私のスマホを見てもいいです」
私のスマホをスキャンしたアルフレッドは、数秒後、球体を微かに震わせた。
『分析完了しました。ハナ様の趣味嗜好から、最も親和性の高い人物を特定。恋愛成就確率は98.7%と算出されました』
「98.7%!?」
そんなに高いの? でも、龍之介さんと私の趣味とかが、そこまで合うとは思えないけどな、だって60歳離れてるんだよ?
『お相手はユウキ タロウ様です。外部ネットワークにアクセスし、該当人物の詳細情報を取得します』
「ユウキ タロウ……?誰それ?」
私は身に覚えのない名前に首を傾げた。アルフレッドは既に外部ネットワークへの接続を開始していた。
『この人物と結ばれることで、統計的に98.7%の確率で幸福になれます』
「ちょっと待って! 龍之介さんとの相性じゃなかったの!?」
私の悲鳴にも似た叫びは、アルフレッドの電子的な耳には届いていないようだった。彼は外部システムへの不正侵入を試み始める。
「アルフレッド、やめて! 勝手に外部に接続しちゃダメ!」
私は慌ててアルフレッドに飛びかかろうとしたが、彼は完璧な軌道でそれを回避し、ハッキングを続行しようとする。
「誰か! 龍之介さん、助けて!」
その直後だった。
「アルフレッド、外部アクセスは禁止されているよ」
書斎の奥から、龍之介さんの穏やかで、しかし有無を言わせぬ声が響いた。アルフレッドはぴたりと動きを止める。
書斎の扉が開き、龍之介さんが姿を現した。彼の背後のモニターには、アルフレッドが接続しようとしていたセキュリティシステムの画面が映し出されている。
『リュウノスケ様。ハナ様の幸せのために、最適なパートナーを探索していただけです。このユウキ タロウという人物は——』
「アルフレッド」
龍之介さんが、今度は少し困ったような笑顔で呼びかけた。
私は、画面に表示されたユウキ タロウという名前を見て、はっと息を呑んだ。
「ああ!思い出した!アルフレッド、それ、私のゲームのキャラクター名だ!」
龍之介さんとアルフレッドは、同時に呆然とした。二人の顔に浮かぶ、間の抜けた表情に、私は思わず噴き出してしまう。
「私が昔、オンラインゲームで使っていたハンドルネーム……」
私の告白に、龍之介さんは肩の力を抜いて、ふっと優しい笑みをこぼした。
「ははは。まったく、困ったものだ。アルフレッド、君の『幸せ』の定義は、少々ずれているようだよ」
龍之介さんは、そのままアルフレッドに静かに語りかけた。
「人間関係は、データだけでは測れないものだ。特に、家族や夫婦の絆はね。君の完璧な計算をもってしても、私がなぜこんなにも彼女を愛おしく思うのかは、決して導き出せない」
龍之介さんの言葉に、私の胸が跳ねた。愛おしくって……。
アルフレッドは小さく球体を揺らした。
『エラー……恋愛ニオケル「気持チ」トイウ存在。コレハ、私ノ演算能力デハ解析不可能ナ領域ノヨウデス』
「アルフレッド、それを人は『心』と呼ぶんだよ」
『心……ソレガ、リュウノスケ様ノ幸福度ヲ上ゲテイル未知ノ要因デスカ?』
「その通りだ。そしてアルフレッド、君が花さんのためにと想っている行動も『心』からくる行動だよ」
アルフレッドがぽつりと呟く。
『ハナ様。私は、ハナ様の幸せを願っています』
「ありがとう、アルフレッド」
このどこか抜けている自称完璧AI執事が、私のことを案じてくれている。それが、何より嬉しかった。
龍之介さんは私を見つめて、とても優しい表情を浮かべた。
「花さん。私は、君がこの家にいてくれることを、心から嬉しく思っている」
私は顔が熱くなるのを感じながら、小さく頷いた。
「私も……龍之介さんとアルフレッドと一緒にいられて幸せです」
その言葉を聞いて、アルフレッドがくるくると宙で回転した。
『家族としての幸福度、最高値を記録しております!』
私たちは顔を見合わせて、声を上げて笑った。