08 気晴らし
彼らが定宿としてる『レンガ亭』から少し歩いた場所にある酒場は非常に盛況で、客が満杯になって外で皿を持って食べている人も居るくらいだった。
ヴァレリオが先んじて予約してくれていたというテーブル席に通されて、いつもよりかなり地味なドレスを選んで着て来た私は見よう見まねでイーサンの隣に座った。
「……レティシア様は、何が食べたいですか? なんでも頼んでください。値段は気にせずに」
私はヴァレリオからメニュー表を渡されて、ずらりと並んだ料理名を見ても、それがどんな料理であるか分からずに戸惑った。
邸ではシェフが私の好みに合わせて料理を作ってくれるし、こうして外で食べる時には、ほとんどお店のお任せで頼んでしまうからだ。
こんな風に個別に料理を選んだことは、今までになかった。
「おい。レティシア様が戸惑っているだろう。貴族には、こういった店の料理はわからない。俺が代わりに頼むよ……それで、よろしいですか?」
「あ……はい。ありがとうございます……」
テーブル席の隣に座って言るイーサンにそう問われたので、私はほっと安心して頷いて彼にメニュー表を渡した。
書かれている主材料もどんなものなのかわからないし、どういった完成品が出て来るのか想像もつかない。
「へえええ……なんだか、この二日夜に短時間会いに行っただけなのに、イーサンとレティシア様、すっごく仲良さそうじゃない? 俺も一緒に行きたいって言ったのに、ズルいわ。イーサン」
ジョセフィンは面白くなさそうにそう言ったけれど、イーサンは偶然色々と事情を知ってしまい、私に詳しい話を聞きに来たかっただけのように思う。
けれど、イーサンはそういった私の事情を、他の二人にも話してないようだった。
「ジョセフィン。いい加減にしろよ。レティシア様はお前が手を出して良い相手ではない」
「おい。それは、レティシア様が選ぶことだろう? そうですよね? レティシア様」
イーサンが真面目な表情で諫めるように言ったので、ジョセフィンは微笑んで肩を竦めた。
これを……どう答えて良いのか、困ったわ。ジョセフィンは見た目の通り女性に慣れた軽い調子だし、彼らはこれから先、この国に居住するわけでもない。
だから、私だって何を言っても本気ではないとわかってはいるけれど……場の雰囲気を壊さないような、上手い返しが思いつかないのだ。
「おいおい。ジョセフィン。僕らは命が危険なクエストに挑むための安全策としてセーブポイントを作成して、選ばれてしまった彼女にはお願いしている側なのだし、そんな風に困らせるようなことをするなよ」
可愛らしいウェイトレスから酒がなみなみと注がれた杯を受け取っていたヴァレリオは、眼鏡を直しながらそう言った。
「いや、というか……わかったよ。そうだよな。揶揄って、良い方ではないよな。無理を言って受けてもらったのは、こっちだし。俺が悪かった。すみません。レティシア様」
「いいえ。気にしないでください」
ジョセフィンは軽口を素直に謝罪してくれたので、私は微笑んで頷いた。
「それでは、乾杯をしようか」
そう言って彼らは酒の入った杯を持ったので、私も慌ててそれに習った。
「「「俺たちの、冒険に、祝福を」」」
彼らは声を合わせてそう言って、互いの杯をぶつけ合ったので私もそうした。
三人はそのまま一気に酒を煽ったので、私も慌ててそうしようと思ったのだけど、空の杯を片手に持ったイーサンの手に止められた。
「すみません。これを言うのが遅れて申し訳ないんですが、俺たちと何もかも一緒にしなくて大丈夫です……貴族令嬢に、とんでもないことをさせてしまうところでした」
美味しそうな料理が運ばれて来て、良い匂いが鼻をくすぐった。
「……いえ。なんだか、良いわね。こうした賑やかな場所で食事をするのは、生まれて初めてだわ」
私は人でいっぱいになった店内を見渡して、そう言った。ガヤガヤとした話し声の喧噪の中には、楽しそうな笑い声が時折響く。
これまでに静かに食事を取ることが礼儀作法であるとされた場所でしか食事をしたことがなかった私には、とても新鮮に思える場所だった。
