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灰色の祝言とAI執事

※この作品は肩の力を抜いて楽しむ系です。ふんわり世界&会話のテンポ重視で進みます。

 私の人生は、今日、終わる。


 ずしりと重い白無垢は、まるで私の未来にかけられた枷のようだった。


 目の前の三三九度の盃に映るのは、化粧で塗り固められた、能面のような自分の顔。感情を殺し、ただ人形のように座っているだけの、十八歳の私。


 結城家の莫大な借金。そのカタとして、私は今日、祖父よりも遥かに年上の男性に嫁ぐ。


 親戚たちの囁き声が、式の厳かな空気をじわりと汚していく。


「花ちゃんも可哀想に……」


「いやいや、あの鷹司財閥の総帥だぞ。むしろ玉の輿だろう」


「遺産はいくらになるのかしらねぇ」


 憐れみと嫉妬、そして下卑た好奇心が、私を値踏みするように突き刺さる。誰一人、私のことなど見ていない。見ているのは、私の背後にある「鷹司」の金だけだ。


 盃を交わす相手、鷹司龍之介たかつかさりゅうのすけさん、七十八歳。


 白髪混じりのロマンスグレーの髪。それでも七十八歳という年齢を感じさせない、引き締まった長身が静かに佇んでいる。深く刻まれた皺すら、彼のダンディズムを構成する勲章のように見えた。上質な紺のスーツを完璧に着こなし、その立ち姿には無駄のない洗練された美しさがあった。


 ふと、視線が合った。


 彼の瞳は、ただ穏やかなだけではなかった。全てを見通すような、どこまでも深い湖のような色をしていた。そして、口の端をほんの少しだけ上げて、微笑む。私は思わず、目を逸らしてしまう。


 式が終わり、親族への挨拶もそこそこに鷹司邸へと向かう道中、私たちは一言も交わさなかった。夫婦生活なんて名ばかりで、本当は奴隷と変わらないのかもしれない。


 広大な門をくぐり、車寄せに降り立つ。手入れの行き届いた庭を持つ、壮麗な日本家屋。ここが、私の鳥かごになるのか。


 玄関で深々と頭を下げた私に、彼は初めて口を開いた。


「長旅、お疲れになったでしょう。……これから、よろしくお願いします、花さん」


 低く、心地よく響く声。その物腰の柔らかさに、ほんの少しだけ驚く。


「はい。よろしく、お願いいたします……旦那様」


 絞り出した声は、自分でも情けないほどに震えていた。


 屋敷の中は、静まり返っていた。てっきり、大勢のお手伝いさんが出迎えるものだと思っていたのに、人の気配がまるでない。


 龍之介さんに促されるまま、長い廊下を歩く。彼の歩き方は、老人らしい動きではなく、無駄がなく洗練された動きだった。余裕のある足取りで、広い居間へと私を案内する。


「少し、休むといい。お茶でも」


 そう言いながら、無造作に髪をかき上げる仕草が、妙に様になっている。


 彼がそう言いかけた、その時だった。


 しゅるるる……。


 微かなモーター音と共に、隣の襖が静かに開いた。


 現れたのは、甲斐甲斐しくお盆を運ぶお手伝いさん、ではなかった。


 ふわりと宙に浮いた、銀色の球体。そこからアームが伸び、私たちの前にお茶を差し出した。


「―――え?」


 私の口から、素っ頓狂な声が漏れる。


 球体――ドローンのようなそれから、どこか執事らしい丁寧な声が流れた。


『リュウノスケ様、ハナ様。長旅お疲れ様でございました。ハナ様の心拍数と血圧の上昇を検知しましたので、リラックス効果のあるカモミールティーをご用意いたしました。リュウノスケ様には、先ほどの会食の塩分摂取量を考慮し、カリウムを多く含む緑茶をご用意いたしました』


 ポカン、と口を開けて硬直する私を尻目に、龍之介さんは慣れた手つきで湯呑みを受け取った。


 そして、穏やかな笑みの中に、ふと少年のような悪戯っぽい光を宿らせながら言った。


「紹介しよう。私の執事、アルフレッドだ」


 私の頭の中で、常識という名前の何かがバキバキと音を立てて砕けていく。


 えっと、つまり、何? ロボット? SF映画の世界? それとも私、頭を打って変な夢でも見てるの?


 目の前で静かにお茶を推奨してくる球体執事を前に、私はただ、瞬きをすることしかできなかった。


 執事、という単語が脳内で反響する。私が知っている執事とは、燕尾服を着た、物腰の柔らかい初老の男性のはずだ。断じて、SF映画に出てくる球体ドローンではない。


 私の思考が停止しているのを読み取ったのか、球体――アルフレッドは、滑るようにその場で半回転してみせた。


『ご紹介にあずかりました。私はマスター、鷹司龍之介様によって開発された管理特化型AI、コードネーム『アルフレッド』。当鷹司邸のセキュリティ、インフラ、資産管理、そして皆様の健康管理まで、そのすべてを統括しております。以後、お見知りおきを、ハナ様』


 丁寧な、しかし感情の乗らない合成音声が、広い居間に響く。


「だ、旦那様が開発……?」


 七十八歳のおじいちゃんが、AI作ってた件、って……ちょっと待って、私の人生、借金のカタに始まって、今度はラノベの世界にでも迷い込んだの?


