07 聖騎士
クラウディアから、手紙が返ってくることはない。
とは言え、なんと私も何をどう言って良いのかはわからなかった。オルランド様から誘われたことに対しては、私もどうしてかという理由はわからない。
……けれど、本来ならば、誰に声を掛けるかはオルランド様の自由だから、私が責められるようなことでもない。
それがクラウディアだって頭ではわかっているだろうからこそ、どうして良いかどう言って良いかわからなかった。
ただ、誤解であることを伝えることと、謝ることしか出来ない。
「お嬢様。お手紙が届いております」
「手紙……?」
執事エーリクが、私への手紙を銀の盆に載せて持ってきた。
一瞬だけクラウディアではないかと期待してしまったけれど、宛名を見れば国王陛下の名前が書かれた一週間後にある夜会の招待状だ。
これは……体調不良を理由に、欠席してしまう訳にもいかない。
私たち貴族は国王陛下より数々の特権を許されているのだから、彼の招待を受けたのだから、余程の理由がなければ欠席することは許されない。
とりあえず夜会へと出てから、頃合いを見計らって帰るしかない。
あの噂が落ち着くまでは、あまりにもすぐ過ぎるし……その間は、針の筵だろうけれど。
そして、時間が過ぎて、夜が来て……また、私の部屋のバルコニーに通ずる扉が叩かれた。
彼らのパーティは三人組だし、ただ私の元に来るだけなら、誰が来ても良いはずなのだ。
けれど、その時の私はなんとなく金髪のイーサンがまた来たと予感がしたし、扉が開いて背の高い彼の姿が見えれば『やっぱり』と、そう思って微笑んだ。
「こんばんは」
服にいくつも道具をしまうポケットがついた冒険者らしい格好をしたイーサンは、周囲を窺いながら室内へと入って来た。
「こんばんは。イーサン……昨日は、その、気まずい事を聞かせてしまって、ごめんなさい」
私が真っ先に昨日間男のように隠れなければならなかった出来事を謝罪すれば、イーサンは微笑んで首を横に振った。
「いえ。レティシア様に無理を聞いてもらって、本来なら許されないような事をお願いしているのは、俺たちの方なので。個人的な話を聞いてしまうような状況になってしまったのは、ただの不可抗力です。気にしないでください」
「……ありがとう」
私は微笑んでイーサンに、右手を差し出した。また、彼は微笑んで首を横に振ったので、首を傾げてから彼の緑色の目を見た。
ああ……本当に、不思議な色だわ。
「すみません。先に……レティシア様の、お話しを聞かせて貰っても?」
ああ……そうだった。
昨夜、どうしてあんな場所で泣いていたのかとイーサンは聞いて、すぐにジョス叔父様が来たのだったわ。
「そうね……良かったら、聞いてくれる? 私もどうしてこんな事になってしまったのかが、本当にわからなくて」
「ええ。誰かに話すだけでも、気持ちが晴れることはありますよ。もしかしたら、今悩んでいることにも、見えなかった突破口があることに気がつくかも」
イーサンはとても優しい目をしていた。彼の言った通り、話すだけでも行き詰まったような気持ちが、また変わってくるかもしれない。
そう思えた。
それに、イーサンは異国の冒険者だ。
今は目的はあるからヘイスター王国に居るだけで、地下迷宮最奥に棲まう魔物を倒して、SSランク冒険者と呼ばれるようになってしまえば巨額のお金を稼ぎ出す、クエスト漬けで旅を続ける日々へと戻ってしまうだろう。
私はヘイスター王国の貴族で、先祖代々の血を繋ぐためにはどこにも行けない。近い未来には、こうして彼と会うこともなくなる。
……だから、今ここで誰にも言えない気持ちを、吐き出してしまっても良いかもしれない。
イーサンはここでどうすべきかと迷っている私の気持ちをわかっているかのように、何も言わずに待ってくれていた。
彼のそんな優しさに背中を押されて、心の中にあったものが口から溢れ出すように、私はぽつりぽつりと話しはじめた。
「……あの、昨日、話を聞いていたでしょう。私はこのオブライエン侯爵家の法定相続人なの。あの時に来たジョス叔父様は、私は成人するまでの代理人。彼は祖父の私生児で、直系ではないので、爵位継承権を持たないの。だから、彼の息子と結婚するように迫られていて……」
「……レティシア様は、その縁談に対し、どう見ても乗り気ではなさそうでしたが」
苦笑いしたイーサンに、私は頷いた。彼がいう通り従兄弟に当たるドナルドは粗暴な性格で、私が好意を持てるような男性ではない。
「そうね。だから、社交界デビューをしてから、求婚者を募ろうと思っていたの。けど……」
クラウディアとの事を、どう言えば、わからなくなった。言い方を間違ってしまえば、変な自慢話のように感じるかもしれない。
そんなつもりはない。私だって、本当に驚いたのだ。
「……オルランド殿下から、誘われたとか? 求婚者と言えば、彼は駄目だったんですか?」
