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09 名もなき盾

 今この状況で夜会に出席すれば、おそらくは、こうなるだろう……と、私が予想していた光景が、実際に目の前にあった。


 貴族らしくあからさまにはしないけれど、遠巻きにしていて誰も私には近付いて来ない。嘲るような微笑に、ひそひそと小声で語られる悪意ある何か。


 親友と言えるほどに仲が良かった友人、ブラント伯爵令嬢クラウディアを裏切った性格の悪い女。そんな風に、噂をされているはずだ。


 彼らにとっては、噂話が真実でなかったとしても、良いのだ。きっと……自分たちが面白ければ、それで良いのよ。


 私の実の両親が亡くなっていることも、皆が知っている。代理人である叔父も、祖父の血が流れ傍流の貴族とは言えるものの、私生児であるために継承権を持たない。


 私は確固たる後ろ盾も持たない、いわば鎧を纏わないままに戦場にまで出て来てしまっているのだ。無数の嘲りの矢は肉を貫き、その奥にある心までも傷つける。


 だとしても……耐えるしかない。


 私はオブライエン侯爵家唯一の継承権を持つ、法定相続人。


 夫となる人物を見付けて、爵位を受け継ぐまでは好奇の視線に晒されても、噂が落ち着くまで大人しくしていなくては。彼らもやがて飽きて、私を見ても面白くないと止めてしまうはずよ。


 私がオルランド様から誘われたとしても、その誘いを断ったのは事実なのだから……クラウディアだって落ち着けば、私がそんなことをするはずがないって、きっとわかってくれるはずよ。


 今は落ち着く時間が、必要なだけだわ。


「……はあ」


 我知らずため息が口からこぼれて、私は口を押さえて俯いた。


 誰にも恥じるような悪いことはしていないのだし、毅然としていなくてはと思うのだけど、やはり悪い状況の中に居ては胸に来るものがあった。


 早く早く、時間が過ぎてほしい……失礼にならない程度にここで時を過ごして、早くオブライエン侯爵邸へと帰りたかった。


「レティシア様」


 名前を呼ぶ声が聞こえた私は顔を上げて、ここに居るはずのない人の姿を見てから、目を見開いてしまった。


「まあ……イーサン? どうして?」


 そこに居たのは、イーサンだった。いつもの彼とは全く違う。黒い夜会服を着て、金髪は上げて撫で付けていた。


 冒険者の彼とは全く違う……上品な出で立ちで貴族であると言われれば、納得してしまう姿だった。


「驚かれましたか」


 微笑んだ彼は私の手を取って、手袋に包まれた右手に唇を付ける振りをした。これは、貴族としての挨拶で、彼は冒険者で……平民のはずで、私はそう思って居たのに、どうして?


「ええ。とっても! 驚いたわ……どうして、貴方がここへ?」


「ええ。俺は王に仕える騎士だと、言ったでしょう。そういった訳で、ヘイスター王国にも色々と繋がりが」


 イーサンは確かに自らの職業は、聖騎士だと言っていた。私もそう聞いていたけれど、騎士ならば冒険者であるのはおかしいという矛盾が生じてしまう。


「王に仕える騎士なのに、冒険者をしているの……?」


 騎士と言えば騎士団に所属して、王を守ったり国の治安を守ったり、戦場で戦ったり。そういった仕事であるはずなのに、彼は冒険者として真逆のことをしているように思う。


「そうです。俺は以前に、王にとても褒められたことがありまして……それ以来、国に何か危機が起こらない限りは、自由に好きにさせてもらっています」


 イーサンはその時、照れくさそうに微笑んだので、彼がそれをとても誇らしく思って居ることが知れた。


「まあ……そうなの。イーサン。貴方って、凄い騎士様だったのね」


 彼は王に仕える騎士ではあるけれど、騎士団長など上司などの指示には従わずに、自由な行動が国王陛下より許されていると言う。


 イーサンが今Sランクの冒険者である上に、そんな特別な騎士だなんて思いもしなかった。


「そう言っていただけるのは、嬉しいです。ですが、褒められるとなんだか恥ずかしいので、その辺にしていただけると……」


「ふふふ。ごめんなさい」


 イーサンは鍛えられた長身が際立ち、貴族は細身の男性が多い中で、際立って目立っていた。彼に話し掛けたそうな視線が、いくつも送られた。


 けれど、貴族は知人からの紹介がなければ話せない。彼がどういった身分を持ち、誰であるのかがわからないままで、知り合いからの紹介なく声を掛けてしまっては無作法になるのだ。


