12 精霊の棲む目
ジョセフィンから話を聞いてから、私はイーサンと距離を取ろうと考えた。
だって、もし彼と恋に落ちたとしても、私はイーサンと結婚するわけにはいかない。けれど、彼らが三人が見事SSランクへ昇級すれば、もう会うこともないだろう。
夜毎、会いに来る彼に、二人の未来を考えればそうすべきと思っても、冷たく振る舞うことはできなかった。
……今の私はとても弱くて何の後ろ盾も持たなくて、同じ邸に住む叔父家族は私のことを自分たちのために利用することしか考えていない。
そんな中で唯一の味方だったクラウディアは、今はもう連絡を取ることも出来ない。
そんな中でのイーサンとの時間は、かけがえのないものだった。たとえ、未来がない関係だとしても、突き放して自ら手放すことは出来なかった。
自分勝手で褒められるようなことではないことは、自分が一番にわかっていた。
ただ、何かの偶然で出会っただけの彼に、私がこの身に受けるすべての不幸から救って欲しいだなんて、大それたことを……願えるはずもない。
目に映る、バルコニーへ続く扉。いつもはあまり開かれることもない扉。
壁掛け時計を見て時間を確認すれば、もうすぐ彼はやって来る。
これは、永遠に続く関係ではない。もうすぐ、こんな夜も終わりを告げる。
だから、もう少しだけ……。
扉を叩く音が二回して、イーサンがやって来た。
「……こんばんは」
「こんばんは。イーサン」
私は微笑んで、小雨に濡れた肩を手で払う彼を室内へ迎え入れた。
「レティシア様。何かありましたか?」
不意にイーサンから尋ねられて、私は彼と目を合わせた。自ら発光するかのような、不思議な緑色の瞳。
そうよ。初めて会った時から、その色は気になっていた。彼が特別な存在であると示すような、不思議な色だったから。
「……何でもないわ。あの……イーサン、貴方の目の色だけど」
「はい」
「なんだか、不思議な色のように思うの。何か理由があるの?」
私の質問を聞いて、イーサンは納得したと言わんばかりに頷いた。
「ああ……これは、森の精霊が棲んでいます。何代も前の先祖が気に入られたようでして、俺が回復魔法を使うことが出来るのも、この精霊のおかげなんです」
「あ。そうなのね。凄いわ……精霊が棲んでいるのね。なんだか、不思議に光っているのも納得したわ」
この綺麗で不思議な光を放つ緑色の瞳には、森の精霊が棲んでいるのだ。彼本人が言っているならば、きっとそうなのだろう。
精霊の加護を得られることは、とても珍しいことだ。それに、戦いを生業としているのであれば、神官の力を借りることなく自らの傷を癒すことが出来る。
それは、一人の騎士としては、その他よりもかなり優位性を持っていると言えるのかもしれない。
……だから、きっと彼は仕える国王からあり得ないとも言える自由を勝ち取れるくらいの実績を上げることが出来たのだわ。
「その……レティシア様」
「はい?」
イーサンが軽く身を引いたので、私は彼に近づき過ぎていたことに気がついた。
「まあ……ごめんなさい。近かったわよね」
そうしようと思ってそうした訳ではないけれど、背の高い彼の瞳の中を覗き込むように見上げていて、彼への距離が近くなり過ぎていたのだ。
「いえいえ。大丈夫ですよ。この目は他の人と違っていることは、自分もわかっていますので……」
「ええ。とても綺麗な緑色だわ。イーサンに初めて会った時から、気になっていたの。けれど、精霊が棲んでいると聞いて、納得したわ」
「そのようにお褒めいただいて、恐縮です……そういえば、レティシア様。明日、国王陛下主催の夜会があるそうですね。俺も一緒に出席させていただいても?」
「あ……あの」
私は思いもしなかった彼の言葉を聞いて、口を両手で押さえた。
その通りだった。けれど、私は今回は一人で出席しようと思っていた。落ち着くまで一緒に行くと言ってくれていた、イーサンには知らせないまま。
おそらくは彼はこの前に夜会に出席出来た時に頼った誰かから、その情報を知ったのだろう。
「そんな……困った顔を、しないでください。よくわからない理由で、気まずい思いをするのなら、俺がお助けしたいと思っただけなんです……馬車でお迎えに来た方が良いですか?」
イーサンは手を差し出したので、私は反射的にその手を取った。
「いえ! それは、大丈夫よ。夜会会場前で、待ち合わせましょう」
私をドナルドと結婚させたい叔父に、馬車で迎えに来てくれるほどの仲の男性が居ると知られてしまえば、色々と面倒なことになってしまうだろう。
「それでは、明日は夜会会場でお待ちしております」
彼は手を取りキスの擦りをする時に、小声であの呪文を呟いたのか、虹色の光が室内に満ちた。
「……おやすみなさい。イーサン」
「おやすみなさい」
彼は微笑んでいつものように鍵を閉めるように注意してから、身を翻してバルコニーへと出ていった。
イーサンは私の今の状況に、ただ同情してくれただけだ……それは、未来を約束できない人を、ただ利用してしまうことにならないだろうか。
彼は優しくて、ずっと一緒に居たくなる。けれど、私の事情でいつかは終わってしまう関係なのだ。
「……イーサン」
しんとした室内の中、彼の名前が響いた。
もう少しだけ……そう思っていた。けれど、これ以上一緒に居たら、きっと好きになり過ぎてしまう。
そう思ってハッと、口を押さえた。
ああ……私はもう、イーサンのことが好きなのだ。
自覚してしまえば、好きになり過ぎない内に、彼と離れるべきだと思う。
私がイーサンに来て欲しくないと言えば、代わりにヴァレリオかジョセフィンが来ることになるだろう。彼らが三人パーティで、私の役割も三人の内、誰でも良いことは証明されているのだから。
……いけない。何を考えているのかしら。
未来のない関係性の男性に好かれたからと浮かれて、馬鹿なことをしてこれまでの我慢を全て無駄にしてしまうなんて、そんなことは絶対に出来ないんだから。