そういえば、イーサンはジョス叔父様の話を、ベッドの陰で聞いていたのだった。
話の先を促すような言葉に、私は小さくため息をついて頷いた。
「そうなの。私の友人が彼の事をお慕いしていて……私も、何故自分が彼から誘われたか、わからなくて……」
「それは、レティシア様が魅力的だからでは?」
イーサンの目は揶揄うでもなく、透き通り優しい光を湛えたままだ。そんな彼に安心した私は胸に手を当てて、首を横に振った。
「いいえ。私は自分のことは、一番にわかっているわ。王族であるオルランド様から、真っ先に声を掛けられるような外見をしていないもの」
そうだ。それはわかっている。クラウディアからどうしてだと責められても、自分に魅力があるからだと自信を持って言い返せたら良かったのだけど。
……それは、どうしてもできなかった。
「あの、そうやって……あまり、自分に呪いをかけない方が良いですよ。レティシア様」
イーサンは微笑んでいた。不思議だ。この人はどうして、こんなにも優しいのだろう。
まだ、私たちは出会ったばかりなのに。
ああ……初対面で、泣いているところを見せてしまったせいかもしれない。優しいからどうにかしたいと考えてくれたのかもしれない。
「イーサンは……」
「はい」
「その、ヴァレリオは、魔法使いでしょう? イーサンと、ジョセフィンの職業は?」
見た目から職業を推測出来るのは、ヴァレリオだけだった。それに、彼は魔法書を使うことが出来た。魔法書に封じられた魔法を発動出来るのは、魔法使いだけなので、それはきっと間違いない。
「ああ。ジョセフィンは、盗賊兼魔剣士です。元々は盗賊だったのですが、あるダンジョンで手に入れた魔剣に気に入られ、魔剣士に」
「まあ……それは、凄いわ」
私は驚いた。
世界に『魔剣』と呼ばれる剣は何本もないとされていて、しかも、手に入れたとて剣に選ばれることはかなり稀な出来事らしいと聞いていたからだ。
「俺は、聖騎士です。良く誤解されるのですが、神聖騎士のように神殿に仕えているわけではなく、騎士でかつ適性により回復魔法も使うことが出来るので……職業は何かと問われれば、そう答えています」
「ああ。イーサンは、聖騎士様なのね」
私は頷きつつ彼が紳士的かつ、女性に優しい理由がわかるような気がした。王に仕える騎士たちには、騎士道と呼ばれる彼ら独特の美学があって、その中には守るべき女性に優しくすることも含まれているからだ。
「ええ……レティシア様。もし、良ければ明日、俺たちと食事でも取りませんか。あの二人もレティシア様に、会いたがっていましたし……今夜は、俺が聞きたいことがあったので、無理にここに来たんです」
「え?」
私は微笑んだイーサンが、まさかそんな事を言い出すと思っていなかったので驚いた。
「見たところ、食事もろくに摂れていないでしょう。色々と重なって思うところがあるのは理解できますが、たまには市井に出て庶民のご飯を楽しむのも良いものですよ」
「……その」
私はここでどう言えば良いのか、迷った。彼は私の今ある状況を聞いて、同情してくれたのだろう。
「レティシア様。こちらの事情で、偶然選ばれてしまった貴女に負担を掛けているんです。俺たちにも、何かお礼をさせてください」
「イーサン。ありがとう……」
そう言ってくれて、嬉しかった。彼にとっては、泣いている女の子を放って置けないとそう思われただけだとしても。
「それでは、食事は決定ということで……どうします? 俺がここに迎えに来ても良いですが、レティシア様が外出して来れるのであれば、そこまでお迎えに」
イーサンの言った言葉が、私はすぐには理解出来なかった。
「……迎えに来るって、ここへ?」
ここはオブライエン侯爵邸で、本来ならば彼はここに居ることのない人物だった。
「そうです。バルコニーから攫って行くことも出来ますけど、レティシア様は閉じ込められているわけではないので、それは……あまりしない方が良さそうですね」
そこで、私はいかにも真面目そうな聖騎士イーサンが、先ほど冗談を言ったことに気がついた。
「ふふ。そうね」
確かに私は、ここに閉じ込められて外出を許されていないわけではない。馬車に乗ってどこかに行くことは出来るのだ。
「では、待ち合わせ場所を決めましょう。俺らは早めに夕方には、帰るようにします」
イーサンは彼らが宿泊している宿の名前『レンガ亭』を言い、私は店名と時間を復唱して確かめた。
「ああ。そうだ。すみません。いつもここに来た、一番の目的を忘れてしまう」
そう言って、イーサンは大きな手を差し出して、私は手を重ねた。
イーサンが何かを呟けば、ふわっと室内に広がる、虹色の光。
「おやすみなさい」
「……おやすみなさい」
そう言って微笑んだイーサンは私もまた自分が出て行った後、扉に鍵を閉めるように言ってから、バルコニーから部屋を出て行った。