 呆然と呟く私に、龍之介さんは「ああ」と頷き、緑茶を一口すする。その何気ない動作すら、なぜか絵になってしまう。


「もう三十年以上も、この家はアルフレッドに任せきりでね。私より、よほどしっかりしている」


「は、はあ……」


 もはや、どこから突っ込めばいいのか分からない。常識の修理が追いつかない。


「アルフレッド、花さんを部屋へ案内してくれ。まずはゆっくり休んでもらおう」


 低い声に込められた優しさが、私の緊張を少しだけ和らげた。


『かしこまりました。ハナ様、こちらへどうぞ』


 アルフレッドはそう言うと、しゅるる、と音を立てて廊下の方へ滑るように移動していく。私は慌てて立ち上がり、龍之介さんにぺこりと頭を下げて、その不思議な執事の後を追った。


 長い、長い廊下。磨き上げられた床には、塵一つ落ちていない。アルフレッドは私の数歩前を、床から一メートルほど浮いた高さを保って、完璧な速度で進んでいく。


 屋敷の静寂が、妙に重い。私の足音だけが、ぺたぺたと情けなく響いている。


「あ、あの……アルフレッド、さん?」


 呼び方すら、これで合っているのか分からない。


『はい、ハナ様。何か御用でしょうか』


「普通の、人間の執事さんはいらっしゃらないんですか?」


『人間の執事ですか? 効率性の観点から申し上げますと、人間は1日に8時間の睡眠を必要とし、食事による中断が3回、さらに生理的欲求による離席が平均して——』


「そ、そういうことじゃなくて!」


『では、コスト面でしょうか? 私の年間維持費は電気代込みで12万円ですが、人間の執事の場合、年収は平均して——』


「お金の話でもないんです……」


 私が何を聞きたいのか、このAIには永遠に理解してもらえない気がする。


 やがて、アルフレッドは一つの襖の前でぴたりと止まった。


『こちらが、ハナ様のお部屋になります』


 す、と襖が自動で開く。その先に広がっていたのは、伝統的な和室の美しさと、現代的な機能美が融合した、不思議な空間だった。


 そして――。


「え……あ……」


 私は、言葉を失った。


 部屋の隅に置かれた桐の箪笥。その脇のクローゼット。持ち込んだはずの私の数少ない荷物が、既に完璧に整理整頓され、収まっていたのだ。


『ハナ様がお持ちになった衣類のサイズ、素材、色彩の好みをスキャンし、最適な配置にいたしました。また、お持ちの書籍データから興味関心の高い分野を類推し、書斎の蔵書と照合。関連書籍を枕元のタブレット端末に転送済みです』


「い、いつの間に」


 車から荷物を運び入れた記憶すらない。私が祝言だの挨拶だので消耗している間に、このAI執事は、私のすべてを分析していたというのか。


 あまりの出来事に立ち尽くす私に、アルフレッドはしゅるると近づいてきた。


『ハナ様の現在のストレスレベルは78%。危険領域です。入浴によるリラクゼーションを推奨します。お湯の温度は、ハナ様の平常時の心拍数と血圧から算出した、最適温度に設定済み。入浴剤はカモミールの香りをご用意しておりますが、ラベンダーに変更も可能です。いかがなさいますか?』


 矢継ぎ早に繰り出される完璧な提案。それは、紛れもなく優しさや気遣いからくるものなのだろう。


 なのに。


 この完璧すぎる環境で、私にできることは、果たして何かあるのだろうか。


 借金のカタとして、せめて妻としての務めを果たそうと決意していたのに。食事も、掃除も、身の回りの世話すらも、この超高性能AI執事の前では不要なものに思えた。


 私の存在価値は、この家にあるのだろうか。


 鳥かごは、想像していたよりもずっと快適で、そして、ずっと孤独な場所なのかもしれない。


 そんな不安が胸をよぎった、その時。


『――ハナ様』


 不意に、アルフレッドが静かな声で言った。


『一つ、リュウノスケ様にもお伝えしていない、緊急の予測事項がございます』


「え?」


 まさか、何か大変な秘密が……?


『現在のデータを基にシミュレーションした結果、3時間後、ハナ様は……』


 アルフレッドはそこで一度言葉を切り、球体を微かに震わせた。


『極度の空腹により、血糖値が著しく低下するでしょう。夕食のメニューについて、早急にご決断ください』


「…………へ?」


 緊張感に満ちた声色からの、あまりにも平和な勧告。


 私は、全身の力が抜けていくのを感じながら、その場でへなへなと座り込んでしまった。


『ハナ様? どうなされましたか? ハナ様?』


 遠くでアルフレッドが心配そうに呼びかける声が聞こえる。でも、なぜかその声も、どこか間の抜けて聞こえた。

 私の人生は、今日、終わるはずだった。


 そのはずなのに、どうしてだろう。


 ほんの少しだけ、ほんの少しだけだけれど。


 このちょっとズレたAI執事との明日が、少しだけ楽しみになってしまっている自分がいることに、私は気づいてしまったのだった。

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