「ええ。これで……少しは、気晴らしになると良いんですが」
「……ありがとう。イーサン。食事に、誘ってくれて」
私は事情を知ってここへと誘ってくれた彼と目を合わせて、感謝して微笑んだ。自ら発光しているかのような不思議な緑の目は細まり、私へと微笑みかけた。
そこで、また胸が高鳴ったので、私は慌てて両手を心臓の上に当てた。
え? 何。待って……この人は、冒険者なのよ。
優しくされたからって、浮かれている場合ではないわ。しっかりしなさい。レティシア……唯一の法定相続人である私が、冒険者と恋に落ちるなんて、決して許されないのだから。
「おいおい。イーサン……俺にあんな事を言っておいて、お前はどうなんだよ。目の前でそうして妙な空気出すのはおかしいだろう」
ジョセフィンはまた面白くなさそうに言ったので、大皿料理を取り分けて私に渡してくれたイーサンは肩を竦めた。
「レティシア様は、俺にこういう場所で食事を出来て楽しいと言ったんだ。望みを叶えたお礼に、感謝の言葉を掛けられるのは、おかしいことでもないだろう」
小さく切り分けてくれた肉を食べてみれば、本当に美味しかった。
「ふふ……本当に。ここに居ると、なんだか、嫌なことも忘れてしまうわね」
私はため息混じりに言い終わってから、口に手を当てて、愚痴をこぼしてしまったことに気が付いた。
……いけない。彼らには、何も関係ないことなのに。
「あの……何か、嫌なことがあったんですか? 僕らでも力になれるかもしれませんし、良かったら何があったか、言ってみてください」
ヴァレリオはいつの間にか頼んでいた二杯目の酒を、ウェイトレスから受け取りながらそう言った。
あの大きな杯には一杯だけでも、かなりの量のお酒が入っていそうなのに……冒険者である彼らは、私がこれまで会ったことのないほどに凄まじい酒豪のようだ。
「あ……なんだか、恥ずかしいわ。この前に友人と行き違いがあって、会うには気まずいんですが、もうすぐ国王陛下が主催する夜会があって顔を合わせることになってしまって……欠席することは許されないので、少し憂鬱になってしまいました」
私はこれならば知られても問題ないだろうという部分だけを、ここでは話すことにした。叔父たちの要求だったり、オルランド様とクラウディアの話は、あまりにも個人的過ぎる。
何も知らないヴァレリオとジョセフィンの二人は、顔を見合わせた。隣の席に座るイーサンは私の詳しい事情を知っているけれど、彼は何も言わなかった。
「ああ……それは、とても気まずいですね。ご友人との仲直りは難しい状況ですか?」
ヴァレリオは言葉を選んでいる様子でゆっくりと言い、私は苦笑いしてから頷いた。
「そうですね……私からいくら手紙を送っても、返事は返って来ません。時間が経てば、落ち着いてくれて誤解が解ければ良いのですが……」
クラウディアは、私を許してくれるだろうか。
それに……オルランド様から好意を向けられたことを、私が謝罪するわけにもいかない。
ただ、彼女の思って居ることは完全に誤解で、私にはクラウディアを傷つける意図など何もないと、わかってもらうことしか出来ない。
余計なことを言ってしまえば、彼女のことを侮辱したことになりかねない。
とても、難しい状況だった。
「夜会の日は、いつですか」
隣のイーサンが不意にそう聞いた。そういえば、必要あって私を夜に訪ねて来る予定の彼らにも、その予定は伝えておいた方が良いかも知れないと思った。
「6日後の夜に。その日は、帰りは深夜になるかもしれません」
社交界デビューしたばかりとは言え、国王陛下よりも、夜会会場を先に後にするわけにはいかない。
まだまだデビューしたばかりで、勝手がわからないのだ。
ああいった社交場に同行する介添人も叔父様の息が掛かった人なので、出来れば彼女の力は借りたくなかった。
「構いません。俺たちは迷宮攻略の日程を誰かに決められているわけでもなく、どうとでもなりますので」
その時に三人は目配せをしていたように思うけれど、冒険者たちが挑む地下迷宮攻略については全く知らないので、その事だろうと私は暢気に思っていた。