 それが許されるのは、おそらくは国王陛下のみ。


「良かったら、俺と踊りますか?」


 イーサンは私へ大きな手を差し出したので、驚いてしまった。


 さっきまで、絶望的な気分でここに居たのに……誰かにダンスに誘われるなんて、思わなくて。


「イーサン。けど……その」


 私は好奇の視線を向けている、周囲を窺った。決してだれろも目が合うことはないけれど、彼らは興味津々で噂を聞いたばかりの私へ、目立つ男性が声を掛けている様子を見ているだろう。


 イーサンが誰であるのかと、口々に囁き合っているはずだ。


「ああ。レティシア様。噂は違う噂でかき消すのが、一番良いですよ。俺はこのヘイスター王国で何を言われようが構いませんし、どうぞご安心して名もなき盾としてお使いください。俺たちとて、レティシア様に無理を言って、とんでもない役目を引き受けていただいたという自覚はありますから」


「……ありがとう。イーサン」


 そして、イーサンは重ねた私の手を軽く引いて、ダンスホールへと出た。まるで滑るようなリードで、何人かしか踊ったことのない私でもすぐにわかるくらいに(うま)い。


「緊張しています? ……ご友人の妙な誤解が解けるまで、こういった場には俺が一緒に出ますよ。レティシア様が、嫌でなければ」


「嫌だなんて……! けど、イーサンは忙しいでしょう?」


 私の腰を持って彼は、くるりと身体を回した。私自身でもどうやったのかわからないくらい、鮮やかな身のこなしだった。


 彼と踊ると一緒に踊っている私まで、ダンスが(うま)いように見えるだろう。


「俺たちは自由業みたいなものなので、明日の保証はない代わりに、時間や人には縛られないので……そのくらいはさせてください。レティシア様だって、毎晩夜会に出席されるわけでもないでしょう」


「けど、イーサン……」


 優しい言葉に泣きそうになった私は、彼にここまでして貰っても返せる何かがない。


 オブライエン侯爵家の財産は代理人として叔父にすべて握られてしまっているし、たとえ結婚して取り戻してもイーサンに金銭的な何かを返せるとしたら、かなり先になってしまうだろうから。


「いえ。レティシア様。セーブポイントは無作為に選ばれるにしても、俺たちもあり得ないことになってしまったという自覚はありますから。どうか、させてください」


 イーサンの緑色の目は、とても優しい。それに、優しすぎる言葉に、胸がきゅうと締め付けられるような気持ちになった。


 ……今のような孤立無援状態にある私にとって、とても嬉しい言葉だったから。


「……ありがとう。イーサン」


「いえいえ。こうして美しいご令嬢と踊って貰えるのですから、俺も役得です。気にしないでください」


 踊っていた時、彼の背中の向こう。そこに、私を憎々しげな形相で睨み付けるクラウディアの顔が見えた。


 ……驚いた。どうして。今、踊っているイーサンは、彼女の慕うオルランド様ではないのに。


「レティシア様。どうかなさいましたか?」


 私の顔色が変わったことに気が付いたのか、イーサンは気遣わしげな声で聞いた。


「……ごめんなさい。なんでもないわ」


「そうですか」


 イーサンは踊りながら周囲を気にしたようだけれど、クラウディアの顔を知っているわけではないので、私が何に驚いたかはわからないだろう。


 ……どうしてかしら。クラウディアとは、仲が良いと思っていた。


 そう思っていたのは……もしかしたら、私だけだったのかもしれないけれど。


「そろそろ帰りますか?」


 踊り終わってから近くの机に用意された飲み物で喉を潤していると、退場していく国王陛下の背中を見てイーサンは私に尋ねた。


「あ……そうね。そろそろ帰りましょう。イーサン。今日は本当に、ありがとう」


「いえいえ。これは俺たちの勝手な頼みを引き受けてくれたほんのお礼なので、どうか気にしないでくださいね」


 イーサンは私の手を引いて、誰かの侮りなど寄せ付けぬような堂々とした足取りで、会場の出入り口へと向かった。


 夜会は明け方まで付くけれど、まだ結婚していない貴族令嬢たちは、主催者がいなくなると帰る者も多い。


 イーサンは優しい。


 けれど、どんなに心惹かれても、彼に恋をしてしまう訳にはいかない。彼は初対面で泣いている私を見て、事情を聞きただ可哀想に思ってくれただけ。


 私は侯爵家の法定相続人で、世界を旅する冒険者の彼と結婚する訳にはいかないのだから。


 私は優しい彼に今ある窮地を救って貰って……けど、自分の幸せは、自分で掴むべきなのだわ。

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